苦しみを生み出すもの(=観念)  阿部さん、心屋の共通ごと (阿部敏郎さんの本ネタ) | 愛と自然に生きよう 心理カウンセラー、ハートフルメッセンジャー、スピリチュアルティーチャー

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人が豊かに笑って楽しく男女お互いに、尊敬して生きるには、花のように「愛と自然に生きよう」がしっくりきます。自信を取り戻し、罪悪感を癒し、沢山のありがとうを感じ、好きなことを考え自分軸でにっこり生きる!それに導くセッション、カウンセリングを行っています。

みなマス2期 心屋塾マスターコース93期卒業

心屋認定カウンセラー つーち王子まじかるクラウンです。

 

 

今回は、[苦しみを生み出すもの(=観念)]  さ!

 

 

前にね、

劣等感の使い方 って、ブログに記録しておいた。

 

  

下矢印下矢印下矢印   こちらの本から、今回、2回目でーす。 

 

 

また、長いです。

要点だけ見たい人、即、下の方へGOーーびっくり

 

 

阿部さんのお話は、心屋とも共通したお話でした。

 

 

(ここから)

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苦しみを生み出すもの   (P12~P18抜粋)


この「眼鏡」」、このことを「観念」って言いす。思い込み、観念。
観念についての話は、すごく大事なことなんだと思っているんです。
自分が、

あるがままを見ているんじゃないっていう、その態度。

その態度を持ち続けることができたら、僕たちは傲慢になりようがないんです。

ところが自分はありのままに見ているつもりでいるから、
あの人はいい人だ、悪い人だとか、これは正しい、これは間違っているとか、
そうやって判断して裁いちゃうんですよ。

自分がそういう眼鏡をかけていることに気づけば、そのメガネの形によって
その判断ができている
事に気づけば、そこに傲慢さは少なくなるはずなんです。

僕たちは朝から晩まで、ひっきりなしで人を評価したり、判断したり、
批判したり、いいか悪いとか言ったりしています。
もちろん、心の中でね、ずっとやってるんですよ、無意識に。

それが実は、

観念から作り出されているんだってことがわかれば、少し謙虚になる

んですよね。もう少し柔軟性を持って、
出来事を見る態度ができてくると思うんです。

観念に固まっちゃうとですね、白か黒かっみたいになっちゃう
そこにはユーモアが入り込む隙が全くない。
物事がみんな申告になっちゃう。
観念に凝り固まっている人には、ユーモアは無いですよ。

ユーモアってのは、冗談ばかり言ってるってことじゃないですよ。
物事を自由に見ている柔軟性のことです。
そうすると笑えてくるわけですよ、深刻さが。あるいは許せる、
そういう気持ちが出てくるってわけですね。
そのユーモアを、
ここにいる人の中で持っていない人はいないわけです。

ただ、ここにいる人の中でも、観念をガチガチに握り締めている人と、
少しそれを客観的に扱い出した人との違いがあるだけで、
その能力は皆同じ様にあるわけです。

最初に僕の答えを言っちゃうとですね、
苦しみ」て言うのは、その人の観念の強さ、思い込みの強さですよ。

「こうだっ!」で決めちゃってるわけですから。何が起きているかじゃないですよ。
何が起きていようと、それを見る自分の態度によって、
我々の感情は決まってくるわけですから。
現実をどのように見るかによって、その人の結果が決まるんです。


したがって、現実そのものを変えようとすることも大事かもしれないですけど、
でもそれ以上に、自分がどのように決めつけているのか、なぜそう思うのか。
ね、そういう自分自身の心の仕組みに取り組む価値は、ものすごく大きい
わけですよ。

いったい自分は、どういう観念を持って人を見ているだろう、
あるいは、どういう観念を持って自分自身を見ているのだろう。
どういう観念を持って人生を生きようとしているのだろう。
そこがすごく大事なことなんですよ。
ところがそういう事は、小学校でも、中学校でも、社会に出ても
誰も教えてくれないんです。そういうことも、ここで学んで行けたらと思いますね。

ヨン様は、素敵でもひどいんでもないんですよ。ヨン様はヨン様なんですよね。
結果は僕たちが作っているわけですから。
これは大事なポイントです。ここは繰り返し繰り返し、
1つの方向性として伝えていきたいと思います。


僕は、「こうしなさい」って皆さんに教えるつもりはないですよ。
1つの事実を言っているだけで、それは方向性です。
それをどうしていいかは、個々の側にあるんですね。
ちょっと塾らしくなってきましたね。
これは僕も含めてなんですけど、自分がいかにおいて思い込みが激しいかって、考えたことありますか。

