済州島でのお葬式 Ⅵ | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

幼い時大人達が冗談交じりで話していた

「済州島には嫁に出すな」
「済州島の嫁を貰うな」

本土と島では習慣の違いでお互いの嫁が苦労するという意味だ。

私のハンメはイモ(叔母さん)の結婚に更に条件を付けた
「日本人はダメ、民団はダメ、総連の専従イルクンはダメ、地方はダメ、年が離れてるのダメ、髪の毛薄いのダメ」

当時、60万在日同胞と言われていた、単純に半分が女性と考えて既婚者と子供を更に引いた上でハンメの条件を考慮した場合、私のイモの結婚の可能性は限りなくゼロに近く、イモがもし結婚できたとしたら、人はそれを「奇跡」と呼ぶに違い無い、と幼い私でさそう感じたものである。


翌日の朝7時に出棺

チャグナボジの棺が遺族達に霊柩車の前まで運ばれいよいよ最後のお別れである。
棺の上に各自が花を載せる、
昨日まで気丈に振る舞っていた遺族や友人達も涙で顔がぐしゃぐしゃだ。
ひつぎに小窓が無いので顔を見ることはでき無い、
みなひつぎに最後の言葉をかける。
長男の嫁が遺影を抱えて火葬場に向かう霊柩車に乗る。

火葬場に到着すると면안실(だったか?)という小部屋に案内されガラス越しのひつぎに向かって最後のチョルをする。
今朝から4度目のチョルには意味がある。

現在の韓国人の日々とても忙しい、
身内の殆どは職を求めて都会にでる、しかも雇用制度は不安定で共稼ぎは当たり前だ。
催事の度に帰郷するのは余りにも負担が大きい。
そのような現状に合わせて1年分の催事の儀式をお葬式の時にするのが大勢を占めているというのだ。
地方によってもちろん冠婚葬祭に多少の違いはあるが現在の韓国ではソウルも済州島もほぼ大きな違いは無いという事だ。

全国の均等化でもはや私のハンメが心配するような事はもはや無いのだ。
むしろ在日韓国朝鮮人に古い習慣が温存されていると言えるのではないか(それも現在では少数派ではなかろうか)。

お葬式の間中必ず国家資格を持った式場の指導員が付き添う。

指導員のリードで儀式はつつがなく進行される。

小部屋で指導員が「곡소리 하세요(コッソリしてください)」促す。

なんだろう?

すると遺族達が一斉に

「アイゴー」と慟哭するのだ

泣き女などいない

以前、K藤さんが紹介してた韓国映画「コクソン」のコクの事なのだ、

慟哭をしないと「早くあの世に行ってくれ」ととても非礼になるのだ、韓国では至極当たり前の慣習という事である。

小部屋に入りきれず入り口でブカブカの帽子を被り神妙にしている私に向かって指導員が振る
「慟哭してください」

いくらなんでも初出場のビギナーの私には難度の高過ぎる儀式では無いか!とハンカチで目頭を押さえながら「ムリムリ、本当にムリですコレだけは」と心の中で慟哭する。
隣に立っている義弟2人にチラッと目をやると全然違う方向を見つめながら聞こえないふりをしているように見える。

そして火葬が済むと施設の納骨堂に安置して一人づつ礼を捧げ、弔問客に向かって長男が遺族を代表して謝意を述べてお葬式は終了となる。

私は考える
激しい民主化運動、厳しい民衆弾圧、大企業による悲惨な事故での犠牲を経験した韓国国民の葬儀と苦労はしたものの天寿を全うしたチャグナボジの葬儀とは全く別の景色であろう。
南北朝鮮半島の全ての葬儀がチャグナボジの葬儀のような心暖まる優しい葬儀となる日が1日も早く来る事を祈る。

でも、私はけっして良い人ではありません、人様から「キモい」とよく後ろ指をさされます、、、

次回「後日譚」に続く