父親が野球に興味が無い家庭では

子供も興味なく成長して行くことが多いような気がします。
うちの父は相撲はよく見ていましたが 野球には興味無し。
ですから、野球中継の為にアニメが見られないということもなく
チャンネル争いをした記憶がありません。

20歳過ぎるまで野球についてまるで無知でしたが
特に不自由なこともなく過ごしてました。
ところが興味を持たざるを得ない状況になったのです。
その頃付き合いだした男の子がドラキチでした^^

名古屋球場へ行こうと言われたときは
(ええ~っ、野球~、気乗りしませ~ん)
無理やり連れて行かれ、席に着いたとき

まず、どっちが中日の選手なのか分かりませんでした。
誰かがヒットを打ったので、とりあえず拍手をしてみたら

相手チームの選手でした^^
よし分かった。あっちの色のユニホームが中日だ。
しかし、こんな私でしたが何度か球場に足を運んでいるうちに
だんだん分かってくるものですね。
「こら、大島!何やっとるんじゃー、このボケがぁー!」

なんておっさんみたいなことは言いませんが
「こら~、大島~!」

くらいは言えるようになったのです。
あの頃は投手と言えば、小松、鈴木孝政。

押さえは牛島、郭 源治。
ストライクが決まったときの 「うぉぉぉぉ~!!」
という郭 源治の雄たけび。
ああ、書いていて懐かしくて涙が出そう。


バッターは、谷沢、田尾、宇野。
外人選手はモッカ。
打席に立ったときは「ミッキーマウス」のテーマ曲が流れました。

「かっ飛ばせ~ モ~ッカ!」
阪神の真弓が同じ曲を使ったとき ちょっと怒りました。
モッカの曲、使わないでよ!

特に大好きだったのが「う~やん」こと「宇野勝」
なぜそんなに好きだったか。

こちらをご覧頂けば、すぐにお分かりになると思います^^
http://www.youtube.com/watch?v=88ol0ZQaqHU
1981年、フライになったボールを宇野が取ったらもう
試合は決まりと席を立ちかけていた客がいる中
照明の光の為 目算を誤った宇野の頭部にボールが当たり

大きく跳ねてレフトフェンス際へ転がっていくという
「宇野勝 ヘディング事件」というものが起こりました。
これをきっかけに宇野の知名度は全国区になり
子供たちの人気者となったのです。
またこの事件をきっかけに
『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』という番組が定着し
宇野は何度もこの番組にゲストとして出演することになりました。
モッカがアメリカに帰り
谷沢、田尾が引退。
郭 源治も、名古屋で台湾料理屋さんを始め

だんだんと私もドラゴンズから離れてしまいました。
一度だけ外野席にも行ってみたんです。
応援団長(?)のおじさんたちに合わせて
メガホン叩きながら
「かっ飛ばせ~ 宇~野!」
あの熱い夏の夜。楽しかったなぁー

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