左翼過激派は左翼という方向性に過激化した人や集団であり、その思想は共産党宣言の暴力の論理によって支えられている。

 

 このラディカライゼーションと呼ばれる過激化の過程は全ての種類の過激派の活動において存在する。

 

 例えば、オウム真理教の根本的問題の1つにタントラヴァジラヤーナという教義がある。これを端的に説明すると、教祖は対象者を救済する力があり、その救済はその人物を物理的に殺害することによって達成される。

 

 これは共産党宣言における暴力によるブルジョワジー打倒と同種のものであり、このような教義が存在することによって、組織の構成員の全ての暴力が正当化される。それ故に、この教義こそがオウム真理教過激化の根源であり、この考え方が生み出されたことによってオウムは危険な存在となり、これが存在し続ける限りにおいて彼らは危険な存在であり続ける。

 

 過激化はこのように理念的に暴力的行為を正当化するところから生み出されるが、一方で、別類型の過激化も存在する。

 

 例えば、親鸞が悪人正機説を唱えた際に、実際に犯罪行為をする信者が現われた。悪人正機説は全ての人類が救済され、悪人ですら救済され得るという考え方であるが、その解釈がどこかで歪み、犯罪行為を行うことが心理的に正当化されるようになる。

 

 このように過激化には2つの本質的な根源があり、1つはそもそもの教義が過激思想を含んでいる場合と、もう1つが教義自体は過激思想を含んでいないものの、その間違った解釈が過激化を生み出す場合である。

 

 世界的に見ると、イスラム過激派は大きな問題になっているが、それは後者のケースであり、イスラム教の間違った解釈が過激化を生み出している。

 

 それに対して、左翼過激派は共産党宣言自体に起源があり、そもそもの教義自体が間違っている。つまり、共産党宣言を絶対化するとマルキストは確実に過激化し、それはオウム真理教の過激化と同じような原理にある。

 

 結局、左翼過激派とは暴力を通してプロレタリア革命を達成しようという考え方を持った集団である。その際に、直接的に暴力と言わずラディカルな行動と言ったり、解放すると言ったりするが、言葉の使い方は一切の違いを生み出していない。

 

共産党宣言をどう捉えるかという点だけが過激派とそれ以外を分けるメルクマールになり、共産党宣言を客観視できない全てのマルキストは左翼過激化から逃れられない。