そして、その思い込みで、どれぐらいの人をさばいてきたか


観念ってのは「こうあるべきだ」って言葉にも置き換えられます。
「できた」「ねばならない」これ全部観念ですね。

その「べきだ、ねばならない」の枠の中から、たった一つでも相手がはみ出していれば、もうその人全部ダメってことそういうことないですか。
たとえばあなたの家族でも、他のことはだいたいいんでだけど、一個だけどうしても許せないことがある。あなたのお母さんでも、お父さんでもいいです。誰でもいいですけど、
一つよくないと、その人全部ダメってことない
「もう全部嫌い」みないな。それだけで全人格指定しちゃって。
僕たちはそういうこと、やりかねないんですよね。

で、同時にね、
もう一つ重要なポイントは、

その観念「べきだ、ねばならない」の枠は、人にはめているだけじゃなくて、実は僕たちはね、自分自身にもガッポリはめているんですよ。
「自分とはこうあるべきだ、自分はこうせねばならない、人生とはこう生きなければならない」って
たくさんの「ねばならない、べきだ」で自分のルールをこしらえて、
それでガチガチに生きてるって言う、そういう存在ですよね、僕たちって。


でも僕たちは、そういう枠の中に収まる時ばっかりじゃないですから。
有機体ですからね。生きてますから。優しい時もあれば、優しくない時もある。
美しい時もあれば、醜い時もある。そうです、両方持ってますよね。

でも何かの拍子に、認められない自分が出てきちゃうと、
「私ってどうしてこうなんだろう」 「私はなんてだめな人間なんだ」
「なんで自分はこういう考え方しちゃうのか」 
ってね、
自分はどんどん嫌いになってっちゃう。

その「嫌いだ」って思いが、自分はダメだって言う観念をさらに強めて、
それでまた悪循環にはまっていっちゃう。
そういうことで苦しんでいる人は少なくないんですよ。

でも本当は、苦しんでいるその人自身が、苦しみを作っているんです。
誰にも救えないんです、その人自身がやっている事ですから。
だから結局僕たちはですね、自分を救うことはできるんだけど、人は救えないですよね。

その人自身が気づかなきゃならないですよね。
きっと人を救うのは僕たちの仕事じゃないんでしょう。
僕の仕事でもないし、あなたの仕事でもない。その人の人生の、その人の仕事なんですね。

ずっと観念の話をしていますけど、観念が必要な場合もありますよね。
例えばすぐそこに国道329号線がありますが、あそこにですよ、夜いきなり左右を見ないで、
笑って飛び出したら交通事故に会うぞって、誰もが思っていますよね。

実際に事故にあうかどうかわからないですよ。
この時間だったら、合わない可能性の方が高いかもしれない。
でもあったら大変なことになりますよね、みんな飛ばしてますから。
僕たちは、その観念があるおかげで飛び出さないですよね。
したがって、その観念は役に立っていますよね。

そういう観念が全部なかったら、人間は大変なことになりますよ。
観念はいろいろな危険からも守ってくれているんです。
観念ていうのは、起こるか起こらないかわからないけれど、
そうかどうかわからないけど、そうだって決めてる態度
のことです。


道に飛び出したら交通事故になるぞっていうのは観念です。
結果わからないですから。100%そうなるって保証は無い。
でも思っているそのおかげで無事に生きてますよ。
したがって人生の中には、役に立つ観念も、たくさんあるわけです。

観念自体が悪いんじゃないですよ。

そう見ていったら、言葉って凄く難しいですね。
その時その時言いたいことを、いろいろな方向から話して、
初めてバランスが取れるかもしれません。
だからあえて言いますけど、観念が良いとか悪いとかの話じゃない。
ただ、自分の人生を邪魔している観念も持っていますよって、僕たち。

本当はこうやって生きていきたいって思うのに生きられなかったら、
そう生きられない何かしらの観念を持っているんですよ。

右に行きたいって思っても、左に行っちゃうのは、そこに左に連れてっちゃう
観念があるんですよね。僕たちが行きたい人生を邪魔する観念も、僕たちの中にあるんですよ。

おそらくこのことは、それぞれに見抜いて処理していく価値のあることだなと思いますね。
といってもね、これがややこしいのは、観念は考えても見つけられないんです。
観念は心の奥底にあるから。ものを考える仕組みだから。
コンピューターのプログラムみたいなもんですよAっていう情報を入れたら、
ピーって処理してBって出てくる。その情報処理のプログラム、これが観念です。
考え方さえも、観念によってコントロールされているから、
観念そのものを考える事はできないんです。
もし考えることによって
観念を処理できるのであれば、もっと僕たちは簡単に幸せになっていたと思う。

