嫌味なほどの快晴だった。気温も高すぎず、まさに小春日和というにはこれ以上ないほどの晴天。
そんな気持ちよい天気だと言うのに、俺にはソレが疎ましくて仕方が無い。
4月に入り、学校なり職場では新しい日々に胸を躍らせている多くの人たちが居ると言うのに。そんな季節だと言うのに。
俺にとって、何よりも大切だった。守ってやらなくちゃいけなかったヤツ。
日浦葵という名の少女の葬儀が、ひっそりと行われた。
二十歳の誕生日を目前に控えた4月8日。彼女は・・・逝ってしまった。
葬儀に参列した人たちは、誰もが鎮痛な面持ちをしていた。
だが、涙を流す人は殆ど居らず事務的に参列しているのがよく分かる。それはそうだろう。誰一人、葵と直接面識があったわけじゃないんだから。
着慣れない礼服の胸ポケットからタバコを取り出し、一本を口に咥えて火をともす。スッと一息肺に煙を送ると、途端に頭がグラついた。
二日前から一睡もしていなかったから、体が随分参っているらしい。ヤニ酔いなんて随分と久しぶりな感覚だった。
寺の縁側に腰を落ち着けて、もう一度周囲を見渡した。葵や俺と同じ年頃の参列者などまったく無い。おっさんとおばさんばかりが目に付く。
葬式ってもんは、こういうものだったっけ?と不思議な気持ちになる。
過去に何度か親戚などの葬式に出た事はあった。高校の時には、隣のクラスの知らない誰かが死んで、学校葬が行われた事もあった。
その時は、親しかった奴らが目に一杯の涙を浮かべて、嗚咽を漏らしていたというのに。死んだ人の事を思い、思い出話をしていたと言うのに。
葵が逝っても、誰一人として泣いたり、思い話の一つも語らない。
なんて・・・・寂しい光景なんだろう。
「誠くん?」
しばらく呆然としていたら、見知った女性に声をかけられた。葵の担当をしていた看護婦さんで、俺も随分世話になった女性だ。
「あぁ、どうも」
ほとんど吸わずに根元まで灰になってしまったタバコを携帯灰皿に押し込みながら適当な返事を返す。
顔を上げてすぐ、俺は少しだけ嬉しくなった。
その看護婦さんは今はそうではないけど、確かに涙を流した跡が残っていた。両目を真っ赤にさせて、目じりの部分の化粧も若干剥がれ落ちていた。
この人は、葵の為に涙を流してくれたんだ。葵が逝ってしまった事を、ちゃんと悲しんでくれたんだ。
「誠くん。私が言って良いものか分からないけど。元気を・・・出してね」
「ありがとうございます。・・・・でも、今はまだちょっと無理そうです」
元気を出して。その言葉が嬉しくて、なんとか笑顔で答えようとした。ただ、本当に笑えていたか自信が無かった。
そんな言葉をかけてくれるってことは、俺の顔は相当参った表情をしていたと言う事だろうから。
「葵ちゃんにとって、誠くんは他の誰よりも一番心を許していた人だから。今日、誠くんに見送ってもらえて喜んでいるはずよ」
「死んでしまったのに喜んでいるってのは・・・なんか妙な感じですね」
少し自嘲気味に話て、また空を見上げた。
雲ひとつ無く、風も穏やかな晴天。嫌味なほどに澄み渡っている空。
「こんな日は、雨くらい降って欲しいですよね。葵の事を悲しんで、せめて空くらいは泣いてくれててもいいのに。その涙雨で、俺の分の涙を流し去ってくれればいいのに」
「誠くん・・・・・・」
俺は縁側に寝そべって、ゆっくり瞳を閉じた。光を遮り視覚情報を切り離し、今の刻を忘れて昔に思いを馳せる為に。あの頃の記憶を、鮮明に思い出すために。
葵に初めて出会ったのは今から5年前の春。
高校に入って必死にバイトで溜めた金で買ったバイクを乗り回し、その挙句に事故を起こして右足を骨折して入院した時の事。
リハビリの為に歩き回っていた病院の中で、葵と初めて出会った。
始めに感じたのは驚きだった。病院の真っ白な壁。白衣。ベットにシーツ。入院してから嫌と言うほど見てきた白という色。
葵は、そんな白よりもっと透き通っていて、まるでファンタジー小説の中から出てきた妖精のように見えた。
ただ一点。唯一白ではなかったのが瞳の色。光の加減で赤や茶色に見える不思議な色をしていた。
