歴史的経堂会議 | ヨンさまブログ

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ブリタニカ百科事典

経堂会議
2018年8月27日東京都世田谷区経堂で開かれた日本のリベラルの将来、在日韓国朝鮮人の人権問題、マイノリティ教育、女性の地位向上、千葉県は埼玉県よりも地位が上か?問題について今後の道程をハッキリと示し、アベ政権下で搾取と圧迫を受けている日本国内の全ての人民達に明るい未来と勝利の信心を与えた歴史的会議。

현대조선말사전

경당회의
2018 년8 월27일 도꾜 경당에서 열린뜻깊은회의.
회의에서는 「일본혁명의진로」에대한 보고에서 일본혁명의 주인은 일본인민들과 재일동포및 재일외국인이며 그들을 조직동원해야만 혁명을 수행할수있으며 혁명은 어디까지나 인민대중자체의힘으로 실정에맞게 수행해야한다고 천명된 일본혁명사상 회기적인회의.


もうね、
雑誌「朝鮮学校の風景」編集長夫妻、M大学のC教授、日本で1番の美人ジャーナリストのMさんとか、ワタシがここに居ていいの?みたいな、

参加者全員が深い知識と見識を持って意見を交換する中、ワタシはと言うと「千葉県」ネタ一本で勝負!
1972年の「金日成元帥生誕60周年記念大マスゲーム」の時の千葉朝鮮学校の生徒達は新検見川から長駆バスで駒沢まで乗り付けたが、しかしその途中、多くの生徒達はバス酔いに苦しめられゲボしながらも最後まで「ペギョンパン」(背景画板=人文字で使うスケッチブックが巨大化したような、めくれる百科事典の様なやつ)を離さなかった話とか、その時、千葉朝鮮学校の子供達は私のイモ(叔母さん)が差し入れたケンタッキーフライドチキンを初めて見たとか、

札幌オリンピックの時、
当時の千葉朝鮮学校では授業を中断してテレビ中継で開幕式を観戦し、前回グルノーブル大会スピードスケート銀メダリストのハン.ピルファ 選手を旗手(そうだったんじゃなかっかなぁ)に入場行進する朝鮮民主主義人民共和国選手団に拍手を送ったはなしとかのみで対抗するという無謀なワタシ、
素手でオスプレイとタイマン張る感じ?

ちなみに、オリンピック開幕式観戦で大韓民国選手団が入場した時も朝鮮学校の生徒と先生達は熱烈な拍手を贈りました、当たり前のように、暖かい眼差しで南北選手団を見ていた朝鮮学校、当時の民団系の民族学校はどうだったんでしょうか?

C教授、もうね、実名出せばきっとみんなも知っているC教授、
もっと話を聞きたかったマジで、
中国朝鮮族の成立ちと歴史、在ロシア朝鮮人の歴史とロシア革命、日本政府の朝鮮学校弾圧の歴史(第一次弾圧は1930年代までに遡る)等、こんな話タダで聴いていいの?的な、

そんなC教授は実は千葉朝鮮学校の後輩でワタシが散発的にかます千葉ネタに乗っかってくれるその心づかいが目上の人を敬う朝鮮学校の美徳を彷彿させるワケなんです。

C教授のエピソードで印象深かったのは中級部のバレーボール中央大会の話。
全国で2校だけ、全国でたったの2校だけ真っ黒に日に焼けたバレーボールチームがあったそうだけど、
どこかわかりますか?

答えは千葉朝鮮学校と東大阪朝鮮学校。

何故か?

体育館がなかったからなんです。
でも、当時、その2校は一番強かったらしいです、
実際に大阪朝高はバレーボールめっちゃ強かった、
選手権に出れるようになったのも大阪朝高バレーボール部がキッカケだし、

その辺りの詳しい事を知っている方は是非教えてください、

でもさ、何がイラッとするかって言ったら、
私の方が先にC教授を知っていたにも関わらず、ストロベリーちゃんがスゲー馴れ馴れしくして、いかにも昔から知ってた的なアピールをしてた事、

ブラックなストロベリーを知っているのは私だけなのに、、、

「経堂会議」が「経堂怪談」にならない事を祈るばかりです。

で、私の夢はと言うと、
将来、うちの店で会議とか開かれて、
「れんが合意」とか「れんが宣言」とか「れんがの誓い」とか歴史に残って「経堂会議の記念碑」とか建てられて教科書とかに載って観光スポットになって
「へえ〜 意外と小さいんだね〜」とか観光客に言われたりなんかして、
「でも、この小さな空間から日本を動かす革命が始まったんだね〜どれどれ ほぉ〜参加者は著名人ばかりだねぇ〜フムフム、ところでこのヨン様って何様?」とか言われてね、

なんなら「れんがの屈辱」「れんが一揆」「れんがシンドローム」とかでもいい、
さすがに「れんが血の日曜日事件」とか「れんがの虐殺」とかはやめてください、

日本3大がっかり名所、
高知のはりまや橋、札幌時計台、長崎のオランダ坂に経堂の「れんが」が加わって日本4大がっかり名所になるって言った君、
死ね〜〜〜‼



ちなみにこんなポップも貼り付けて、この人は誰でしょう?あたった人には1品サービスキャンペーンをインスタでやってるけど誰からも反応無し!

これをわたしは密かに「れんがの悲劇」と呼んでおります。

おわり