「西神戸コマチュック物語」 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

「チャヒョンこれ」

チョナムに渡された冊子を手に取る。

うわー!なんだこれ!

「西神戸(以下ソシン(西神))コマチュックの写真集です」

まるで1974年ワールドカップ西ドイツ大会で優勝したときのプレミア的特集「西ドイツ栄光のイレブン」ではないか?!
フランツ ベッケンバウアーがジュールリメ杯を高々と掲げてその横でゼップ マイヤーが笑顔してるあの有名な表紙のあの特集号、紐で縛ってあって立ち読みできなかった幻の写真集。

今年のソシンは前評判が高く全国から招待が殺到したのだ。
夏には東京第一(以下第一)に招待され西東京第一(以下西一、我々は今でも多摩一と呼んでしまう)と共に合宿もした。
ソシンと第一はお互いに決勝で会おうと約束して合宿を後にした。
まさかその2校が決勝で顔をあわせるとは!

五年ぶりの神戸の正月は甥っ子コマチュックの大活躍の話が尽きず大いに盛り上がったワケなんです。

一番大事な決勝前の2試合でエースが地元クラブチームの試合を抜けられずに欠場した事。
ようやく決勝に進出したら別の主力の子が腕を骨折。
(まるで1970年メキシコワールドカップの準決勝対イタリア戦の時のフランツ ベッケンバウアーではないか?!肩を脱臼しテープで固定しながらダイビングヘッドをして守る)

もうね、満身創痍。

しかし試合はソシンが終始主導権を握る。

ソシンのシュートが決まったか?!
第一のキーパーが横っ飛びセービングで弾く!
リバウンドをソシンがヘッド一発!

よし!決まった!?

いや!セービングしながらもう片方の手でキーパーが弾く!

お〜おっとどよめく会場。

攻撃の手を緩めないソシンはその後少なくとも3度の決定機をことごとくキーパーに阻まれる。

そして笛が鳴り試合終了。

ガッツポーズの第一キーパー。

第一の戦略はどうやらPK戦が狙いだったようだ。

ソシンのゴールキーパーはうちのチョッカ。
写真や動画で見ると1番ちっちゃい、
第一のキーパー1番デカイ!

まるで2000年ユーロ選手権ベルギーオランダ大会準決勝で優勝候補オランダがイタリアを圧倒しながら試合中に2本、PK戦で3本、計5本のPKを外して敗れたゲームを彷彿させる。


表彰式も終わり帰路に着くころソシンと第一の子供達がすれ違う。
ソシンの子供達が「優勝おめでとう」と祝福する。
その言葉に思わず号泣してしまう第一の子供達。お互いにハグをして再開を約束するウリハッキョの子供達。

全員がこのエピソードにウルウルしてしまう神戸の正月。

後日譚
神戸に帰ってきたある子供は夜あまりの悔しさで号泣したそうだ。

父親が「2位になったじゃないか、準優勝したじゃないか」と1990年イタリア大会でPK戦狙い戦略で準優勝になった当時のアルゼンチンのマラドーナ主将の様な言葉でなだめると、

「アッパは中央大会の決勝に出た事あるんか?!」

「ない」

「だからアッパにはわからへんねん!この悔しい気持ちが!」

「はい、すんません」


チョッカだけでも20人近く集まった神戸の正月の夜も更けて集合写真を撮る事に。

この写真は絶対公開してはダメですよ〜‼️

ブログとかに絶対アップしてはダメですよ〜‼️

特にフェイスブックなんか言語道断ですよ〜‼️

これって絶対オレのことじゃん!

この中でfbとブログしてるのって言ったら、

オレだけじゃ〜ん‼️

連れ合いの実家で奇襲攻撃を仕掛けられながらも全く聞こえなかったフリを一貫して通し和平を守りきったオレって偉くね?

てゆーか、
ここ最近はよっぽどのことが無い限り画像のアップとかしてませんから!
文章で勝負してますから!
お願いされても画像載せませんから!