オウム逃亡犯の話を振り返ると、平田信が警視庁に出頭した時の公安部長は石川正一郎である。この点はとても重要であり、と言うのも、國松警察庁長官銃撃事件の担当が警視庁公安部だからである。

 

 彼が出頭する時点では、この事件は時効を迎えており、本質的に捜査されるべき案件ではなくなっていた。しかし、彼が首謀者と言われていた以上、公安は調べざるを得ず、そして、結果として彼は関与を否定した。

 

 彼はもっと早く出頭したかったものの、出頭すると長官銃撃事件の犯人にされることを恐れて、その時効を迎えるまで隠れて過ごしていた。しかし、現実的には証拠もなく、彼が関わってない以上、問題を抱えるのは公安であり、それは真犯人を捜す必要が出てくるからである。そして、そのような思考操作は電波操作の得意とするとことである。

 

 この事件は時効を迎えた案件であるため深く追及する必要はないものの、どうしても情報をコントロールする必要があり、そのためには警視庁に出頭させる必要があった。それはこの隠蔽工作を作った石川正一郎が情報をコントロールできるからである。

 

 彼がこのオウム逃亡犯の計画立案実行を担っているが、この工作を指揮した時点では37歳であるため、彼が全てを決めたとは全く思えない。誰か別の高位の警察官僚が逃亡を指示しているが、そのような官僚が自らで逃亡計画を作るはずもなく、そのような作業をするために、そもそも裏理事官というポストが用意されている。

 

 平田信が警視庁に出頭したのには別の理由があり、それは自分を嵌めるためである。当時、自分は香港におり、おとり捜査と裏社会の脅迫と暗殺は何とか逃れたものの、ずっと拷問を受けている最中であった。

 

 それは数週間続いていたが、何もないまま拷問を続けるとより大きな問題になる可能性があったため、彼らは平田信を警視庁に出頭させた。そして、自分が彼と一緒に働いていた事実を持ち出し、自分もテロリストだという情報操作を行った。

 

 それだけでなく、警視庁公安部も正式に自分に対する工作に関われる口実を得られることになった。つまり、そもそも石川正一郎が自分を嵌めたのであって、それを隠蔽するために、今度は自分をテロリストに仕立てようとした。と言うよりも、彼らは今までも何度も自分をテロリストや危険人物に仕立てようとしていた。

 

 彼らが想像していなかったのは、当時の自分を知る友人が検察におり、大阪地検で働いたことがあったため、特捜部がその情報の正確性を判断できる立場にあった。そして、自分がオウム関係者でないことが比較的すぐに判明し、検察の協力が得られなくなり、自分をその件で訴追できなくなった。

 

 この状況を打破するために、彼らは次から次へと犯罪をねつ造し、自分を多くの犯罪に関わっている人間だとして嵌めた。結局、それら全ては嘘であり、何一つ自分には影響はなかったが、それでも彼らがそのフレーミングを続ける限りにおいて、ずっと拷問が継続された。