をみなさんはご記憶ですか?
本国ではリエゾンが発生してパギョンスン選手と呼びますが、
ここではパク ヨンスンで統一します、
145cmの小さなサウスポー、
ラリーごとに気合を前面に出し、会場中に響き渡る大きな声
左腕をいっぱいに伸ばしての鋭いスマッシュ、
接戦、逆境で発揮した驚異の勝負根性、
初出場の1975年世界卓球選手権カルカッタ大会で
世界の強豪をバッタバッタとなぎ倒し、
みごと栄冠を手にした、
パク ヨンスン選手、
この大会で共和国が送った代表は彼女一人だけ、
極東の小国からたった一人で王国中国に挑戦し、
その牙城を崩した無名の小柄な少女、
まさに元祖「小さな巨人」
王国中国のエース張立選手との一進一退の世界卓球史に残る大接戦、
彼女の勝利は当時、
国籍、民族、思想、宗教の違いを超え、
世界中から絶賛されました、
次の1977年バーミンガム大会、
くしくも決勝戦は前回と同じ王国中国の面子をかけて雪辱に燃える、
エースの張立選手、
まさに、「アタックNO1」「エースをねらえ」を観ているよう、
しかし「小さな女王」は再度、王国の挑戦を退け
大会2連覇の偉業を達成、
その活躍は当時の民族学校の日本語科目の教科書にも掲載されました、
それ以降現在まで、
世界卓球選手権女子部門で中国以外の選手が優勝したのは、
1993年イェーテボリ大会での韓国代表ヒョン ジョンファ選手ただ一人、
ヒョン ジョンファ選手と言えば、
優勝した2年前の91年東京大会での、
「ミラクル統一コリア」チームのメンバー、
幕張メッセでの対中国決勝戦、
3時間40分の大接戦の末、勝利をもぎとった、あの南側代表の選手、
選手生活の中で彼女が唯一涙を流したのは、この時だけだったと、
後日語っています、
現在公開中の韓国映画「ハナ」はまさにこの東京大会のお話し、
パク ヨンスン選手、
2年後の世界選手権は彼女の地元ピョンヤン、
3連覇の重圧が145cmの彼女の小さな肩に重くのしかかります、
彼女は惜しくも準決勝で中国選手に敗れます、
しかし、彼女が達成した偉業が色褪せることはありません、
褪せるどころか益々輝きを増します、
共和国のヒロイン、みなさん思い出されたでしょうか?
焼肉ぱんがもたまには思い出してくださいな、
うちのママもヒロイン伝説には事欠きませんから、
山形牛、んね、いいでしょ?
¥740~¥1600!
うそだと思うなら食べてみてください!
家族の会話
父
「コツコツ努力すれば、いつか誰かが気が付いてくれる」
息子
「う~ん、そうかなあ」
叔母さん
「努力はかげでするものじゃないの!見せるものなのよ!
人は見えないものはスルーするの!」
と、キッパリ
息子
「だよねえ」
息子の将来が心配である、、、