僕は半年ほどロンドンにいたが、米津氏は途中からロンドンからいなくなった。休暇が一年間あるらしく、それで次の場所に移動していった。

 

いま思い返すと、彼は懇切丁寧にどうして一年間のサバティカルがあるのかを説明していた。僕は大学院生だったからサバティカル自体は不思議に思わなかったが、彼の認識の中ではサバティカルが存在すること自体が奇妙に感じたのだろう。それに僕は政治学専攻の院生で、研究対象となっている行政にも長期の留学制度は充実していた。彼はこちらが聞きもしないその説明を長々と続けたため、心の中に怪しさだけが残った。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12240840044.html

 

 彼がその後にどこにいったのかは覚えていない。ただ、ロンドンを離れる直前にスコットランド人を紹介された。米津氏曰く、英語と日本語のエクスチェンジをずっと続けていて、そのスコットランド人が英語を教え、彼が日本語を教えていたらしい。それは悪いディールではないと思って、僕は彼に会いに行った。しかし、会ったのはその一回だけで、今から思えば、それはMIの面接だった。

 

 こういう面接に近い形でMI6のエージェントに会ったのは4回ある。ロンドン、上海、香港、東京の4回。個人的な印象を言うと、MI6の方が話を聞きたがる。CIAはこのような形の面接をしない。CIAのエージェントは何十人か会っているが、いつも接触時間が短い印象がある。一方で、アンダーカバーに入っているアセットやスパイはCIAの方が多い。彼らはもっと傍にいる。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12203564841.html

 

 このスコットランド人のエージェントには、結局、一回しか会わなかった。それから当分の間、僕は米津氏に会うこともなく、連絡することもなかった。当時はメールですら黎明期で、コンタクトを続けるというのは根気が要る作業だった。

 

 ロンドンにいた時の米津氏の目的は僕に接触すること、監視すること、そしてエージェントを紹介することだった。僕の友達と米津氏の三人で訳も分からず、一緒に出掛けることがあったが、今から考えても、彼は慣れない努力をしていたんだと思う。彼が必要だと思ったことは一度もなかったが、一緒に行きたいと言われれば、なかなか断れないものである。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12241024509.html

 

要するに、この1999年時点では、彼はスパイに嵌められたばかりのアセットだった。