12.転院後、初めての面会 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


2017/10/28

待ちに待った三男との面会。
長男を実家に送ってから、旦那と2人で隣県の病院に向かいました。

実に4年ぶりに、敦希がGCUに入院していた時に通った道を通りました。

あの頃とほとんど変わらない景色…

「懐かしい」ばかり言ってたかな。

高速を使えば1時間半程で到着するのですが、これからも通うことを考えて、節約のために一般道路を2時間半かけて隣県の病院に到着しました。

本当に、本当に、懐かしい光景でした。

敦希も頑張った場所…

敦希が亡くなった場所でもあります。

敦希のことを思うと何とも言えない気持ちにもなりましたが、ここで三男は頑張っているんだ!と思うと、悲しい気持ちに浸っている場合ではありませんでした。

NICUの入り口の手前に待合室があるのですが、4年前に旦那が敦希と面会中に私と長男で過ごしたり、敦希が退院する時に退院準備が終わるのをまだかまだかと待った部屋。

まだ2歳だった長男がよくコインロッカーにお金を入れては鍵をかけて遊んでいたなぁ…なんて記憶が一気によみがえりました。

待合室はそんな思い出のある場所。

懐かしさを感じながら待合室のロッカーに荷物を入れて、小さなかばんにデジカメとメモ帳とペンだけを入れて、NICU・GCUの入り口にあるインターホンを鳴らし「○○○○○の両親です」と話すと、発熱や咳がないかの確認を受け、ドアが開いて、手洗いと消毒をしました。

土日祝日はNICU入り口の事務が閉まっているため、インターホンを鳴らします。平日は用紙を記入し事務員さんに渡すとドアを開けてくれます。

NICUに入り真正面の一番奥の区画に三男はいました。
保育器に入り、目には光の刺激を避けるためにガーゼを当てていました。

三男は小さな小さな赤ちゃんでしたが、本当に可愛くて、やはり敦希の新生児の頃にそっくりでした。

「○○○くんのお母さんですか?はじめまして」と主任看護師さんが挨拶に来てくれて、これからのことについて話をしてくれました。

「34週を過ぎたので、このまま状態が安定していれば抱っこやオムツ交換の育児の練習ができます。近々していきましょうか」と言われ、「早、抱っこができるんですか!?こんなに小さいのに!?」と思わずビックリして話をしたのを今でもはっきり覚えています。

血圧は50台/30台
心拍は150~泣いた時で170くらい 
声はまだまだ小さいが、よく泣いて元気
泣いても心臓の負担にはなっていない
手は触ると冷たく感じる
血色は良好

面会初日から育児の練習の話があったこと、転院してすぐに強心剤の点滴がなくなったこと、オシッコもよく出ていて、ミルクも1回10ccに増えたこと。

聞く話全てが順調で、三男も敦希のように順調に回復していくものだと疑いもしませんでした。

このまま体重が2100gを越えて、点滴が内服薬に切り替われば退院できる、と。

次回、11月1日に夫婦で面会に来た時に医師との面談で現状説明を受ける予約を入れて、この日は帰りました。









たくさん触れたかったけど、刺激にならないように少しの間だけ目に当てていたガーゼをはずして、保育器の中に手を入れて頭をなでたり、手をにぎったり、写真を撮りました。

たくさんたくさん名前を呼んで、応援の言葉をかけました。

こんなにも小さな赤ちゃんが、母親から遠く離れた病院で一人頑張っているのだと思うと、メソメソなんかしていられない。

とにかく前向きに、前向きに。

三男は絶対に大丈夫!

心臓も落ち着いて、体も大きくなる!

しかし…

私の願いとは裏腹に、三男の心臓は悪化していきました。