自分勉強用






































































































2024年6月17日〜23日 

甲辰年庚午月壬子日〜戊午日



老人期を考える。


私が子供の頃は

「おばあちゃんの知恵袋」をよく目にしていたように思う。


お菓子の小袋パッケージに

へぇと思うようなライフハックが

描かれているものもあったし、


文房具のノートで

可愛らしいおばあちゃんの絵と共に

ちょっとした「暮らしの知恵」

が描かれているものを

友達からプレゼントしてもらったこともある。


私が子供の頃は

世の流れの中に

お年寄りは

人生の先輩であり敬う存在として

当然のように認識されていた感があったように思う。




時代を経て。


私がおばさんになって

ものの見方が変わったからか、

それとも現代のお年寄りが

昔のお年寄り程の貫禄がなくなってしまったのか、

すごいなぁと感じる方に

なかなかお目に掛からなくなったように思う。


マスクが無くなれば我先にと

ずかずか買い占めようとするお年寄り。

テレビがこう言っていたからと

信じてやまないお年寄り。

そんなに謝らなくても大丈夫ですよと思うほど

心配事が多くて迷惑かけてると思ってしまうお年寄り。





お勉強を進めていると、

やはりここにも

目紛しく変わる経済成長時代に

生きたことによる

発達の影響があることに気付く。


不確かな答えの無い現実の困難を

身につけてきた知識と経験で乗り越える能力である「知恵」というものが、

スピード重視する世の中の流れでは

ゆっくり自身の課題に向き合うことが出来ず

個人の中に育っていきにくかった

という弊害が見えてくる。


「知恵」という豊かさは

時間をかけて身につけていくのだろうね。




そう考えると、

子供の頃に

自分のおじいちゃんおばあちゃん達に

たくさんの知恵を私はいただいてきたのだと

氣付く。



母方のおじいちゃんは

人間で一番えらい人だと感じてた。

寡黙で仏教熱心だったおじいちゃんは

決して人を貶さない人だった。

母達の愚痴話も一緒になって非難しないで、

達観したお話をしていたように思う。



母方のおばあちゃんは

私が幼い頃に急に亡くなったから

何かお話した記憶がない。


幼い頃、

祖父母宅に行く時は

必ず酷い車酔いをしていたから

私はいつも寝ていた。

合間に

祖父母が造る小さな美しい日本庭園の

木々と鹿威を眺めるのが好きだった。


体調が良い時は

祖母と母と

祖母が作る小さな畑の野菜の収穫に連れて行ってもらっていた。

いろんなものを作っていたけれど、

背の高い色鮮やかな黄緑色の絹さやの収穫と

畑の側の水路で大根の泥を一緒に落とした

記憶がある。

植物の美しさと有り難さを教えてくれたのは

おばあちゃんだったんだ。



父方のおじいちゃんは

寂しがりやで心身が弱かったから

側には常にタバコとお酒があった。

広島東洋カープのラジオ中継とお酒がセットで

「けっぱれ、けっぱれ」が口癖だった。

つまみの小鰯のお刺身をよく分けてくれていた。


後に祖母から聞いたのは、

赤子の頃から父母がいなかった祖父は

「お父さんお母さんがいる」という事が

どんなに有り難くて幸せなことか

生前によく話をしていたそうだ。



父方のおばあちゃんは

身体は弱いはずなのに氣が強すぎる人だった。

一緒に住んでいた私に

「元氣が1番よ。

元氣があればなんでもできるんじゃけぇね。」

とよく話してくれていたし、

帰省したときは

必ずこの言葉を送ってくれていた。


この言葉が

どれだけすごい知恵なのか

歳を重ねるごとに

身に染みて感じる。

原爆後の焼け野原から

立派に暮らしを営んできた存在の説得力は

計り知れない。




知恵には

豊かさと剛さがある。


それは一朝一夕に

出来上がるものではない。


時間をかけて

時には悩み、時には喜び

丁寧に紡ぐものなのだろう。





そう考えると、

今の子供達に

知恵に触れる機会は

少なくなってしまっているのではないだろうか。


尊敬する存在

道を示してくれる存在がないのなら、

自ら感じて考えて

生きる術を創っていこうと

感じるのではないかしら。


そうすると、

不登校や登校拒否する子供達が増えるのは

自然な現象なのかもしれない。


もちろん

現象の背景は何かは

個人によるところだけどね。







先日の復習




氣の温存、六十干支 辛金、壬水


社会に出て若いうちは

いろんな事や人間関係を経験した方が良い。

世の中を「知る」には

とても大切なこと。


でも、歳を重ねて人生の後半になると

自分のキャパにおさまる氣の使い方をして

氣を温存する事も大切。


自分の性質を知って

上手く人生を歩むことが大切ね。



どんな事も

見方が代われば別の面も見えてくる。


辛金は努力しなければ

辛の良さは現れない。


石は時間をかけて出来上がるように

性質を時間をかけて自分で育てていくんだ。


水を得るように

喜びを得るように

行動を工夫していくんだ。


壬水は動き続けること。

水が腐らないようにしないとね。





養生訓


腎脾を養う事が大切。


お薬に頼るのではなく、

日々の生活を意識して行くことが大切ね。


自分の特徴を知って

自分の身体を活かすことね。





火地晋


世の中が明るく治って進んでいる様子。


明るくおさまっている時も

進む時は謙虚に進むこと。


焦らずに誠実に落ち着いて

進む事が大切のよう。


ふと思う。

組織の中の人間が

同じ方向を向いて進み続けるのは

難しい事なのかもしれない。


一部の人間だけで物事を進めていて、

どうしても他の人間を切らざるを得ない事態になることも

あるのだろう。


ここには書いていないけれど、

お世話になるご住職様の言葉が浮かんでくる。


「会社も結婚も同じです。

こまめに対話をとって育てていくことが大切です。」


時間をかけて

こまめに対話をとっていくことも

豊かな「知恵」になるのだろう。





焦ってはいけないんだ。


「豊かさ」は時間をかけて、

練って紡いで

創り上げていくものなんだろうね。