アホみたいに、いい気分、いい気分て言うてますけど、

(ねぇねぇ、いい気分♪てどうして薄っぺらく感じるの?

心から求めていることなのに。

薄っぺらいと言いたくなるところに、わたしの思い込みが隠れているよね。

あ、そうだそうだ、次のエデンでこれを質問しよう。そうしよう。)

 

 

 

 

聖人思考はもうないので、

自分の中に闇が、どうしたって存在することは認めているし、

消したいとも思わない。だって消えないし。

 

 

他人にも、同じく。

 

 

一方から見た姿ばかりの人なんていなくって、

光もあれば闇もある。

視線を向ける方向が違うだけ。

 

 

だけどわたしは、

光の方を見たいなって思うんだ。

 

 

 

 

 

 

何を感じたときにって認識して、

何を感じたときにって認識するのか。

 

 

 

わたしは

光に触れたとき、

 

心が軽くなって、

視界が明るくなって、

気楽になって、

気分がいい。

 

 

闇に触れたとき、

 

どんより重くなって、

閉鎖的になって、

心が閉じていって、

全てのことにダメだって思って、

気分が悪い。

 

 

 

だから、

いい気分推奨派としては、

ずっと闇でいたいわけではないみたいなのです。

 

 

 

でも、

闇のおかげで光に気づく。

自分の望みに気づく。

自分の輪郭が、好みが、ハッキリする。

 

 

 

推しを分析するところ、闇から産み出している人も好きみたい。

 

 

音楽とか、文章とか。

それに触れて、

心がギュッとなったり、涙が出たり。

 

 

わたしにとって、

どういうものがそうで、どういうものがそうでないかは、

気分がお知らせしてくれる。

気分が悪くなるのであれば、

自分の望んでいる状態から離れているのだ。

 

 

 

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