チェンマイ
タイ北部の町、チェンマイで泊まったゲストハウスには、日本人の旅人が置いていった本がたくさんロビーにあった。日本を離れて、ちょうど活字に飢えていた頃だったので、それは嬉しかった。私は本棚を物色する。ランボオの「地獄の季節」を手に取る。部屋に戻り、ベッドに横になりながら読む。宿の隣のバーから、大音量のボブ・マーリーが聞こえてくる。
ボブ・マーリーを聞いたのは、20歳前後の頃だった。高校時代の友人が、深夜のファミリーレストランで、ホープを美味そうに吸いながら、マリファナとボブ・マーリーの素晴らしさを語っていた。教員になるための大学とも言える学芸大に進学したはずなのに、彼の耳にはやたら多くのピアスがついていて、とても教員の卵とは思えない風貌になっていた。彼は高校時代、進学校のつまらない学生たちの中で、特別に私が面白いと思っていた人間だった。彼は卒業文集に、平気で次のような文章を寄稿した。
18歳になった。だから、先日レンタルビデオやにアダルトビデオを借りに行った。レジにビデオを持っていくと、店員に断られた。なぜだ、俺は18だと食って掛かったら、店員は申し訳なさそうにこう言った、「申し訳ありません、しかし、PTAに高校生への貸し出しは止められているんです」と。俺は怒り心頭し、「PTAって何だよ!」と怒鳴り、そして自分は生涯、PTAと戦うことを決意した。
そんな彼に、高校卒業後に深夜のファミリーレストランで再開した時に、彼は私にマリファナとボブ・マーリーをしきりに薦めてくれた。ちょうどロック以外の音楽を聴き始めた私は、さっそくボブ・マーリーのレゲエを聴いてみた。しばらくはどこへ行くときもCDウォークマンで聴いていた。しかし、彼のようにそこまで夢中になることはなかった。ロックが基本にある私にとっては、どこか退屈な音楽に感じられたのだ。
しかし、それから10年。ここチェンマイで聞くボブ・マーリーは、最高に良かった。最高に心地よかった。彼がマリファナで得た陶酔感に似た感覚を、私はチェンマイのゲストハウスで感じていたのかも知れない。何にも縛られることなく、私は気持ちの赴くままに旅を続けている。ビールをラッパ飲みしながら、久々に触れる活字の世界。そして遠くから聞こえてくるボブ・マーリーのレゲエ。それはとても、まろやかな時間であり、非日常的な心地よさが充満していた。
私は「地獄の季節」と向き合う。それは非常に難解な文章だった。おそらくこれを理解することは、ランボオ本人か、または彼の分身のような、同じ感覚を内面に持った人間でない限り、不可能であろう。なぜなら彼は、何も読み手を意識せず、ただ自分の中に渦巻く激しい言葉を、書き殴っただけであるから。そこには思春期の激しく、痛々しいエネルギーを感じることはできるが、その言葉の内容を理解することは、不可能に思われた。にもかかわらず、私がそんな本と向き合おうとしたのは、それが、まるで自分の高校時代の日記と似ているなと感じたからである。そこには何の論理もない、説明もない、秩序が一切ない、ただ吐き出さねば気が狂いそうになる激しい内面を、言葉で書き殴ることで、吐き出したものに過ぎなかった。その「排出物」に対して、歴史的に価値がついたのが、ランボオの詩であると私は解釈する。
ランボオの詩は、村上龍の小説や、ジャン・リュック・ゴタールの映画の中でたびたび出会ってきた。意味はわからないが、何となくかっこよく感じたのは、それらの作品のイメージとオーバーラップするからだろう。村上龍の『69』の中でランボオの詩が出てくることにより、それはどこかロックなイメージを帯び、またゴダールの『気狂いピエロ』の中で出てくることにより、それはおしゃれなイメージを帯びていた。
また、見つかった
何が?
永遠さ
それは行ってしまった海さ
太陽といっしょに
「地獄の季節」を読み終えると、何の余韻も残らなかった。ただ、自分の高校時代を思い出していた。私は高校が嫌いだった。英語の時間、好きな映画についてスピーチしなければならなかったので、私はゴダールについて語った。その数日前、2本立てで『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』を近所の名画座で観たばかりだった。どちらもさっぱり意味がわからなくて、退屈以外の何物とも感じなかったくせに、ヌーベルバーグは最高だと、知ったようなことを偉そうに語った。そしてランボオの詩を引用するセンスのよさ、それが映画に含蓄を与えていると、ただ意味がわからなかったくせに、偉そうに語ったのだった。高校が嫌いで、学歴一辺倒な奴らを、いつでも煙に巻いてやらねば気が済まなかった。
思えば私の卒業文集に寄せた文章も、PTAと戦うことを宣言したあの友人と同じく、アナーキーなものだった。私はただ一言、「FUCK」と書いて高校を去ったのだった。