生まれて以来1度も女性になったことの無い私はこの本を読んで今まで思いもよらなかった事を女性達が感じながら現在も生きているのかと愕然とした。
1970年代後半から1982年代前半にかけて女子で最も多く名付けられた名前がジヨン(ファーストネーム単独だと本当はチヨンと発音されるけど便宜上ジヨンで統一)で、それに最も多い氏であるキムをつけて一般化したのだと韓国語版Wikiでは説明されている。
この本を読んでまず最初に思ったのは、韓国社会には教育現場から会社、バス停に至るまでどんだけ変態男が多いのか?!
こんな「変態社会」に女性達は生きているのかと言う思い。
ただこの部分は誇張していると言う批判も多いのは事実。だけど今回は本を起点に考えてみる。
私も変態の端くれだから変態の心理はわかる、いや「端くれ」は自己評価がささやか過ぎる、私は普通に変態だ、マジで。
でも、決して過激な方では無い、本当に!アブノーマルとかの上級者レベルまでは行ってないよ(今のところ)!本当だよ!信じて!たまに覗く程度で登録したり金銭を払ったりした事は無いよ!本当だってば!
たまに上下に揺れる裸体で画面がフリーズした時(永遠に揺れている)に豆のように小さくなって相方のストロベリー氏に解除してもらう時の彼女のあの表情はまさにキム・ジヨンとかぶる。(でも、カノッサの屈辱の様なその裸体フリーズ事件がさらなる変態の抑止力になっているのも悲しい事実である)。
しかし最早韓国では「覗く程度」は立派な罪で罰せられるのだ。「覗く程度」は女性の性搾取の立派な消費者なのだ、私も変わらない、たまたまとか興味本位とか一度だけとかは通用しない。
てゆーか、なんでこんな恥ずかしい個人情報を自ら進んで公開してるの私?自ら丸裸になってるではないか?!
閲覧する人少ないのに気にする自意識過剰な私。
最近よく思う事は
スタイルのめっちゃいい女性がめっちゃ露出度の高い服装で歩いてる。
その女性の胸をチラっチラっと見る。
その女性が近寄ってきて自分に「この変態!」と言われたとする、或いは隣で歩いていた相方でも同性でも何でもよい、同伴していた人間に「おまえ変態か?」と言われた場合、やはり落ち度は自分にあると思う。不快感と言うのは主観だから、見ようとして見たんだから自分が悪い。だったらそんな露出度の高い服装するなって?服装は本人の自由だし、露出度の高い服装の人がそんな男性心理を狙ったとしても見たほうの落ち度だと本当に思う。社会が窮屈になるとかは関係ないと私は思う。
常に変態悪魔と理性天使が争い前者が圧倒している私の心の中だけど、この本はそんな私を啓蒙するきっかけを作ってくれたような気がする、でも時間はかかりそうです、悪は強いんだよね、
伊藤さやか「天使と悪魔」
「日当たり良好」のヒロイン役、相手が竹本孝之。
네 여러분 즐거운 하루되세요!
アンニョーン!