諜報活動は常に情報収集活動と工作活動がセットになる。それは情報収集にアセットを利用し、その同じアセットを工作活動に利用するからである。この関係は不可分一体である。この工作活動を公安が国内で行っているが、現行のやり方はあまりにも民主主義から外れている。

 

公安が左翼過激派の構成員をアセット化していたのは、そこから情報を入手し、彼らの活動を制御するためであった。今でもそういう側面はあるが、この関係は工作活動にも利用される。

 

公安の幹部が左翼過激化した時期には彼らの利害は一致しており、公安の裏工作チームも左翼過激派も同じ方向で同じような対社会工作を行った。その状況は落ち着きつつあるが、それでも左翼的な工作活動はまだあり、また、公安組織の権力維持のための工作活動も依然として行われている。つまり、状況は変化しているが、大きな問題は残ったままである。

 

治安に不安を与えるような事件が起こる結果として、公安の必要性が高まる。そのために、公安は自ら工作を行い、また、スパイである左翼過激派のメンバーに社会的工作を行わせるが、その行為は大きく間違っている。日本の主権は国民にあり、議会制民主主義を通して政治的決定が達成される。その意思決定に影響を与えるような工作活動を公安が行うのは認められていない。そもそも、どのような行政組織も最終的な政治の決定に介入すべきではない。

 

このような公安の対社会工作と同時に問題になるのが、対人工作をどう扱うかである。現実として、公安は治安維持という名目でどのような人でも工作対象にでき、そこには何の制限もない。あまりにも彼らの権限が不明確で、その不明確さは常に彼らの権限拡大へと繋がる。とは言え、政治が直接的に治安の維持に介入すると、それはそれで大きな民主主義の危機となる。

 

これらを解決するためには、公安が対象者を選定する基準をしっかり作ることと、そのような対人工作と対社会工作に関して、国会が事後的に彼らの行動を監視することである。少なくとも、公安を存続させるのであれば常任の委員会を作り、公安や警察を監視すべきである。

 

警察長官は政治任用されておらず、他の多くの省庁とは異なっているが、それは警察権に対する政治の介入を減らすためである。その警察は国家公安委員会によって管理されるという建前になっているが、それは機能していない。国家公安委員は独自の調査能力を持っておらず、問題が生じても警察に自己調査させるだけであり、それが何の役にも立っていないのは最早明らかである。

 

国会は公安や警察に対して強制調査する権限があり、その中で彼らの行動を監視し、必要があれば警察部外の調査者を利用すべきである。今は特定秘密保護法があり、また、警察がどうしても保護したい情報であれば、特定に社会に対する開示制限は設けられる。つまり、外部の調査者に対して全ての情報を開示して、警察の問題を余すことなく調べさせる立て付けは存在している。国会は国民の代表であり、行政機関に問題があるならば、迷うことなく強制調査すべきである。

 

 そして、公安に対する監視は恒常的である必要がある。彼らが諜報機関であるにも関わらず、現状では彼らに対する民主主義的コントロールは皆無である。スパイに対する民主主義的コントロールが及ばない状況はあまりにも危険であり、そのような状況を放置しているのは先進国では日本以外にはない。この状況を改善しなければ、日本の民主主義は常に危機的状況に置かれる。

 

 

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