1.救急搬送 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



母子ともに無事に出産できこと


ここから三男の奇跡は始まったと私は思っています。


(もちろん妊娠も奇跡です)


出産のことも忘れたくないし、事細かいことも覚えておきたい。


環境が目まぐるしく変わったことや出産直後から貧血がひどかったことで、記憶が曖昧なところも多々あるのですが、メモを見ながら少しずつ出産のこと、三男のことを書いていきたいと思います。


(過去の記事と重複する箇所もあります)





早産になった訳からの続き・・・


診察の結果は「警告出血」


私は一番心配していたことを隣にいた助産師さんに聞きました。


「赤ちゃんは大丈夫ですか?」と尋ねると「大丈夫ですよ」と言われ、ひとまず少し安心。
この頃にようやく手足の震えも治まりました。


前置胎盤が判明した時から主治医に「赤ちゃんは横位」と言われていましたが、この時の宿直の医師に「横位やったん?赤ちゃんはちゃんと頭を下にして頭位でおるで!」と言われてビックリ。


宿直の医師が初めて見る先生だったので、助産師さんに「あの先生は誰なんですか?」と聞いたところ「大阪から来られている先生です。偉い先生ですごく腕の良い先生なんですよ」と教えてもらいました。


この時に「もしかしたら赤ちゃんが横位から頭位になった時に胎盤を刺激して出血してしまったのかも」と医師か助産師さんに言われた記憶があります。
(後に原因は判明)


少し落ち着いた頃に旦那が病院に到着。


医師に「このままやとまたいつ出血するか分からんし、次出血したら止まらんかもしれん。まだ赤ちゃんは31週やしここでは出産できんから、救急車で○○病院に搬送します」と言われ、私は「はい、お願いします」と答えました。


その後、いつ緊急帝王切開になっても大丈夫なようにと術着を着せられ、尿道カテーテルを入れたり、ルートの確保などの処置を受けました。


私はルートがとりにくいので、産婦人科で一番上手な看護師さんが来てさっとしてくれ、病室内はドタバタで助産師さん看護師さんが総出で転院の準備をしてくれました。


ずっとそばで励ましてくれていた助産師さんが「頑張ってね!」と外まで見送りに来てくれ、私はその後すぐ救急車で転院しました。


救急車の中では私は血圧が低かったようで、救急隊員の方が私にずっと会話をしてきていました。ちゃんと意識がしっかりあるかどうかを確認するためだと思います。


宿直の医師が転院先の病院まで付き添ってくれました。


「出血した時、お腹が痛いとかあった?」と聞かれ「全くなかったです」と答えると「そうなんか。やっぱり言われとる通りなんやな」と言われていました。


前置胎盤の恐ろしさを知りました。
まさか自分が体験するなんて…
本当にまさかでした。


救急車の中では新人の救急隊員の手際が悪くて叱られていたり、救急車が通るのに避けない車がいることに対して先生が苦笑いをしていたり…


私の出血もひとまず止まっていたので、特に緊迫した状況ではありませんでした。


そして、1時間弱くらいで転院先の病院に到着しました。