民主党を実際に作ったのは横路孝弘である。

 

正確に言うと、横路が鳩山家を口説き落として民主党を作った。彼が優秀な政治家だったからその目論見が成功したとも言えるが、それ以上に、その設立は電波工作によってもたらされたと言える。

 

 排除の論理の本質は社会党内部の権力闘争であったが、それは社青同出身メンバーに主導権を移すための工作でもあった。しかし、それが武村切りのように感じられたのは、その排除の論理を主張したのが鳩山由紀夫と菅直人だったからである。この流れは工作としてよく出来ている。

 

 横路は1995年に北海道知事を辞任し国政復帰を決めたが、彼は社会党に復帰することはなかった。一方で、1996年までに鳩山を口説き落として、民主党結党を導いている。

 

 彼が北海道知事を辞めたのは1995年4月であり、その年の7月の参議院選挙に出馬することはなく、それは単に衆議院選挙を待っていたというだけでなく、彼は社会党からの復党要請すら受け入れなかった。それから無所属のまま時を過ごし、そのまま1996年9月の民主党結党に参加する。

 

 横路が民主党を作ったのは明らかであるが、それ以上に、彼のこの動きは1995年の段階で新党を作ると決めていたことを意味している。だからこそ、国政復帰を明言しながら社会党復帰を考えなかった。これは電波工作によって民主党を作れることを知っていたからのはずだが、もし仮にそうでなかったとしても、工作活動を通して社会党以上の器を作るつもりだったからである。

 

 彼は東大社青同出身の国会議員である。そして、彼がいた当時の東大社青同のリーダーが革労協という左翼過激派を作った指導者である。左翼過激派は電波工作能力を持っており、それは彼らが公安のアセットとして共同で工作を行っているからである。つまり、彼らは本質的に繋がっており、そこにはかなり昔から電波工作能力があった。

 

 それだけでなく、ここまで書いてきた人たちには大きな共通点があり、それは公安畑の警察官僚も含めて1960年代の東大法学部の学生という事実である。それは単なる諜報機関とそのアセットという関係ではない。

 

 いつかの段階から電波操作が政治工作に本格的に利用されるようになり、彼らはこの装置を通して日本の左翼革命を達成しようとする。問題はいつこのようなディールを結んだかである。

 

 本来なら、当事者の一部はこの状況を知っているはずであるが、岡崎トミ子はつい先日亡くなり、鳩山邦夫は去年に死んだ。民主党結党に至る過程を正確に理解していて存命なのは鳩山由紀夫と横路孝弘だけになった。

 

 また、これを調べる過程で気付いたが、武村正義もまた2000年に不可解な病気に罹っていた。この電波工作を受けて死んだ政治家は多くの自民党の議員だけではなさそうである。