12月に主治医と話をするため、病院に行くことが決まりました。
やっと遺伝子検査の結果が出ました。
2年前の12月に三男が亡くなってから、2年ぶりの病院になります。
三男が亡くなってから、いずれ主治医と話をする時のために、ふと疑問に思ったことはスマホに全部メモを残していたのですが、そのスマホが壊れてしまったので、今少しずつ当時の日記を見ながら記憶を振り返る作業をしています。
2年前の12月に三男が亡くなってから、2年ぶりの病院になります。
三男が亡くなってから、いずれ主治医と話をする時のために、ふと疑問に思ったことはスマホに全部メモを残していたのですが、そのスマホが壊れてしまったので、今少しずつ当時の日記を見ながら記憶を振り返る作業をしています。
ちなみに遺伝子検査の結果の詳細はブログには書きません。
結果にもよりますが、私は自分の親にも、主人の親にも伝えるつもりはありません。
心筋緻密化障害は非常に情報が少ないです。
敦希の時から同じ病気で知り合い、ラインで繋がっているお母さんたちには伝えたいと思っています。
今日は、2年前の記憶を振り返っていて思い出したことがあるので、書きたいと思います。
三男が亡くなったのは12月半ば。
世間はクリスマスと年末年始。
私の気持ちとは全く真逆で、とても賑やかな光景で自分一人だけが別世界のようでした。
敦希と三男。子どもの遺影が2人並んだ時の気持ちは、言葉では表現できません。
いろんな感情を通り越して、虚しさしかありませんでした。
三男が亡くなるまでは、和室の仏壇の横にテーブルを置いて、敦希の空間を作っていました。
ここに2人の遺影…
考えるだけで真っ暗な気持ちになりました。
そんな時、ふと居間にあるベビーベッドが目に入り、「ここにしよう!」とひらめきました。
和室だと夏は暑いし冬は寒くて、部屋の出入りは少ないし、仏壇の横だとどうしても暗くなってしまう…
でも居間ならずっと一緒だ。
そうして私は三男の葬儀が終わって間もない頃から、しばらくは外出ばかりして忙しく過ごしていました。
『子どものことをしている』そう思えることでその時の私は何とかやっていけてたのかな。
ベビーベッドに敷く可愛い布を選んだり、三男の写真を泣きながら現像しに行ったり…
あまりはっきりとは覚えていないけど、とにかく周りは見ないようにして、選ぶことだけに集中しようとしていたと思います。
子ども3人のクリスマスプレゼントも買いに行きました。泣きながら一人でトイザらスを歩いて探しました。
今思うと、よくできたな…と思いますが、当時の私はとにかく必死でした。
そこで、おさるのジョージのぬいぐるみが目に入りました。なぜかというと、三男の体の大きさと全く同じだったから。
三男は極低出生体重児。三男の体の大きさを忘れたくないという気持ちと、おさるのジョージが何だか三男に似ていて可愛く見えた、という理由から三男のクリスマスプレゼントはすぐに決まりました。
敦希の骨壺の巾着袋と同じように、三男の骨壺の巾着袋もミシンで作りました。
こうして、今に至ります。
家族が過ごす空間に、いつも敦希と三男もいます。
仏壇があるのに…って思う人もいるかもしれないけど、形にこだわらず、とにかく亡くなった子どもたちもずっと一緒だと思えるようにしたかった。
ベビーベッドの上は溢れんばかりの可愛い写真やぬいぐるみなどでいっぱい。
置けない物もたくさんあるので、別室にも置いているほど。
時々、飼い始めた豆柴のおもちゃになっているぬいぐるみもありますが、ベビーベッドに戻すと不思議と欲しがりません。
じーっとしばらく見てるけど笑
勝手に触っちゃいけないと分かっているようです。
長男の部屋はベビーベッドのすぐ隣。
兄弟3人+犬、一緒に遊んでくれていると嬉しいな。