自分記録用

































































































































































































































2024年3月22日 甲辰年 丁卯月 乙酉日


お彼岸


お彼岸の頃は

ご先祖様と繋がりやすいのかもしれない。


お墓は

通いやすいところにおく方が良い。


何だかそう感じたんだ。






先週、お世話になっているお寺へ

個人的なことで相談に伺った。


御祈祷の前に

仏説阿弥陀経をあげていただいた時、

母方の祖父の阿弥陀経をふと思い出し

何故だか涙が溢れてきた。


阿弥陀経を私は自分で上げたことがない。

おつとめであげた方が良いのか

ご住職様にお聞きしたところ、

普段通りのおつとめで良いですよ。

とのことだった。



そして、

このお彼岸入りでこの涙の理由がわかった。





お彼岸参りには車を出してねと

両親から頼まれていた。


母方のお墓は伯父が墓守をしているから

普段、私達は参らない。


でも今回は、

山の上にある母方のお墓も

回って欲しいと母が言う。


伯父はしばらく遠方の家に帰っていて、

叔母達は膝や体調が悪くて、

このお正月も祖母の祥命日も

お参り出来ていないと言う。


母と私は年末にお参りしたきりで、

お正月以降、

誰もお参りしていないことがわかった。


叔母がどうしよう…と相談してきたことで

母も気になっていたと言う。


どおりで

おじいちゃんが寂しがっていたんだ。




午前中、

父方のお墓にお参り。


父方のお墓は

祖父の親戚も母も頻繁にお参りするから

お墓のお花が絶えない。


着いたのも彼岸入りの午前中だったのに

既に誰かがお参りしていた。


おじいちゃんもおばあちゃんもおじさん達も

寂しくないね。


おばあちゃんは相変わらず

活動的な様な氣がするし。





ぐるりとまわって母方のお墓に着いたのは

夕方になる頃だった。


母がお墓の前に立った時、

「〇〇子がやっと来たかぁ。」と

おじいちゃんがぱぁっと安心するのがわかった。


子供達はもう立派な高齢者。


いくつになっても

子供は子どもなのだろう。


仏教熱心で寡黙だった祖父だけど、

生前は

娘達の嫁姑問題の愚痴聞きや相談に

応じてくれていたそうだ。


おじいちゃんが生きていたら

人生観やいろんなことを語り合ってみたい。


「お陰様で頼もしいご縁を頂いているよ」と

手を合わせた。






お彼岸は

ご先祖様と繋がりやすいのかもしれない。


そして

顔を合わせるのは大切なことだと思う。


それは、

目に見える存在であろうが

見えない存在であろうと

変わらない。


こうやっていられるのは

身の回りのお陰様であるのだから。


時々、顔を出してかわすことは

お互いに安心できるものだもんね。