ボヤキタイム~大阪のモノづくりは壊滅しています。 | 向原総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

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連休を利用して大阪の実家に帰りました。
私の実家は、町工場です。

私の実家のある守口市は、門真市と並んで、松下・三洋・ジャガーミシン・タイガー魔法瓶など、
世に知られた大会社の主力工場(及び本社)が軒を連ねる一大工業地帯です。
大阪市の東側は、守口市・門真市・大東市・東大阪市と、さながらベルトのように工場地帯が広がっています。

私が子供のころは、そこら中に町工場があり、金属を加工する機械の音がキーンキーンと鳴り響いていました。
また、私が子供のころは、まだ繊維工業も残っていたため、メリヤス工場の機械のカッタンカッタンという音もよく聞かれました。友達の家がメリヤス工場だったりもしました。

しかし、メリヤス工場をほとんど見かけなくなって久しくなりました。
そして、守口といえば町工場、というくらいだったにもかかわらず、町工場もどんどん減ってゆきました。
円高や、三洋・ジャガーミシンが守口工場を閉めたのも響いていると思います。

工場を閉めた人は、どうやって暮らしているのでしょうか。
50代や60代まで町工場一筋でやってきた職人に、いきなり勤め人に転じろというのは、事実上困難です。
(といっても、やらざるを得ないのですが)

これらの人々は、国民年金しか加入していないことも多く、老後はまったく保証されていません。
それどころか、機械のローンだって終わっていないかもしれません。

「中小零細企業は景気の調整弁」などとよく言われます。

80年代から90年代の日本は、工業製品の単価を落として、大企業の目先の利益だけを追求しました。
その結果、製造業は中国を始めとする外国に吸い取られ(政策的に吸い取らせ)、町工場は激減。
大阪も例外ではなく、90年代は、製造業を切り捨て、金融経済都市を目指そうとしていました。
しかし、大阪の場合、金融は、すべて東京に吸い取られました。
三和銀行、住友銀行はすべて東京系の銀行に吸い取られてゆきました。
その結果、製造業を捨てた大阪は、産業が壊滅しました※1。
経済は、東京のひとり勝ちとなり、製造業は名古屋の中京工業地帯に追い抜かれる有様となりました。
モノづくりはダメになり、金融経済には相手にされなかった。
それが今の大阪の実情です。
目先の利益と、流行に走った結果です。

そして、この国の発展を支えてきた製造業従事者は放置。
「景気の調整弁」ではなく、完全に捨て駒とされました※2。
申し訳程度に中小企業向け政策融資があったりはしますが、つなぎ資金程度にしかならない。

これからの時代は、生活に足る年金ももらえず、破綻する製造業従事者が続出するのではないか。
とても心配です。

※1 だったらどうすりゃよかったんだ、と言われると思います。
バブル期、松下のライン工場のアルバイトは、時給2,000円にしても人手不足だったそうです。
今でも人員の確保には苦労するそうです。
これは、製造業に対して、、油まみれ(汚い)・危険・(夜勤もあって)きついの3Kというネガティブなイメージを過度に植え付けられたせいもあるのではないでしょうか。
日本は、もっと製造業を大事にするべきだったのではないでしょうか。
チャイナリスクが顕在化した今、日本に製造業を回帰させるのであれば、まだ日本に中小企業の生産設備があるうちにやる必要があると思います。
そうでないと、もう二度と日本は浮かび上がれないと思います。
でも円高で難しいかな。

※2 経済というのはそういうもんだ、といわれそうですね。
ただ、まじめに働き、社会の発展に少なからず貢献した人にそれなりの対価をちゃんと与える国であってほしかったですね。