在日朝鮮学生美術展が最近凄い!
技巧はもちろん高いけど
何より発想が自由!
だと
ストロベリーちゃんは熱く語るのだ、
※若かりしころくちびるがイチゴショートのイチゴのように可憐だったからストロベリーちゃんね、なにか?
時代は変わったのだと痛感せざるを得ない、
あれは、
40数年前、千葉のとあるウリハッキョ、
「泳げたいやきくん」が大ヒットし「記憶にございません」が大流行、
「犬神家の一族」や「ホッカホカだよ、おっかさん」、
ピンクレディーや浅茅陽子がデビューした当時、
図工の授業で私は当時オランダのサッカースーパースター ヨハン クライフをを描いて1人悦に入っていた、
しかし先生は
「主体性がありません、
私達は外国の選手ではなく
ウリナラの選手を描くべきです」
これがトラウマになり私は図工、美術が好きではなくなった、
ほんとうに時代は変わった、
朝鮮学校も変わった、
そんな私は縁あって
朝大美術科出身のストロベリーちゃんと人生を歩むようになり日々、美術の薫陶を受けるようになる、
でも、私は知っている、
誰も知らない彼女のエピソードを、
私は知っている
当時、
朝大美術科と言えば規律がとても厳しく、とても堅いイメージで常に理論武装もバリバリといったコワイ感じの集団であった。
いわゆる「真っ赤か」、
美術科の女子達が通ると私達はモーゼの十戒の死海の水の様に道をサアっーと開けたものである。
そんな美術科一年生の班長だったストロベリーちゃん、
ある日、
美術室を借り切ってみんなで写生をすることになった、
りんごのデッサンを始めると
美術室に次々とイケメン達が入ってくるではないか?
なんと、
クラスメイトの他の女子達は全員
写生をいいことに各自お気に入りのイケメンをモデルに依頼し神聖な美術室に連れ込んだのだ、
一瞬、ヤバくね、
ストロベリーちゃんの心によぎる、
がしかし、
室内所狭しとポーズをとっているイケメン達の様子は正にこの世の美を全て集積した生きたルーブル美術館の様ではないか!?まさに圧巻であった。
まさに美の競演!
社会主義パラダイスとは、こういう事なのか!?
世界に羨むもの無しとは、これか!?
穴があくほどイケメンをガン見してもいいのだ!
舐めるように見てもお咎めなしである
だって絵を描いているのだから!
しかし、
幸せというものは永くは続かないものなのだ、
虫の予感で巡回に来た美術科の先生にあえなく露見される
一瞬、
目の前に広がる光景が信じられず
しばらくの間フリーズ、
再起動するまでかなりの時間を要した気の毒な先生、
翌日
班長のストロベリーちゃんは先生に呼び出され、
先生はまるでスクールウォーズの山下真司のように泣きながらストロベリーちゃんに説教をしたそうである。
以後
美術室は完全男子禁制、
規律は益々厳しくなり
もはや戒律となったそうだ。
栄光の師範学部美術科の悠久の歴史に残る小さなシミのような黒い点、
カレーうどんのスープが飛んだような、
人々は彼女達を畏敬の念を込めて呼ぶ、
「暗黒のストロベリー世代」と、
私はこの事件を密かに
「美術科、集団イケメン拉致事件」と呼んでいる。
表世鐘と言う在日画家が描いた朝鮮学校の確か국어교과서(国語教科書つまり朝鮮語)の表紙絵
三人の子供達は本人の子供達がモデル、
実は1人は女の子で帰国事業で朝鮮に帰った後、
その女の子は札幌オリンピック朝鮮代表をあのハンピルファ選手と最後まで争ったピョスニ選手、
彼女は私の従姉さん
つまり表世鐘氏は私のイモブになるわけで
在日美術と私は何だかんだと関わりが深い
二階の座敷席に飾られている絵、
最近まで知らなかったけど
今、埼玉朝鮮初中級学校の校長先生が描いた絵、同級生、
なんでもっと早くおしえてくれなかっんだよ?!
ストロベリーちゃんのいけず、、、