「私も「PACHINKO」」 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

 ドラマ「PACHINKO」5話までイッキ見!


 ヨン様です。

ホント、マジであの日以来グッバイ韓国、韓国シャットアウト!と思ったけど、世の中韓国朝鮮アイテムが溢れていてシャットアウトとか無理!だって身分証明書提出する度に国籍韓国って記載されてるし、相方のストロベリーちゃんは相変わらず朝からニュース工場観てるし(マジでメンタルまんづよ!)  娘は一日中セブチ流してるし、     結婚式に行ったら当然民族衣装見るし日本人新婦の女友達は団体でTWICE披露するし、シャットアウトとかもう物理的に無理!


 そしてあまりにも後輩が言うもんだから取り敢えず観たのが「PACHINKO」。

 もうね、朝鮮学校で習った歴史そのままじゃん!우리학교 짱👍今の自民党政権下だとかなり言い辛い在日の歴史的史実をアメリカドラマ「PACHINKO」がほとんど我々の代わりに言ってくれてる!それも超ド派手に!コレでもかっ!て100億円かけて世界中に配信してくれてる!아이고 속이 정말 시원해!

 もうすでに反日ドラマのレッテル貼られてるけど韓ドラじゃなくてアメドラだから批判も今一つ歯切れが悪い。その評判と高評価に完全に圧倒されてる感。이것이야말로 사이다 아입니꺼?

 アメドラが100億円かけて世界中に配信しちゃってるからいくら歴史修正主義者が頑張っても修正するのはもはや無理でしょ。世界中で日本人だけが日本と朝鮮半島の本当の歴史を知らないガラパゴス化にならないように日本の知識人達の奮起を待ちたいところですが期待薄でしょうか?


 幼少時、千葉の市原市姉ヶ崎でパチンコブルーリボンを経営していた父と母。私は周囲から「ブルーリボンの倅」と呼ばれていた。他にも「鳩パチンコの倅」や焼肉「金剛園の倅」「白頭山の娘」なんかもいた。
 咸鏡北道吉州出身の父はソウルで中学校を卒業し解放後ソウルで「建準(建国準備委員会)」の手伝いで交通整理等をしていたが母親(私の祖母)が何故か戦雲急の予感で6人姉弟で末っ子長男の父に日本行きを強く勧めたと生前の父から聞いている。故郷の吉州から母親がミシカル(餅米を挽いた粉)を沢山送ってきて密航船の中で泣きながらミシカルをすすった時は17才だったそうだ。

 日本に行ってしまうソンジャの為に母親が市場で米を買うシーン。貴重な白い米は日本人向けで朝鮮人には売ってはいけない。渋っていた米屋の主人が(毎時日本の警官が見回りしていて米を朝鮮人に売るとボコボコにされる)事情を知り2合の料金で3合を渡しそっと小さな声で「삼홉 들어있대이」、もう思い出すだけで涙が止まらない。
 慶尚南道の方言が当時の在日一世어르신達を彷彿させてグイグイ感情移入させる。


ドラマの内容から日本では配給する会社が無いらしく、なので日本語版の予告編は無いようです。

 ソンジャが1989年にようやく故郷を訪れて再会した一人暮らしのポッキが「私とトンヒはその後、満洲の工場の話があって、戦争が起こって、変わり果てた姿で帰って来て、トンヒは帰ってこれず、とても女将さんには会えなかったよ」
 カムカムエヴリバディとかじゃ絶対に描写できないよね、アメドラだから出来た。
 おかげでアップルでTV登録しちゃったよ。

PS
今年の11月に東京朝高31期卒業生還暦同窓会があります。31期同窓生の方々どしどし参加してください。

네 여러분 즐거운 하루 되세요!
アンニョ〜ン!