頑張ってさえいれば・・という「可哀そうな私」を正当化する言葉 | 目覚めるための心のlesson

目覚めるための心のlesson

あなたの頭の中で巻き起こっている不安も批判も
「自分は間違ってない」と主張している思考もすべてが
「本当のあなた」とは何の関係もないとしたら。。。。

 

 

 

 

誰でもが
変化すること、
新しい現実に足を踏み入れることへの恐れを
とても深く大きく感じます。



そのため
自分がよく知っていて慣れているもの・・・

たとえそれが
お決まりの不幸な結末で終わる物語であっても
やっぱりね!という心のつぶやきとともに
単に「よく知っている」「慣れてる」ことからくる
安心感という錯覚が
安全なのだと誤解させ
幻想の中にとどめます。




変化しないことが安全である、様な感じがし
(本当はそうではないのですが)

恐れ(痛み)を 感じることを「恐るあまり」
誤った自己否定的自己評価の物語を繰り返し上演することに
命からがらしがみつき
新しい現実に入っていくことへの恐れを避け続けます。



けれども
真に
あらゆる自分の内にあるものは全て
端から端まで
小さなものから大きなものまで、
存分に楽しむことでのみチャージする
言葉にならない温かい力が
増えていくかどうかを
私たちは よくよく調べてみましょう。



多くの人は
現実的に目の前の問題や 結果に対処するよりも
かすかな望みにしがみつきたくなるもの。




笑顔で相談に訪れたある女性は
自分が自分自身の感情を切り離し
誰かの役割を担い、傲慢になり
自分や人の気持ちがわからなくなっていることを
気づいていませんでした。



相談を重ねるうち 彼女からは
自分を守るための鎧である微笑みが消えました。




私たちはみな
自分が誰であるか
自分に必要なものを
自分が一番知っている、と思っています。




頭で考えた
今のままのやり方で頑張りつづけてさえいれば、
あるいは
今のままの自分でいいのだと「認めさえしたら」
人生は変わり、幸せになるに違いない という
考えは正しかった、ことにするための
過去の痛みを消す方法
自分の感じ方を変える方法、
解釈を変えてくれるような考え、
行動の仕方を変える方法を実践し
自分と違う『何者か』になることに
膨大なエネルギーを消耗しています。




もしも今
少しも心穏やかな日々を
過ごすことができていないのなら
自分のよく知ってる自分、
自分がよく感じる感情、
自分がよく選ぶ物事の捉え方、考え
自分のよくやる行動の全てを1度疑ってみてください。




セカンドバースワークを重ねていくと
彼女は泣きながら、語り始めました。





私は
物事を善いように受け取ることがよいことだ、
人に何か酷いことをされても ありがたいこと、
おかげ様だと思いなさい、
どれほど苦しくても何があってもいつもニコニコして 
笑顔でいなさいと言われて育ちました。





ずっと 
それが正しいことで そんな
ポジティブ思考が正しいと思っていたし
子どものころは先生や周りの大人から
「とてもいい子」だと褒められていました。




弱音を吐くことは悪いこと、
だから 弱い自分を嫌い否定していました。


人を悪く思っても口に出すのは悪いこと、
だから 人を悪く思う嫌いだと感じる気持ちを無視してきました。



頼まれたことを断るのは悪いこと、
人の役に立たせてもらうことはありがたいこと、
だから 人に頼まれたら頼まれた以上のことをして
いつも心も身体もボロボロになっていました。



言いたいことを言ったり、自分を優先するのは悪いこと、
だから 自分の望みや意見はわがままだから
望みや言いたいことがあると そんな自分を恥じていました。



自分や家族の悩みや問題は
みっともない、カッコ悪いことだから、他人に言うもんじゃない!

だから
自分を苦しめる問題のある子供は 
自分に勉強をさせてくれてありがたいことなんだ、と
自分を苦しめる問題のある夫は 
自分に勉強させてくれてありがたいことなんだ、と
受け取るようにすることが正しいと思い、
自分に問題があるなんて考えたこともありませんでした。




そんな生き方で
ますます苦しくなり
心も身体もすり切れていくのは
まだ自分には足りない何かがあるせいで
それを手に入れさえしたら いつか問題は消えてなくなり
きっと人生がうまく回っていくはず・・と




もっと自分を
励ましてくれ、ポジティブにしてくれ、
元気にしてくれる
話題のセミナーに沢山通い
資格や認定を手に入れ
人気の講師の自己成長や自己啓発セミナーに参加し
有名な自己啓発本を山ほど読み漁り
スピリチュアルなスキルを身につけ


もっと人の役に立つ自分
もっと人に感謝される自分
もっと人に褒められる自分 
もっと人に称賛される自分
もっと人に必要とされる自分になって

価値のない自分の価値を高めるために
頑張る自分に価値があると認めさせよう、としていたのだと
わかりました。



ダメな自分、弱い自分、嫌いな自分を
完全に無視することを
頑張れば頑張るほど問題は酷くなるばかり
周りは問題だらけになっていく
子どもや夫や周りが



実は
ますます私の「役に立つ場面を増やしてくれてた」なんて、
なんて皮肉なことなんだろう!

 

私のために大事な人が

みんなで苦しんでくれていたなんて!

私がみんなを巻き込んでいたんだ!

 

全てが私に大事なことを気づかせてくれるためだったなんて・・・・」




あなたの日常では
どの様な結末になることがよくありますか?



あなたはいつまで
泣きじゃくり、癇癪を起し、足を踏み鳴らしながら
親に助けを求め
親にしがみついてる幼い子供の物語を演じ続けますか?