無為自然に至る | 目覚めるための心のlesson

目覚めるための心のlesson

あなたの頭の中で巻き起こっている不安も批判も
「自分は間違ってない」と主張している思考もすべてが
「本当のあなた」とは何の関係もないとしたら。。。。

 

 

 

変わりたいという欲求は

成長したいという生物的欲求です。

 

 

私が変わりたいと思うことは

私は成長したいのだ、と

ここに気付くことが幸福への第一歩になります。

 

 

自分が成長したいのだとわかると

自分を向上させたいという真の欲求には

今あるがままの自分自身を基本的な前提として

受け入れます。

 

そうすることで

例え現状の自分自身に

目的地まで遠く及ばない部分が見つかっても

落ち込んだり、不安になったり、罪悪感にかられることがありません。

 

問題の傾向のひどさに大げさに反応する必要もなく

親や他人や人生、運命のせいだと言い訳し責任転嫁し

自分を守る必要もありません。

 

色々な因果関係や因縁によって存在する現象に関する

客観的な視点が身につくことは

あなたを真に自由にします。

 

自分の過ちや欠点に対して責任を持つことは

最も明確に

「私は作られた偽物の自分ではない」と宣言をし

過ちや欠点に適切に対処する方法。

そしていずれ意図せず労することなく

すべてがうまくいくに至ります。

 

 

 

学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。

これを損じてまた損じ、もって無為に至る。

無為にして為さざるは無し。

 


この「老子」の言葉は

学問を修めるあいだ、その知識は日々増えるが、

道を修めるようになると、その知識は日々減ってゆく。

どんどん減らしてゆき、ついに無為にゆきつくと、

無為のまま(無為自然)でいながら

すべてのことがうまくいくに至る。

という意味。

 

 

仏教での「無為」とは「不生不滅の存在」を意味し

つくられたものではない、生じることも滅することもない、とあります。

反対に、

色々な因果関係や因縁によって存在する現象を「有為(うい)」と呼びます。

 

 

この二人の賢者は

まったく同じことを語っています。

 

 

思考が現実として現れるに過ぎず。

 

あなたの周りの世界は あなたが作り出したもの。

 

目の前の現実は過去の思考の蓄積の結果です。

 

 

無為自然とは

知識も思考も望むことさえ不要になる結果

「自然のままであること」「手を加えないこと」にただ至る

悟りの境地。

 

 

修めた学問を道に生かすこと。

 

 

2020年 ありがとうございました。