「ソンセンニン覚えてますか?」
メッセージが点滅する。
「ソンセンニン」
私の事を「先生」と呼ぶ人がいるとしたら、まさか、、、34年前の大阪岸和田?!
南大阪朝鮮中級学校での教育実習の時のスナップ。
もうね、20数年ぶりにアルバム開いたよマジで、
もうね、月9よりもドラマチックな展開に予定を変更してお届け致します。
朝鮮大学校は政治経済学部、経営学部を除くその他全ての生徒が3年秋には全国の朝鮮学校に約3週間の教育実習カリキュラムがあるのだ。
学生達は全国の民族教育の現場を実地で体験し地域の同胞コミュニティと触れ合うのだ。
当時は学生の出身地と遠く離れた地方に配置された、首都圏出身者は地方、地方出身者は首都圏の朝鮮学校に配置され出身地とは違った同胞コミュニティを肌で実感するのだ。
(現在では保護者の負担を考慮し基本的に出身地に配置される)
そして、そこには当然、当たり外れがある。
「東京都下のウリハッキョだけには当たりませんように」
と皆、祈ることしかできなかった。(アキエか?!)
教育実習「振り分け会」当日はまるでサッカーワールドカップのグループリーグ抽選会のような熱気だ、いや、それ以上だ、だって教育実習は朝鮮大学校キャンパスライフのハイライトなのだから、1度しかないのだから、
「大阪カルテット」の1人である「イーちゃん」が代表で抱負と決意を読み上げる。
「僕はたとえ東京第4に配置されたとしても決して決して悲観にくれず最善を尽くします!」
東京朝高、東京第1、東京第3、東京第4、東京第5、東京第6、東京第7は当時「死の組み」と呼ばれて恐れられていた。
三多摩第1、川崎ウリハッキョ、神奈川朝中高、埼玉ウリハッキョなどの首都圏ウリハッキョも「準死の組み」と恐れられていた。
(ちなみにストロベリーちゃんは見事に東京第6のクジを引き当て、当時の事を余り多くを語りたがらない、が、担当したクラスに後のWBCスーパーフライ級チャンピオン ホンチャンスがいた事だけは事あるごとに言及し「チャンプは私の教え子!チャンプを育てたのは私‼️」と言う持論を絶対に曲げない芯の強さに返す言葉もありません)
都会の朝鮮学校の生徒達、特に東京の生徒達はドライかつ実習生達に無関心かつ地方出身者(ほぼ100%地方出身者が配置される)に対する上からの態度など悪名が高かったのだ。
その一方で実習生達からの全国ウリハッキョ人気ランキングトップ10もあったのだ。
1位北海道ウリハッキョ
(なんかぁ、当時流行っていた「北海道デッカイドー」の影響もあって広々とした北海道で民族教育を体験したいってみんな思ってた、飛行機乗れるし)
2位山口朝高、或いは山口県下のウリハッキョ
(関門海峡とかみたいし、必ず同胞がフグをご馳走してくれるという噂が流れていた)
3位九州朝高、或いは九州地方のウリハッキョ
(博多っ子純情のイメージ)
4位広島朝高、或いは広島県下のウリハッキョ
(やはり「仁義無き戦い」の地元で民族教育を体感したいよね)
5位東北朝高
6位四国ウリハッキョ
7位新潟ウリハッキョ
(当時は万景峰号あったし)
8位西播ウリハッキョ
9位明石ウリハッキョ
10位宝塚ウリハッキョ
(なんか、教員達が全員美人に違いない!と思はずにはおれません)
別に統計取ってないけどこんな感じではなかったでしょうか?
首都圏に比べ地方の朝鮮学校の生徒達は素朴で情が熱く辺境に行く程その傾向は濃くなるのだ。
そして私が配置されたのが南大阪ウリハッキョ、
東京から離れた大阪に配置された事がマジ嬉しかった、
新幹線に乗れる!
とテンションマジで上がりました!
次回に続く
ちなみに34年振りにメッセージをくれたその女生徒の義弟(妹の配偶者)が「深層ニュース」で大活躍した朝鮮大学校のリ准教授って、どんだけドラマチックな展開?!
ちなみに一昨日に起こった出来たてホヤホヤのホットな実話ですから!
盛ってねーし‼️