この警察庁長官銃撃事件には犯罪を自供した人間がおり、彼はオウムの信者の警官であった。この事件が起こった数ヶ月後に、この人物は自分が撃ったような気がすると自白した。この後、この自供はオウムが事件に関与していた理由として扱われる。あるいは、社会全体として長官銃撃はオウムが実行したと考えるようになる。

 

 しかし、実際には彼は起訴されていない。彼が自供したためにそれを裏付ける捜査を行ったが、何一つ物証を見付けられなかった。つまり、自供以上の証拠が全く何もないため、警察が止めたか検察が止めたかは分からないが、彼が起訴されることはなかった。

 

 また、彼の自供自体も曖昧で信頼に足るものではなかった。銃撃したと自供したものの供述が変遷し、その自白には信憑性がなかった。

 

 この本でもそうだが、一般的に彼は洗脳されていると考えられていた。この本の結論はオウムが当時頻繁に利用していたナルコという手段を使って、銃撃の記憶を消したとなっている。

 

そのために銃撃の事実が正確に思い出せないようになっており、正確に銃撃の事実が再現できないから自供が曖昧なものになったとしている。しかし、その後に少しずつ記憶が戻ってきたため、彼は銃撃したこと自体は思い出したという結果に至る。だからこそ、彼は最終的に自ら銃撃を行ったと供述した。

 

 この自供は事件の認識に大きな影響を与えることになる。と言うのも、彼はオウムの信者であった。オウムへの強制捜査が始まった直後に長官は撃たれており、だからこそ、オウムには長官を銃撃する動機が十分あったということになる。実際に、地下鉄サリン事件自体が強制捜査を止めるために実施されており、彼らがこのようなイレギュラーな行動を取ることは十分に考えられた。

 

 そして、彼はオウムの信者ではあるものの、普通の在家信者であり、幹部ではなかった。つまり、オウムが銃撃事件を決定したのであれば、彼一人で銃撃することは考えられず、背後にオウムの幹部がおり、銃撃を指示し指揮したことになる。

 

 オウムの幹部はほぼ捕まっていたが長期間逃亡を続けている人間が3人おり、この事件の首謀者はその逃亡犯の1人とされており、それが自分と一緒に働いていた人物である。彼が逃げているために真相が分からないとなっていたが、彼の居場所を公安は知っていたために公安はこのストーリーを含めて、全てについて嘘をついていたことになる。つまり、公安は最初からオウムが長官銃撃事件に関与していないのを知っていた。

 

 

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