あまりにも幻想的で、俺はしばらくの間バカみたいに口を開けて見入ってしまっていた。
声をかけてきたのは葵の方だった。少しおどけた感じに『私って珍しいでしょ。全身真っ白けで、瞳だけ変な色をしていて。私を始めてみた人は大抵あなたと同じような顔をするんだ』と。
突然声をかけられて、俺はなんと切り出したらいいか焦ってしまった。そして口を裂いて出てきた言葉が『綺麗で見とれてた』という馬鹿恥ずかしいセリフだった。
ソレを聞いた葵は声を上げて大笑いし、俺は必死に弁解しようとさらに必死になってしまった。だから、あの時の会話の内容はよく覚えていない。
それがきっかけで、俺と葵は友達になった。俺より2歳年下で、今まで一度も学校に言った事が無い事なども教えられた。
ただ、自分の病気の事については一切自分からは話さなかった。だから俺は自分で調べる事にしたんだ。葵の病気の事を。
病名はすぐに分かった。いや、病名と言ってしまっていいのか、未だによく分からない。
葵はアルビノだった。アルビノとは、人を含めた生き物が当たり前のように持っている色素(メラニン)が産まれた時から少なく、肌の色や髪の毛が白く、瞳の色なども薄く透き通ったようになる常態を指す医学用語だという。
そして葵はまったく色素を持たない、全身型のチロシナーゼ活性陰性型だった。
アルビノ患者は紫外線に弱い。色素をまったく持たない葵にとってはまさに命に関わることだった。常人に比べ皮膚ガンにかかりやすく、日の光にさらし続ければ皮膚は赤くなり、時には水泡が出来てしまう事もある。
外に出る時は紫外線を通さない雨合羽のような服を着込み、サングラスをつけなくてはならなかった。普通の日常生活を送る事などは無理に等しく、学校に通う事だって出来ない。
協力体制のある学校を見つけることなどは困難で、それにたとえ通えたとしても、普通の子供たちと同じ生活を送る事などは出来やしない。
日の当たらない薄暗い教室から、そとを元気に走り回る同い年の子供たちを、ただ見ていることしか出来ない生活などが、幸せであるとは到底思えない。
なにより、葵はアルビノであると同時に体が弱かった。
だから一度も学校に行った事もなく、今までずっと病院で一人で過ごしていた。友達の一人も出来ないままで・・・ずっと。
俺の退院が決まった日、葵はずっと元気がなかった。
何を話しかけても「うん」だの「そうだね」といった空返事を返してくるばかり。どうも様子がおかしいと問い詰めてみたら『だって、もう誠くんとは会えないから』と。
そして封を切ったように泣き出した。服に一杯の涙を落として。
だから俺は葵に言ってやった。このセリフは今でもよく覚えている。このセリフを言ったあとの葵の顔が、とても印象的だったから。
『なに言ってるんだよ葵。俺達は友達だろ?なんでもう会えなくなるんだよ。これからだって毎日顔見にきてやるよ』
俺がそういうと、葵はしばしポカンとした表情をしてから、唐突に俺に飛び込んできやがった。友達って言われた事が嬉しかったのか、俺の服まで葵の涙でびしゃびしゃになった。
言葉どおりに、俺は毎日学校が終わると葵の病室に訪れた。相変わらず薄暗く仕切られた病室だったが、お袋さんが毎日取り替える花のおかげでいつも違った香りがした。
その日学校であったこと。最近読んでいる漫画の話。ツーリングで撮ってきた写真を見ながらの土産話。その一つ一つを、葵は嬉しそうに聞いていた。
葵が率先して話す場合の話題は、主にゴスペルに関する話が多かった。
葵の入院している病院はかなりの広さがある所で、病院内に図書室やら教会まであった。
治りにくい病気をもつ患者が多いこの病院では、退屈しのぎの為にサークル活動のような物があって、葵はゴスペルのサークルに入っていた。
教会がある病院とだけあってかなり本格的で、月に1度礼拝堂でコンサートが行われている。毎回大盛況で、俺も毎回足を運んだ。
コンサートの時にだけ着るシスターのような服がよく似合っていて、それを褒めると真っ白な肌を真っ赤にさせてよく照れていた。
