漆間巌は拉致解決をライフワークと言っているが、現実的には彼は北朝鮮と昵懇の関係にある。この二律背反を理解することによって、実際に何が起こっていたかが分かる。

 

 そもそも、漆間巌が警察内部の重要人物になったのは警察庁長官になったからであり、だからこそ、今でも警察組織に影響を及ぼしている。この出世の道が開けたのは警備局長であった2001年に金重凱之が倒れ、そのまま退職したからである。

 

 佐藤警察庁次長と林警備局長も前年に同じように倒れ、病院送りになり、林局長はそのまま退任した。それは2000年3月の話であり、4月には同じような形で小渕首相が倒れて亡くなった。

 

このように一連の電波操作がほぼ確実に行われた中で、出世の芽は全くなかった漆間巌が最終的に警備局長になり、警察庁内部のトップファイブのポジションの中に選抜された。

 

 基本的に、警察庁では次長が長官になる。佐藤次長は2000年に病院送りになったものの退職することはなく、その後復帰し、2002年にそのまま長官になる。その空いた次長ポストに漆間巌が入ったが、それはその以前に彼が警備局長のポストを得ていたことが大きな理由の1つであった。

 

つまり、彼は2000年段階までに長官コースの最終選考から外れていたものの、電波工作の結果として、長官を狙えるポジションに近づいた。

 

 そして、彼が警備局長から次長に抜粋されたのには他の理由もあり、当時の小泉政権下で日朝関係が変化する中で、彼の北朝鮮諜報能力の高さが官邸に評価されたからでもあった。特に、当時、北朝鮮の不審船事件があり、彼は話の概要を聞いてすぐに、それが北朝鮮の工作船であることを喝破した。

 

 電波工作と同じように今となっては当たり前であるが、彼は北朝鮮と昵懇であり、北朝鮮情報に長けていて当たり前であった。しかし、その事実は依然として理解されておらず、彼は有能な警察官僚として次長のポジションに抜粋されることになる。