38 「水戸藩領内三ヶ野村組頭 源次衛門文書考『人を守れ、村を守れ』」 | 水戸は天下の魁

水戸は天下の魁

幕末から明治維新へと大変な嵐が吹き荒れた水戸に生きた人々について、資料を少しずつ整理していきたいと思います。

 前回紹介した「四郡色分水戸御領分全図」には、水戸藩では村の統合の状況が説明されているが、村名沿革において、茨城郡の内、木葉下(アボッケ)へ三ヶ野合村とある。「人を守れ、村を守れ」は、昭和27年5月に石島久男氏によって崙書房より発刊された本のタイトルである。彼は、高校の教諭をしながら、先祖の残した古文書などを整理し、その記録を出版するという努力を続けられており、以前、お宅を訪問し、お話を伺ったことを思い出した。彼の以前の「安南国漂流(2002年新風舎)」の著作に接した後のことであった。彼は、史学の専攻ではなく、商業科の優れた教員であるが、自分の家に残されていた古文書類に接し、大いに興味を喚起し、時間をかけてこつこつと解読していく苦労を重ねていた。

 下記の本のあとがきに、「・・・つくづく思うのは、私の祖先が二百年もの間、よくもこの文書類を処分しないで残してくれたものだということだ・・・」、そして、彼の両親の「・・・お前のようなモノ好きが、いつかこの世に現れて、この文書を読むときが来るのではと残しておいてくれたのだろう」という言葉を紹介している。それは、私も同様に感じている気持ちである。物置に束ねられた多くの古文書、書籍、曾祖父や祖父の残してくれた物も、いつ処分されてもおかしくなかった。それらを整理し、文書化する試みは、後生の人々の中に再び興味を持ってくれる者も現れるのではないかという期待の中で、私も継続していることだからである。

 「人を守れ、村をまもれ」の中で、水戸藩領内の三ケ野村で組頭をしていた彼の先祖の一人であった源次衛門の残した文書を中心に、内容を読み取り、丁寧に当時の状況を解説している。郡奉行(役所)と村民との関係は、テレビドラマの時代劇によく出てくる悪代官が庶民をいじめるという武士と村人の関係ではなく、郡奉行の役人が地域の農民などをよく気遣って、行政として役割を果たしていたことが引用された史料から実感できた。そして、村で起きた小さな出来事もしっかりと文書に残している。







 江戸時代後期は、現代と比べようがない状況であった。幕府の指示、水戸藩主の考え、天変地異などの災害など、様々な情報は、制札として、掲げられたり、郡奉行から庄屋(名主)へ、そして組頭へと伝達されて、五人組制度の中で、村人へと情報が共有されていった。組頭や庄屋は、毎日の出来事を、御用留や書付として記載し、その残された文書から、今我々は、彼らの生活を知ることができるのである。長い年月の中で、虫に食われ、候文で書かれたくずし文字の古文書の読める者は少ない。東日本大震災により、倉庫や物置が崩れたり、津波で流されたりして消失したもののたくさんあったのだろう。

 茨城大学でも、「茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク」というボランティア組織を立ち上げ、必死で歴史遺産を守り、後世に残そうと努力を続けている。しかし、その様な組織の活動には限界もあるだろう。現在は、少子高齢化が急速に進展し、人口減少社会の中で、農村地域等で何代にもわたって続いてきた旧家と言われる家でも、空き屋となって取り壊されている家が多くある。その中にあったぼろぼろの古文書がゴミとして廃棄されているものも多いと聞く。石島先生が、一つひとつ古文書を整理し、その内容を読み解いていったように、私もそれらの価値に注目し、その歴史に思いを馳せる機会を持ち続けていかなければならないと強く感じている のである。