まぁそれだけじゃなくて、葵の歌声は本当に綺麗だった。澄んでいて、それでいて温かみのある歌声。
大げさな言い方かもしれないけど、本当にプロと言ってもおかしくないく程だった。
コンサートでは、毎回歌われる歌が一つあった。「Amazing Grace」神への賛美歌。有名な歌であり、誰もが一度は耳にしたことがあるであろう曲。
歌われるのは決まって最後。まさにとりを飾るに相応しい歌だった。
葵もAmazing Graceが一番のお気に入りで、よく誰も居なくなった図書室で聞かせてくれた。
俺一人のための独占コンサート。よく看護婦さんにバレて『図書室では静かに』と二人で怒られもした。
俺の記憶の中で、葵はいつも笑っていた。泣いていた姿を見たのは俺の退院が決まったあの日だけ。
毎日たくさんの事を話し、笑って、時には喧嘩もしたり。
色々な約束事をさせられて、俺は律儀にその約束を守った。
いや・・・・。そういえば一つ、まだ果たしていなかった約束があった。
もう果たす事が出来なくなってしまった約束。いつか二人で旅行に行こうといった約束。
その約束を果たす前に、葵は逝ってしまった。
葬儀が終わり葵の入った棺桶を焼き場に移し、参列者の見守る中。ゆっくりと葵は炎の中に消えてしまった。
今までずっと堪えていた涙が、どうしようもなく溢れて、俺は馬鹿みたいに泣いた。
多分俺は、今の今まで葵の死に向き合えていなかった。それが、今ようやく理解できた。どうしようもないほどの現実と、葵の身が焼かれる残酷なまでの真実が、俺に気づかせた。
葵は死んだのだ・・・と。
「・・・・誠くん」
「うっく・・・・お・・おばさん・・・。俺・・・ぐっ・・うっ・・お・・俺・・」
後から後から流れ出す涙のせいで、ちゃんと話す事が出来なかった。
そんな俺を、葵のお袋さんは力強く抱きしめてくれた。
周りには参列者がまだ居て、本当は情けないくらい恥ずかしいはずなのに、抱きしめてくれるおばさんの気持ちが嬉しくて、俺はしばらくそのままで泣き続けた。
「葵の為に泣いてくれて・・本当にありがとうね。いつもあの子の傍に居てやってくれて・・・・・本当に・・ありがとうね」
おばさんもいつの間にか泣いていて、俺には何も言う事が出来なかった。
泣いてやる事が、葵のためになるのなら、いつまでも泣いてやろう。
葵の為に泣いてくれる人が少ないのなら、俺がその分も泣いてやろう。
そう思って、俺は枯れ果てるまで涙を流し続けた。
それから数日後。俺の家に小包が届いた。
差出人は葵のお袋さんで、手紙が一通添えられていた。
形見分け、という事らしく、小包の中には俺のよく見知った多くの品が入れられていた。
まだ葵の温もりが残っている、大切な思い出の品。
送られてきた物を一つ一つ手にとって、俺は誰もいない部屋で葵に話しかけるようにその思い出を語っていった。
時間はたっぷりあった。なにせ毎日の週間だった事が、ぽっかりと穴が開いたように無くなってしまったから。
最後に出てきたのは、分厚いファイルだった。それは葵が参加していたゴスペルサークルで歌う曲の楽譜を挟んでいた物で、随分な量になっていた。
「葵。こんなにも色々な歌を歌ってたんだよな」
パラパラとページを捲っていくと、ある曲の楽譜が出てきた。
【Amazing Grace】
葵が一番好きだった曲。よく俺に歌って聞かせてくれた思い出の曲。
「・・・・もう、これも聞けなくなったんだよな。こんなことなら・・・テープにでも録っておくんだったな」
楽譜を読むことは出来ないけど、ゆっくりと歌を口ずさみながらページを捲っていく。
何度も聞いているうちに自然に俺も歌えるようになっていた。葵に比べたらヘタクソな歌だったが、それでも歌い続けた。
最後のページを開くと、間に挟まっていた一枚の紙が床に落ちた。
何気なく拾ったソレを見て、俺は息を止めた。
Amazing Grace 遥か彼方 キミを連れて行こう
遠い空を 超えて二人で
あの日夢見た場所へ
あの日の事を キミは覚えていますか?
