中国と私 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

1990年10月福建省福州市の公衆トイレ前。

番台のおじさんに銅銭を払うとちり紙を1枚くれる。
親切な彼女のお父さんがとても慣れた足取りで私を先導する。

直後に目に映った光景に私は愕然とする。

私も54年をこの地球で生きてきて人並みにソコソコのカルチャーショックを受けながら成長してきたワケなんですが、

しかし、
この時程大きなカルチャーショックを受けた事は後にも先にも無いワケなんです。

囲い無し!
トイレとしての死活問題という問題すらもはやそこには存在しない。
いやいやいや、トイレの囲いなんて後付けでしょ?
とせせら笑いが聞こえるくらいの強烈なパンチ力。

正方形の部屋に丸い穴が100個くらい5列に並んでいて人々が思い思いに考える人のポーズをとっている、
とゆーか彼女のお父さんについて行くと場内のダンテ達が全員私達に視線を向ける。

もうね頭がクラクラしてチビりそう。

お父さんが穴を検分しニコニコしながら「こっち、こっち」と手振りをする。
お互い言葉は通じない片言の英語だけが頼りだ。

私をその穴に連れて行き「ここでしなさい」と指を指す。
すでに戦意を喪失した私に追い打ちをかけるように隣で「さあ、さあ」と私を促しながらズボンを下ろしてダンテになるお父さん、

え〜‼️真横で‼️

え〜‼️

小動物のようにオドオドした私も遂に腹を決めてズボンを下ろす。

真横でお父さんが話しかけてくる、
もうね、すごいプレッシャー!
囲いありませんから!
まるでNOVAのボイストレーニング!
どうやらちり紙の使い方を教えてくれてるらしい、
1度拭いたら半分に折ってもう一度拭いたら更に半分に折りなさいみたいな。

音響効果も抜群
ちょっとしたオペラハウス並みに音が鳴り響く。

福建省の人々は気さくで人懐っこい
「誰その人?」
近所の人達がお父さんの周りに集まる。
どうやらお父さんは
「娘のボーイフレンド、日本から遊びに来た」と言ってるらしい。

気がつくとダンテになっている私達2人を中心に近所の人達が輪を形成している。

みんなが私に向かって「ニーハオ」と声をかけるので私も「ニーハオ」と返す。
日本についてスゲー聞いてくる。
生まれて初めてズボンを下ろしたスタイルで自己紹介をする、
これが噂で聞いていた洗礼を受けるという奴か!
でも世の中にこれ以上恥ずかしい事ってある?!
わたしはいっそトイレの穴の奥深く深く永遠に潜ってしまいたいと心から思ったワケで。

それよりも何よりも私が一番気掛かりだったのはまた再びこの人達とあった場合の事である。

「あ、あの時のトイレでウ◯コしてた日本から来た人ね!」
って絶対なるじゃねーか!

てゆーか、一生初対面が「ウ◯コしてた日本人」(在日だけど中々理解しがたいようだ)になっちゃったワケ!


彼女の実家は築200年以上。
清朝時代に建てられた長屋のような中国映画なんかによく出てくるような頑丈な家で数世帯がそこで生活を営んでいる。
家に戻って彼女にその顛末を話す。
夕方になると近所の人達が大勢集まって来た。みんな爆笑している。
彼女に尋ねると
「みんなウ◯コしてた日本人見に来たんだって」

だーかーらー
私は言ったでしょ?そうなっちゃううって!

当時の福建省は上海や広東省などと共に南部沿海地方の改革開放が最も盛んに推進されていた地域でまたその時はちょうど北京アジア大会が開催中で人々の表情は明るく「反日」の雰囲気など欠片もなかった。
というか私の知る中国人は素朴で同じ肌の色、同じ目の色をして箸を使い米を食べる日本人にむしろ親近感を持っていると強く感じたワケなんです。

最近激しく議論をしていた在日と日本人が対中国となると日本のメディアに影響を受けた日本の中国論に乗っかってしまう在日が散見されちょっと心配になりますが、
メディアで語られる中国人論と私の周囲の中国人達は全然違うんですけどねえ、、、
もちろん中国はとても広いの一言で国民性なんて言えませがメディアに乗せられる人々が心配です。