母が先日友人と出かけた時に
その友人がADHDだと話してくれたそうで
母は個性だと理解はしてくれていたが自分ではなんとなく腑に落ちない部分もあったんだけど
その友人との会話で知らなかった世界があったみたい。

苦手なところがとことん苦手だから
苦手と言うと
えー!そんなことないでしょ!!
って言われるのが辛い。

そして
もしわたしが普通だったならどれだけよかったんだろうかと思う。

と、彼女は言ったそうだ。

そこで母はわたしを個性だと思っているから大丈夫。
ではなく、そこには個性だけではない普通が欲しいわたしたちの本音が聴こえて納得したみたい。

わたしもその話を聞いて
わたしの事を代弁してくれたようにも思え嬉しかった。

出来るように見えちゃう。
だってコミュニケーションは普通だから。
出来ちゃうとこは特化して出来ちゃうから。
でも出来ないことはとことん出来ないのだ。
だから出来ないというと、そんなことないでしょーって言われても何も言えなくなってしまう。
だって普通の人は出来るから。
平均的にね。
私たちは出来る出来ないの差が激しいのだ。
出来なくないと言われたら、そこで努力して努力してけどミスして怒られまたミスをしてまた怒られ
結果的に二次障害でうつ病になった。



普通だったならどれだけよかったのか。
どんな人生だったのか。

わたしはADHDだから普通がわからない。
けど、みんなが出来ることがもし普通に出来ていたらもっと違うだろうな。
子供にだってもっと楽させてあげれただろう。

家事も出来ない、でもそれでいいじゃん。と、母は言った。
でも、出来ていたらと思うと辛いのだ。

みんながこなしていることが普通に出来ていたのならばどれだけ楽で幸せなんだろう。

だからといってどうしようもないんだけどね。

個性だからでは片付けられない何かがあるんだろうな。


でも母はそれをすっと受け入れてくれたみたい。
それだけでもちょっと違う。
友人にありがとう。
母にありがとう。


ポンコツだけど
出来ることは頑張るよ。