今朝の新聞を読んでいてひっくり返るほど驚いた。 米下院外交委員会のラントス議員(民主党)が、14日の公聴会で、小泉首相の靖国神社参拝を避難し、次期首相にも参拝中止を要請したと云う。 同委員会のハイド委員長(共和党)も、靖国神社内の展示施設「遊就館」の太平洋戦争に関する説明内容を修正すべきだと主張したとも云う。 おまけにランス議員は首相の靖国参拝を「日本の歴史的健忘症を示す最も目に余る事例」と表現し「戦争犯罪人に敬意を示すことは倫理的に破綻しており、日本のような偉大な国に相応しくない」とも語ったそうだ。
私はこの夏に「靖国神社」に公式参拝し、展示施設である「遊就館」にも立ち寄っている。 断っておくが、靖国神社は統一された組織である神社庁からも独立した日本における唯一の存在である。 神社の運営には国の補助金も税金も1円たりとも使われてはいない。 全ては氏子(主に戦没者の遺族関係者)と賽銭、寄付金などで運営されているのだ。
昭和27年4月28日に独立した新しい日本国の国会において「戦争犯罪人はいない」との認識を得て三木内閣時に靖国神社に合祀されたと記憶しているが、アメリカ人が未だにそんな認識を持っているとは全く持って無知としか言いようが無い。 そもそも戦争犯罪人とは東京裁判において責任を問われた人達の事をいうが、あれほど拙い通訳の元で裁かれた人間達は不幸だったと思う。 アメリカ人には日本の文化や歴史を理解出来る者がそこには居なかったからだ。
今の日本には「戦争犯罪人」などはいないのだ。
そして、英霊達が集まる「社」について、有名な文学者「小泉八雲」はこう語っている。
私達西洋人がtempleとかshrineとかいう英語を使っておおまかに英訳している神道上の言葉は、実際は翻訳不可能なものである。 私がそういう意味は、日本人がそうした言葉に結び付けている観念や含蓄は、そうした翻訳では伝達不可能だ、という意味である。 神のいわゆる「やしろ」は、語の古典的な意味におけるtempleであるよりは、「死者の霊の出入りする部屋」 haunted roomとか「霊の部屋」 spirit-chamber とか「霊の家」 ghost-house と呼ぶべきだろう。というのも大神ではない多くの神々は実際は霊 ghost だからである。
後略
キリスト教の国々では死者に対しては敬意を抱かないようだ。 死者が行った行為に対しては敬意を表すが、死んでしまえば塵になるだけなのだろう。 死者の魂が集団で集まる意識は無いようだ。
今の平和な日本を作る為に亡くなった人達に、誠の哀悼を捧げる事は何人にも非難する事は出来ない。 まさに私達日本人の心の問題なのだから。
私はこの夏に「靖国神社」に公式参拝し、展示施設である「遊就館」にも立ち寄っている。 断っておくが、靖国神社は統一された組織である神社庁からも独立した日本における唯一の存在である。 神社の運営には国の補助金も税金も1円たりとも使われてはいない。 全ては氏子(主に戦没者の遺族関係者)と賽銭、寄付金などで運営されているのだ。
昭和27年4月28日に独立した新しい日本国の国会において「戦争犯罪人はいない」との認識を得て三木内閣時に靖国神社に合祀されたと記憶しているが、アメリカ人が未だにそんな認識を持っているとは全く持って無知としか言いようが無い。 そもそも戦争犯罪人とは東京裁判において責任を問われた人達の事をいうが、あれほど拙い通訳の元で裁かれた人間達は不幸だったと思う。 アメリカ人には日本の文化や歴史を理解出来る者がそこには居なかったからだ。
今の日本には「戦争犯罪人」などはいないのだ。
そして、英霊達が集まる「社」について、有名な文学者「小泉八雲」はこう語っている。
私達西洋人がtempleとかshrineとかいう英語を使っておおまかに英訳している神道上の言葉は、実際は翻訳不可能なものである。 私がそういう意味は、日本人がそうした言葉に結び付けている観念や含蓄は、そうした翻訳では伝達不可能だ、という意味である。 神のいわゆる「やしろ」は、語の古典的な意味におけるtempleであるよりは、「死者の霊の出入りする部屋」 haunted roomとか「霊の部屋」 spirit-chamber とか「霊の家」 ghost-house と呼ぶべきだろう。というのも大神ではない多くの神々は実際は霊 ghost だからである。
後略
キリスト教の国々では死者に対しては敬意を抱かないようだ。 死者が行った行為に対しては敬意を表すが、死んでしまえば塵になるだけなのだろう。 死者の魂が集団で集まる意識は無いようだ。
今の平和な日本を作る為に亡くなった人達に、誠の哀悼を捧げる事は何人にも非難する事は出来ない。 まさに私達日本人の心の問題なのだから。