心の奥底に染み付いて、僕たちにもコントロールしてるやつを、
考えて見つけることができたらね。でもできないんだな、これが。

 

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(ここまで)

 

 

 

 

 

 

観念=思い込み。その人がかけているモノの見方の眼鏡。

 

・人は、あるがままにみているんじゃない。眼鏡かけている。

 

・観念(思い込み)が固まると、白か黒かみたいになる。。

 

ユーモア=物を自由にみている柔軟性ウインク

 

・観念が固まると、ユーモアの入り込み余地が無い。

 

苦しみは、その人が持っている観念、思い込みの強さ。

 

・思い込みが強いと、どれだけ人を裁くの!プンプンって話に。

 

・0か100か、一つダメだと全部ダメって、やりかねない存在だよ私達。

 

・その思い込みの枠に、他人だけじゃなく、自分も当てはめる。

 

・自分のルールこしらえて、ガチガチにいきてるってそういう存在だよ私達。

 

・でも僕たちは、そういう枠の中に収まる時ばっかりじゃない。有機体です。生きてます。優しい時もあれば、優しくない時もある。美しい時もあれば、醜い時もある。そうです、両方持ってますよね。

 

 

・本当は、苦しんでいるその人自身が、苦しみを作っている。誰にも救えない。

・自分を救うことはできるんだけど、人は救えない。

きっと人を救うのは僕たちの仕事じゃない。
僕の仕事でもないし、あなたの仕事でもない。

その人の人生の、その人の仕事なんです。


・本当はこうやって生きていきたいって思うのに生きられなかったら、そう生きられない何かしらの観念を持っている

・心の奥底に染み付いて、僕たちにもコントロールしてるやつを、
考えて見つけることができたらね。でもできないんだな、これが。

 

 

 

 

観念、思い込み。自分で決めちゃったこり固まった見方。

多くは子供の頃に決めちゃったこと。怖くて、身を守りたくて、

拗ねちゃった考えを採用したそのまんま、なことだね。

 

1)”観念の眼鏡”が、自分の”苦しさをつくる”こと。

2)人だからさ、優しいもある、優しくないもある。

 美しいもある、醜いもある。”人はイイ、ダメの2面性を

 もった(愛らしい)存在”。

 イイばかりの1面だけには、当てはまらない。

 

この1)、2)、 特に、阿部さん、伝えてくれてる。ニコニコ

 

観念、言い換えれば、「べき」。自分のべきを知って、

「苦しみを和らげ、救っていくのは自分だよ。

 その人本人の仕事だよ」って、阿部さん。

 

”コントロールしてる観念見つける。でもなかなか

 できないんだな”って、阿部さん。

 

 

(阿部さんのお話しと心屋塾の話が繋がるね。)

 

 

思い込み、観念から生まれる苦しみ。

 

こんな、イイ悪いの両面、2面性が、人の本来の姿、

がんばってる所で、愛らしい所で、尊敬される所で、

助けあえる所。。

 

をよく、心屋では見抜いている。

 

 

だからこそ、これまで、

頑張ってきた、頑張る教(”イイ人ばかり”)で、

来たみんなだから、

ここらで、もう一方(悪いといわれる方)の、

やりたくない方やろう!迷惑かけよう!

社会でダメと言われている、わがまま言おう!

好きを通そう!元々を認めようって!

言っている。

体験してみて!

ね!!

「以外と助けてくれる人も多いから」って。

(”イイ=人の為の行動、悪い=自分の為の行動”

 という構図がある。バランスとろーーー!

 自分勝手でいいーーーーーーよーーーー。

 大丈夫ーーーーー。

 自分を満たせれていない人は・・・悪い方の

 体験してよ!ってね。)

 

 

「観念を見つける、修正する難しいんだな」って、

阿部さんこの本のこのページでは言ってるけど、

 

心屋では、一人にならないでね。話そうーーという。

心屋のオープンカウンセリング使ってね。

カウンセリングに来てねと言っている。

 

”話せば、思い込みが緩む” ⇒自分の”苦しー”が緩む。

”言えると癒える”

”話せた時から、幸せになっていく”  って

 決まっている。。。。。

 

リアルな対話と、文章で理屈を追うのとは、

明らかに”分かる体験”が違う。

話して楽になるとイイねって思うよ。つーちも。おねがい

幸せで居てね。自分一番でいいよーーーーーーって。

 

 

 

 

 

思いついたこと書きました。

今回は、こんなもんで。

素敵なみんなに幸せ、雪崩の如く訪れますラブラブ

虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹

 

じゃあ、また。つーちでしたおねがい