自分が与那国に行ったのは2011年10月から11月に掛けてである。

 

この直前に自分の家の天井から化学薬品が降り、それは上の部屋の工事の失敗によるものと言われたが、結果として自分の部屋でかなりの工事を行い、その時に監視カメラが完備されたはずである。これは階上の住人が引っ越した後に可能になった工作であり、その後、その部屋は諜報機関の工作拠点になった。与那国島で起こったこととこの家における工作は繋がっており、それぞれがスパイの工作活動であったことを証明している。

 

島での工作に登場するのは警察や公安だけでなく、公安調査庁もそこにいた。また、中国もヨーロッパもアメリカもスパイを送り込んでいる。それは自分を監視するためであるが、どうして、ここまで監視したのかは大きな疑問点である。

 

監視を行ったのは自分が誰かとコンタクトすると考えていたからであるが、飛行機のチケットも宿も事前に予約してあるので自分の行動は簡単に監視できた。つまり、それほどスパイを送り込まなくても、監視は容易だったはずである。

 

しかし、実際には多くのスパイがそこにおり、お互いに牽制しながら監視を行っていた。スパイがお互いを気にし合っていたことは今となっては分かるが、当時は不思議なことを聞くもんだなという程度にしか思っていなかった。ただ、自分が誰とコンタクトするかを監視するために送られたのであれば、それぞれのスパイが相手のスパイをハンドラーだと見ていた可能性はある。

 

一方で、全ての諜報機関はもっと上のところで繋がっており、その時点で既に共同オペレーションが始まっていた。いつ正式に共同オペレーションになったかを確定するのは難しいが、中国の諜報機関が自分の部屋にあからさまに盗聴器や監視カメラを仕込めたのは日本の司法当局が要請したからだと思う。

 

そのような手順を踏まなければ、中国の行為は国際問題に発展する恐れがあり、幾ら自分が香港にいるからとは言え、簡単に工作活動は行えない。つまり、2011年10月のどこかの段階で、これが共同オペレーションになったはずであり、当時の状況を考えると、その当時の新しい警察長官の就任が契機になっている可能性が高い。

 

結局、彼らは本質的に情報を共有していたが、お互いに自分を敵の人間だと仕立て上げ、そこには多くのスパイがおり、自分を危険な人物に嵌めるような工作が与那国で行われていた。それぞれのフィールドエージェントは怪しい人物とコンタクトしていたと言う可能性が高く、ほとんど全てのラインから自分は危険人物であるというフラグが立つ。

 

実際には、彼らはこの工作を始める前に協力関係を結んでいる。自分はかなりの監視下に置かれている状態の中で嵌められ、彼らが無害化すべき対象者として認識された。実際には、自分は何十年間も彼らの対象者であったが、このように嵌めていくことで、スパイは他の公的機関からの協力を得られるようになった。

 

そして、この時期は重要な意味を持っている。と言うのも、実際に、自分が違う犯罪に嵌められようとするのは2011年12月であり、そのセットアップも工作の一部を構成しているという証明になる。

 

多くの政治家はその12月から問題があったと認識しているかも知れないが、自分がこの10月と11月の段階で工作対象であったことが証明できれば、スパイや警察が自分を犯罪やえん罪に嵌めようとしていたことが証明される。つまり、スパイや警察は裏社会の共生者をアセットして雇い、衆人環視の中で自分を犯罪行為に引き込もうとした。これが警察の犯罪であることが証明できる。

 

そして、与那国島の多くの人は自分が警察の工作対象者であったことを知っている。

 

 

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