國松長官銃撃事件の隠蔽工作を最終的に決裁したのは山本鎮彦の可能性が高い。しかし、彼は北朝鮮人脈の人間ではあるものの、おそらく左翼ではない。

 

 彼は保通協(保安電子通信技術協会)の会長であり、長官銃撃事件のあった1995年時点でもそうだったはずであるが、少なくとも1997年度には彼が保通協の会長であったことまでは確認できた。実際にはもっと前から会長だったはずであるが、情報がうまく辿れず、それが確定できない。

 

 彼は警察庁長官退官後にベルギー大使になっており、その時には民間の仕事ができないため、彼が保通協の会長になったのは1980年代後半か1990年代前半になる。

 

 保通協は警察のパチンコ利権の総本山であり、この機関が日本の全てのパチンコ台の認定を行っている。警察はパチンコの射幸性をコントロールするために出玉率を抑えており、その最終確認を行う団体が保通協である。これは警察がパチンコ業界からマージンを取るメインの仕組みである。

 

 もちろん、これは北朝鮮と利権をシェアする結果として生み出された構造であり、ここから利得を得ているほとんどの警察OBが北朝鮮人脈になる。

 

 警察OBの中で力を持っているのは、基本的に警察庁長官OBであり、それ故に漆間巌は今でも大きな影響力を誇示できる。特に、彼らはその力を行使して人事に影響を与えられる。オウム逃亡犯の最終潜伏先を決定するにおいて、石川や芦刈が配置されているが、そのような工作ができるのは人事に影響を及ぼせる長官OBが背後にいたからである。

 

 現実的にはそれを実行できたOBは複数いるが、最も北朝鮮と近かったのは山本鎮彦であり、彼が決裁者だと考えるのが自然である。彼は公安畑出身の大物OBであるだけでなく、伊達興治は彼が長官の時の裏理事官だったはずである。彼であれば伊達を警備局長に押し込めた可能性がある。

 

 ただし、これらの真実性を確定するのは自分の能力では不可能であり、公安は徹底的に事実を隠蔽しようとするだろう。とは言え、誰かがこの工作を背後で決裁しており、それは山本クラスの警察OBでなければ不可能であった。