見えない正義に怯える弁護士と裁判官 | 無名弁護士の司法革命

無名弁護士の司法革命

裁判での解決では遅すぎる。
争いが起こってからでは遅すぎる。
どうすれば争いがなくなり、どうすれば人は幸せに生きられるのか。
本気で、本音で話します。
新しいモノの見方、新しい気づきがあれば、
人生も世の中も大きく変わるかもしれません。

司法の仕事をそれなりに長くやるようになると、一を聞いて十を知る感じになっていきます。
・ああ、このパターンね。
・ああ、よくあるこのテの事件ね。

・この件は原告側の主張のほうが肯けるな。
・これは原告の主張は行き過ぎだよね。


よく言えば、プロとしての勘、経験、自信。
悪く言えば偏見、予断です(笑)



そして、自分の偏見や予断と気づかず、かつ、プロとしての自信にあふれた人は、自分の偏見や予断に沿った事実や証拠にのみ目が向きます。
もし、偏見や予断が客観的にも正しければ、結果的にいい判決に繋がります。
でも、偏見や予断が客観的に間違っていれば、結果的に誤判に繋がりかねません。


ところが、どっちの主張にもそれなりに根拠があったり、どちらを勝たせる判決もそれなりにあり得る場合があるのです。
例えば、第一審の裁判官は原告を勝訴させたとします。
原告は裁判所に理解してもらえたと喜びます。
ところが、被告が控訴し、控訴審では被告側が逆転勝訴したりすることがあります。
被告はようやく正義が通ったと泣いて喜ぶでしょう。
原告は、この世に正義はないと絶望するでしょう。


この現実を知っている弁護士や裁判官は、やたらと和解を勧めることがあります。
だって、弁護士がいくら依頼者の主張が正しいと信じて最高の弁護を実行しても勝訴するとは限らないですもの。
裁判官がいくら正しい方を勝たせようと最高の判決を書いても、控訴審や上告審でひっくり返っちゃうかもしれないんですもの。


やたらと和解を勧められれば、事件当事者はこんなふうに思うかもしれません。
・なぜ自分の弁護士はこんなに弱腰なんだろう。
・なぜ自分の弁護士はこちらの不利な点ばかりを気にするのだろう。
・なぜ裁判官は自分たちに譲歩を迫るのだろう。
・なぜ裁判官は自分たちの言い分を分かってくれないのだろう。



でも、もしかしたら、弁護士や裁判官は、こんなふうに怯えているだけかもしれません(笑)
・証拠も説明も不十分で全く判断出来ないよ!
・これで裁判官を完璧に説得するのは無理だよ!
・こんな面倒な事件裁判所に持ち込むなよ、自信ないよ!
・どっちを勝たせても、上で判決がひっくり返されちゃうかもしれないよ!



もともと弁護士は勝つべき事件には勝ちたいのです。
もともと裁判官は正しい判決を書きたいのです。
つまり、正義なんかどうでもいいという人はこの業界にはあまり興味を示さないのです(笑)
例外はあるでしょうけど、ほとんどの司法関係者は正義を実現したくてこの道に入ったのです。
自分こそ、ちゃんと正義を見抜ける。正義を実現させられる…
だから、本当は、自分の正義が最後まで通用するかどうか見てみたかったりするのです。


なのに…


つの間にか、自分の正義がこの国の司法の最終判断と一致しないかもしれないことを怖れている。


自分の依頼者が敗訴確定したら、自分や依頼者はそれに耐えられるだろうか。
自分の判決が破棄されたら、自分や自分が勝たせた当事者はそれに耐えられるだろうか。


怖い…


和解なら、こんなプレッシャーから逃れられるじゃないか!
そもそも、紛争はどっちもどっちのところもあるし、どっちが勝ってもおかしくないんだから、痛み分けが一番いいのかもしれない!


勇気をもって判決で決着するのが正しいとか、正義に拘らないで和解するのが正しいとか言うつもりはありません。
判決で決着をつけたほうがいい場合もあれば、和解で決着をつけたほうがいい場合もあるのだと思います。


ただ、どっちに転ぶにせよ、その事件にかかわる弁護士や裁判官がこんなふうに怯えているかもしれない、ってことも頭の片隅に置いておきましょう。
そうすれば、この人達の言葉にそんなに傷つかないでいられます(笑)


100%完璧に客観的に正しいと判断できる神的存在がいないお陰で、紛争当事者だけじゃなく、弁護士も裁判官も最終結果に怯えているのです(笑)

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