私は今でも覚えている 色鮮やかに思い出す事が出来る
暗い闇の淵に居た私に そっと手を差し伸べてくれたキミの顔を よく覚えている
あの日 私の世界が変わった
暗く色あせた世界に キミは光を運んでくれた
たくさんの色を与えてくれた
両手で支えきれないほどの思い出をくれた
いつだって 私の傍に居てくれた
あの日の約束 キミは覚えていますか?
いつか二人で 空を越えた遠くの国に 共に行こうと言ってくれた
毎日の他愛の無い会話の中に 新しい話題が増えた
どこの国へ行こう? そこはどんな場所だろう? どんな人たちが暮らしているだろう?
そんな夢物語 キミはいつだって真面目に聞いてくれた
その日が いつか必ず訪れると信じて
夜が訪れるたびに 私は考えていた
神様に命を与えられてから 今日までずっと
私が産まれて来たのに どんな意味があるのか?
私は何をするために 産まれてきたのだろうか?
それはとても恐ろしい問いだった
意味などないのかもしれない 何も出来ずに この命は果ててしまうのかも知れない
そんな事ばかりを考えてしまう夜が 私は怖かった
朝の訪れが 待ち遠しくて仕方なかった
窓に日の光が差し込む頃 いつだってキミは傍にいてくれた
優しい声で 私におはようと言ってくれた
たった一言の言葉が こんなにも嬉しいと思えるのは
それがキミの言葉だったから
もう一度私は考える
私の産まれてきた意味 私が産まれてきた理由
それはきっと キミに出会うためだったと
今までずっと 私の傍に居てくれてありがとう
私を暗闇から救ってくれて 本当にありがとう
私の世界に たくさんの色を与えてくれてありがとう
たくさんの思い出を ありがとう
いつかきっと 二人一緒に あの空を越えた場所に行こう
その場所に暮らす人たちに 会いに行こう
新しい思い出を 作りに行こう
大好きな キミと一緒に
いつの間にか、俺の瞳からは涙が溢れていた。それは数日振りの涙だった。
葵は昔から洋楽の歌詞を日本語に直すのが好きで、ゴスペルを指導していた人も感心していた。
多分コレも、最初はそういう意味で書いたんだろう。だけど、途中からはただの詩になっている。
メロディーラインには一つも乗せられない、ただの詩だ。
だと言うのに・・・・
「馬鹿・・やろう・・・・。何・・書いてるんだよ・・お前・・・・。こんな・・・・こんなどうしようもない・・・・」
泣きつくしたと思っていた涙が、どうしようもないくらいに溢れ出す。
葵の書き残したその一枚の紙を胸に押し付け、声をあげて泣いた。
空を超えた場所に行ってしまった、葵の元に届くように。
祈りを込めて・・・・・
(あとがき)
短編SS三作目です。なぜか最近登場人物が死んでいるSSばかり書いているような・・・。
今回のテーマにした「Amazing Grace」は白鳥英美子さんのアルバムを職場の知り合いに借りて聞きながら書きました。いやぁ~改めて良い曲だと思いました。
さて、次は明るめのSS書こうかな(汗)