子どもの教育について考える父親のブログ

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子どもの才能を最大限まで伸ばすために親は何をすればいいのか?どういう教育がいいのか?外国語教育は?子育て・教育に正解はない!というけれど失敗も許されない。子育て・教育は真剣勝負です。でも、おもしろい!

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再びマルコム・グラッドウェルの「天才!」から。


著書の中で富裕層の子どもは将来もビジネスや職業で成功者となる確率が高く、貧困層は収入の低い職業に甘んじる現実に触れている。


富裕層の子どもは教育面でもちろん、貧困層の子どもたちより進んだ教育を受ける機会に恵まれるが、著者は子どもの将来の成功は富裕層の「権利意識」にあると指摘している。


富裕層の家庭では親は権威に対して自分の権利を要求するが、貧困層は権威に対して服従することが多いとしており、それを身近で感じる子どもたちは大人になってからも親と同じ行動をとるためそのまま人生の成功者とそうでないものに分かれてしまうという。


富裕層の親たちは教師や医師などの権威に対して自分たちの要求をしっかり伝える。自分たちの権利を主張する。自分たちにとって望ましくない状況は抗議するなりして現状を自分たちの望むように持っていこうとする。反対に、貧困層は権威に弱い。教師や医師からの言葉を絶対と受け止め、現状を自分たちに好ましいものにするための要求をしない。著書では貧困層は権威に委縮し、教育も人任せ、そしてすべてにおいて遠慮がちであるとし、反対に富裕層はすべてにおいて自らの介入を求め、状況をカスタマイズするとしている。


権利意識が強すぎるとエゴ丸出しの姿を子どもたちに見せることになるので微妙なところだと思うが、あまりにも権利意識がなさすぎるのも問題であるということだろう。特に、状況が不利に働いたときはしっかりと「自分の望む状況がこうであるからこうしてほしい!」と相手に、たとえ権威であったとしても、伝えることは必要だ。


「求めよ、さらば与えられん」はアメリカ人の好きな聖書の言葉だが、実際に求めなかったら何も得ることができないのがこの世の中だ。


アメリカ人の「権利意識」をそのまま日本の社会に持ってくるのは和を乱す恐れもあるが、やはり子どもは親の姿を見て育つ。注意すべきポイントだと思う。

マルコム・グラッドウェルの天才を読んだ。そこでKIPP(Knowledge is Power Program)と呼ばれるニューヨークにある中学校が紹介されていた。


その学校が注目を集めているのは貧しい家庭の子どもが大半であり、入学は無作為の抽選で決められている公立校であるにも関わらず、そこで学ぶ生徒の数学や読解力の成績が高く、卒業生の大半が奨学金をもらって高校へ行き、その後、大学へ進学する点だ。大学へ進学する生徒の80%はその家庭初めての大学進学者となる。


KIPPの特徴

・授業時間がとにかく多い。土曜日も午前中は授業があり、夏休みも3週間、授業が設けられている。

・クラスの規模は比較的大きい。少人数主義が主流となる中で大クラス主義をとっている


KIPPのモデルとなっているのは日本や韓国の学校であるという。


日本や韓国の生徒は数学の成績がいいが、それは授業時間の差であるとKIPPでは認識する。授業日数でみると、日本は年間243日(現在は悪しきゆとり教育の影響で土曜日は休みの学校が多い)、韓国220日に対し、アメリカは180日であることに注目し、学力の差は単に勉強量の差であるとの仮定の下で学校のカリキュラムは組まれている。そして、その教育がしっかりと成果を上げている。学校に入学してくる生徒が貧しい家庭の子どもたちで入学試験を課していないことを考慮するとKIPPの仮定通り学力の差は単純に勉強時間の差であると考えることは理にかなっている。


日本が「ゆとり」教育を掲げている間、日本をモデルにした学校がアメリカで成果を上げ注目を集めていることは非常に興味深い。


日本は戦後、欧米に倣えでやってきたが、そろそろそれはやめにしてもいいのではないか?今は日本の文化やファッション、日本食など日本に倣えしているのが欧米の状況だ。もう少し、自分の国に自信を持つ必要がある。

佐藤優の獄中記を読んだ。


刑務所では3冊の書籍しか持ち込みを許可されておらず、常に1000冊もの書籍に囲まれて生活していた著者は最初、耐えることができるかと心配だったそうだが、書籍へのアクセスが限られた状態にもメリットがあることに触れている。著者は独房の中でドイツ語やラテン語の勉強をしていたが、限られた数の参考書でも十分に成果を上げている。


著書の中で中世の大学や修道院では書籍は1冊しか認められておらず、その1冊をマスターするまでは次の書籍に手を出すことは許されなかったと記されている。


現代社会人にとってこのことは非常に大きなヒントになるのではないだろうか?


日本では書店には本があふれ、あらゆる参考書が出回っている。英語だけでもおびただしい数の参考書やテキストだ。しかし、参考書の数に比例して日本人の英語力が飛躍的にアップしているという話は聞いたことがない。


自分も英語の参考書はいろいろ手を出した時期があったが、結局はひとつのテキストを深くじっくりとぼろぼろになるまでするのがベストではないかと感じている。いろいろ手を出してしまうとどうしても中途半端になってしまう。


英語だけではなく、どの分野においても同じことがいえるだろう。ひとつをじっくり深くやりこむ。ひとつを深くやりこむと結構応用が利くものだ。


日本人の英語下手は恵まれすぎている学習環境が一因であるとみて間違いない。