ペナン島-バンコク
マレーシアのペナン島からフェリーでマレー半島へ戻る。対岸の町バタワースまでは船で15分程度、フェリーの料金も無料だった。船上には通勤や通学の人たちが、多く対岸へ渡ろうとしていた。このフェリーは日本でいえば、広島の尾道と向島を行き来するフェリーのようなものなのだろう。
バタワースの駅から、バンコク行きの鉄道に乗る。鉄道は寝台列車で、翌日バンコクへ到着する予定だ。待合室で鉄道を待っていると、混み合うその中に日本人を2人見かけた。30代後半くらいの2人の男は、この駅でたまたま会った他人同士らしく、お互いの職場が阿佐ヶ谷だとか幕張だとか、北千住がどうのこうのだとか、そんなことを話していて、私はマレーシアまで来て「阿佐ヶ谷」とか「幕張」とか「北千住」とかの話をしたくなかったので、特に話かけもしなかった。
鉄道の中では、その2人の日本人も同じ車両に乗っていた。私はこのまま気付かれずにバンコクまで着きたいと、自分のベッドに足を伸ばしながら日記を書いていると、「すみません、日本人ですか」と声を掛けられた。ああ、気付かれてしまった、と渋々ノートから顔を上げると、あれ、そこに立っているのは西洋人の青年である。金髪は肩まで伸び、髭の伸びた感じから旅人と思われる、まるでカート・コバーンのような男が、ブルーの瞳で私を見つめ、外国人特有の日本語で「日本人ですか?」と言っている。私は慌てて「そう、日本人」と答えた。
彼はノルウェー人で、名前はゲイルといった。2年間の旅をしている最中だという。以前日本に2年間住んでいたこともあるという。ゲイルは私に、出身はどこ?と訊くので、私は東京だと答える。すると東京のどこだ?と訊くので、私は新宿だと答える。さらに新宿のどこだ?と詳しく訊く。ちなみに私の出身を細かく言えば、
鉄道の中、私はゲイルと話をして過ごした。彼は最近読んだ日本文学の話を始めた。村上春樹の『海辺のカフカ』が良かったこと、それから金原ひとみ、綿矢りさにはまだ未熟さを感じたこと、それから三島由紀夫、夏目漱石についてと、次々日本人作家の名前が出た。特に好きなのは?という私の質問に、ノルウェー人の青年は「2人いる。大江健三郎と安部公房だ」と答えた。『セブンティーン』と『砂の女』が好きだと言う。
話は尽きなかった。文学から映画になり、スタンリー・キューブリック、タルコフスキー、ラース・フォン・トリアー、クリス・カニンガム、ヤン・シュワンクマイエル、宮崎駿、北野武、黒澤明、小津安二郎、大島渚…。映画から音楽になると、エイフェックス・ツイン、スティーブ・ライヒ、テリー・ライリー、ジョン・ケージ、武満徹、レディオヘッド、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、三上寛…と、あらゆるテーマで熱く語り合った。
翌朝バンコクのファランボーン駅へ付くと、ゲイルと他に、同じ車両に乗っていたイギリス青年とマレーシア人女性のカップルと4人で、タクシーをシェアーし、ゲストハウスの集中するカオサン通りまで行った。カオサン通りは喧騒に満ちていた。物凄い人で、そのほとんどが西洋人だった。通り沿いのパプやレストランは、西洋人で溢れかえっており、タイに来たとは思えない光景に驚いた。
宿を探す前に、タクシーに乗ってきた4人で、レストランに入り食事をした。イギリス人男性が私に「京都と東京の違いを説明してくれ」と言ってきた。私は瞬時にどう説明したらいいかわからず、戸惑うと、横からゲイルが英語で簡潔な説明し、その説明にイギリス人男性も納得した。私は日本人として恥ずかしい思いがした。続いてマレーシア人女性が『千と千尋の神隠し』が面白かったという話をし、イギリス人男性もゲイルも、それに頷いていた。
私には不思議でならなかった、というのはノルウェー人青年が大江健三郎の『セブンティーン』や安部公房の『砂の女』を面白いと言ったり、マレーシア人女性が『千と千尋の神隠し』を面白いと言ったりすることが、本音なのかどうか疑いたくなるのである。私には『セブンティーン』も『砂の女』も『千と千尋の神隠し』も、正直な話、そこまで面白いと感じられない。私はそれを恥じながら告白する。私には何かが欠けているのか。私は感じたい、外国人から「凄い」「素晴らしい」と評価される部分を、私自身も同様に感じたい。しかし、それがどの部分なのか、それらの作品を享受しても、発見できないのである。
タイのレストランでカレーを食べながら、ノルウェー人、イギリス人、マレーシア人と4人で話をする日本人の私が、そのテーマに出てくる自国のカルチャーについて、もっとも享受する感受性が乏しいような思いに襲われた。私は自分が情けなかった。