嫌いな人や苦手な人がいなくならないあなたの理由 | 目覚めるための心のlesson

目覚めるための心のlesson

あなたの頭の中で巻き起こっている不安も批判も
「自分は間違ってない」と主張している思考もすべてが
「本当のあなた」とは何の関係もないとしたら。。。。






自分をありのまま受け入れるというのは

自分を愛そうと「する」ことではありません。
自分を肯定しようと「する」ことでもありません。
自分を許そうと「する」ことでもありません。




それらは
自分をありのまま受容できた先でそのように
なっている【在り方に備わっている状態】



自己受容と他者受容は 比例します。



私たちは
自分を受け入れられていない所については
他者のそれを受け入れられません。
他者の受け入れられない所に気づくことで
自分がまだそれを受け入れていないと気づくのです。



受け入れられない所を受け入れるように「なる」には

条件を満たさねばならない、
他者という評価が必要と信じている間
受け入れられない所を受け入れてもらえるように
なるよう変えるよう頑張る衝動的な努力が止みません。



気に入らない自分の状態を
愛「そう」とし、肯定「しよう」とし、許「そう」としている間
自分を真に受け入れられるようになるには
まだしばらく時間を必要なのかもしれません。




多くの人が 自分は今よりも
周りの人に
認めてもらえるようになったら、
ほめてもらえるようになったら、
賞賛されるようになったら、
感謝されるようになったら、
喜んでもらえたら、
感心してもらえたら、

自分を愛せ、肯定することができ、許せるようになり
自分を受け入れられるようになると思い

他者にも 特に自分の子供にも
そうするよう、そうなるよう

【頑張る】のですが
どれほど多くの人から
認められても、ほめてもらえたとしても

心が安らぐことなく真に満たされず、
もっともっと、私なんか・・・・まだまだと思え

頑張り続けてしまうことになり
燃え尽きて動けなくなるまで
頑張り続けることを止めることができなくなります。




それは
認めてもらえない自分
ほめてもらえない自分
賞賛されない自分
感謝されない自分
喜んでもらえない自分
感心してもらえない自分を

そのままでいい、と許すこと、
認めること、受け入れることではありません。



人の悩みや問題の相談の多くは

偽物の自分に生じた
偽物の感情の正しさを認めてほしがっています。


人が誰かに話を聞いてもらうとき
自分も相手も一見
「アドバイス」が欲しくて話をしてる気がしています。
ですが
どれほど優れたアイデアを手に入れたとしても
「満たされない思い」が残ります。
(やり方を教えてもらう目的の場合を除く)

「幸せになるわけにはいかない偽物の自分を生きている人」の相談では
一見「私を助けてください」という動機があるように見えるのですが

本当は

「幸せになるわけにはいかない生き方」の

同意や賛成や承認や確認を求めてきていることが少なくありません。
 

 

 


本当の自分として生きている人が
誰かに自分の問題の解決策を教えてもらうこと
同意や承認や、賞賛を望むことはありません。
何故なら、必要としないから。



人は皆 誰かに話を聞いてもらう時

表面的な偽物の感情や正当化に惑わされることなく
本当の気持ちを見つけてもらえ言葉にしてもらいながら
それがどんな気持ちだったとしても
ただ「そうなんだ」と受け取ってもらえた時
人は
身体の奥深いところが深く安心し
ありのままの本当の自分を受け入れられた、と感じます。




私たちが受け入れられたと感じるのは
「身体の深いところが深く安心する」ことでわかります。



ただし
それは「心の器=感情の入れ物」に入る感情が
本当の自分の居場所で感じるべくして感じている感情の場合。



実際に感じている感情が
本当の自分の居場所で感じる本物の感情の場合
感情を感じ切ることが心の境界線を強くし
心の器を広げ生きる力と知恵に変換されます。




が 本当の自分として生きていない場合
どれほど自分が感じている気がする嫌いな感情を
(主に怒りや悲しみや恐れとして感じている)
言葉にして感じ切ろうとしても
生きる力がチャージすることなく
ネガティブな感情がなくなることはありません。




繰り返し感じる苦手な感情
繰り返し目の前に現れる苦手な人
繰り返し起こる嫌な悩みや問題、出来事は

あなたが本当の自分の居場所に戻るまで
あなたが 本当の自分の居場所にいないことを
教え続けてくれます。




あなたが
本当の自分の居場所に戻り本当の自分として生きる時

いつの間にか
自分で自分を満たせていたことに気づき
いつの間にか
自分を許せていたことに気づき、
いつの間にか
自分も周りも穏やかで静かになっていたことに気づき
いつの間にか

自分を愛していることに気づき

すでに 
自分の全てを受け入れていたと気づくのです。