自分勉強用











































































































































































































































































































































































































2026年1月24日 乙巳年 己丑月 戊戌日



氣付けばもう1月後半だ。


ちょっと

書きながら

ここ最近の学びと乙巳1年間の振り返りを

整理してみる。





体調は元に戻ったけれど、

心の調整をとれる

お参りやお仲間との集まりや勉強会に

タイミングが合わず

参加できなかった。


年々、身に与えられている課題が

ハードになっていく氣がする。


漢方の知識が身につきてきているから

多少の体調の崩れは何とか出来るでしょ?

と言われているかのようだ。


最近は

職場の陰口三昧環境から

出勤する度に

げんなりした気分を持ち帰る毎日だった。


今は何を学ぶ時なのだろう?と

観察感覚とあらゆる知識を引っ張ってきて考えて、

「あぁ、こういうことだったのか」と

人々のその人のこころの構造と組織の体制構造がわかるようになってきた。


問題が起こっていると感じる事柄は

組織全体の在り方の一部が

表層に出ているにしかすぎない。


人はそこに順応しようと

その人なりにもがいているだけなのだ。


頭ではわかっている。


この場合の手の施し様も

何となく想像はできるけど、

立場上、施すとデメリットの方が大きすぎる為

アンパイな行動に留まる。


で、

自分の霊的精神性のご機嫌とりは下手くそで

げんなりを解消出来ずにいた。


家でお勉強をしていても

現実の次元と結びつけれない

自分の未熟さともどかしさを感じていた。


本当は

人それぞれの良さをみていたいのに。


荒むこころを

音楽に浸って逃げていた。



この年代の音楽は

こころを軽くしてくれるナとか、

このアーティストさんは

こんな感じだなとか

自由に浸っていると、

やっぱり

自分の学びに結びつけてしまう。


私の好きな

仲の良いグループバンドの中でも、

付き合い方の仲の良さによって

中心人物のこの人は甲木さんなんだなぁとか

あぁこのバンドは己土さんなんだなぁと、

その特徴が楽曲となって現れることに

氣付く。


甲木さんの真っ直ぐな芯の強さを

メンバーが尊重して

我武者羅に付いていって、

かと言って

甲木さんがボキっと折れないように

成長できる様に見守って

共に歩んでいる様子が

楽曲に希望や優しさや意志の剛さを含ませる。


己土さんの誰でも足を踏み入れられる

安全地帯を広げる為に

メンバー達もその一帯であって

安定感抜群な様子が

楽曲に希望や「何があっても大丈夫」という慈愛を馴染ませる。


そう浸っていると、

自分は人をみて

ふふっと和んで喜ぶのが好きなのだと

氣付かせてもらえる。


純粋さと直向きさを

分けてもらえるのが

ありがたい。


自分の好きなものを

知れたんだ。


自分のご機嫌取りは必要だね。







乙巳年の1年間を振り返る。


この1年間何があったかなぁと振り返ると、

世間では

お米問題と熊の出没問題が印象的だっただろうか。


暮らしや生きる本質って何なんだろう?と

考える人が多かったのではないかしら

と思う。


それらも含めて

私の中では

「和」とはどういう事なのか?を

学ぶことが中心になったと感じる。


家系の因縁とはどういうことなのか?

に始まり、

ダイバーシティ、インクルーシブな多様性の違いや

それらを実現すべく

よりよく在る姿とはどういう事なのか?

大多数の人が興味を持つ分野に足を突っ込んでみたり、

多様な働き方とは?とか

霊的精神性の構造とは?とか。

魂の配慮とはどういう霊的精神的姿勢なのか?

と。


それら全体を通して

耐えられる心身づくりをどうすれば良いのか?


多様な学びを経験させていただいて

ゆっくりゆっくり醸成する乙巳年だった。






「乙巳」そのものは

根の無い接木の姿を表す。


根である本質に

目を向けさせるための年だったのかも知れない。


柔軟さをもった勢いある姿を

示させたかったのかもしれない。



一方で、

私マムというフィルターに通すと

禄存星天極星、

広い範囲の愛情奉仕にお人好し年

といったところだろうか。


大運の鳳閣星天馳星への突入も相まって、

次々と

「世のため」にどうしたら良いのか?が

私には繰り広げられたわけだろう。




次は「丙午」

強烈な真夏の太陽の姿だ。


この灼熱のエネルギーは

何年もずっと続くわけでは無い。


その事を知っているだけでも、

そして

自分というフィルターに通すとエネルギーは変わるんだよ

ということを知っているだけでも

処世術は落ち着いて出来るだろう。


世の中の出来事の見た目だけで

右往左往しない事がポイントとなるかもしれない。


これは自分への戒めでもあったりする。


師の言葉を借りれば

「坤為地」のこころだ。


牝馬の貞に利ろし。


牝馬は非常に従順な動物だ。

だか、イエスマンではない。


自分の立場を弁え

周りの状況をよく観察し

相手の人となりを観て

自らの判断を含んだ従順な行動をとる。


これは自分への戒めでもある。

氏神様でも同じような言葉をいただいた。


そして信心だね。


私の牽牛が暴走しないように

気を引き締めることが必要になるのだろう。


私にもこの学びが未熟である

ということに

身に覚えがある。


別に怖がる必要はない。



「牝馬の賢さを学んでいく」

その姿勢が

今必要な時期だと

いうことなのだろう。