「ユッケの世界旅行」でしてよ、 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

 昭和40年代、日曜朝の定番番組といえば、

「兼高かおる 世界旅行」、当時、海外旅行なんて夢のまた夢、

パンナム機がとってもオシャレに見えた当時が懐かしい、

ハワイ旅行と100万円が庶民の憧れ、1ドル¥360の時代、

当時、朝鮮国籍だったうちの家族は、

一生海外旅行なんて無理だろうなと思っていた時代、

それでも兼高さんの「できましてよ」「やりましてよ」の綺麗な日本語と

はじめて見る海外の様子を夢中になって観たものでした。

若かりし頃の兼高さん

当時はそのほかにも、グラハム・カーの「世界の料理ショー」、

ルーシー・ポールの「ルーシーショー」、牧伸二の「大正テレビ寄席」等、

日曜日は名番組が目白押しでした。

牧伸二の「バーゲンセール」は最高でした、

「バーゲンセール」、もう死語ですな、当時はカップルをアベック、

ハンガーはえもんかけ、ギャルは「カワイ子ちゃん」と呼んでましたよ、

あとウーマンパワーとかウーマンリブとかありましたね、


そう、ユッケの話し、

13世紀、モンゴルがユーラシア大陸に史上空前の大帝国を建設、

その恐ろしさに、当時のヨーロッパ人はギリシャ神話の地獄の住人

タルタロスの使いという意味でモンゴル人を「タルタル人(タタール人)」と呼んだ、

そのタタール人、騎馬での移動の際、袋つめの肉を馬の背中に置き

その上に鞍を置いて人が座り、肉をやわらかくした、

その料理をヨーロッパ人はタルタルステーキと呼び、

ドイツのハンブルグでハンバーグステーキになる。

東に踵を返し、ジンギスカンの孫のクビライが東アジアに進撃、

朝鮮半島を制圧し当時肉食の風の無かった高麗にタルタルステーキを

伝える、これが後のユッケになる。

在日が日本にユッケを伝え、大西洋周りアメリカ経由でハンバーグが

日本にやってくる、

700年の時空を超えて、「青い狼」由来のタルタルステーキが

ユッケとハンバーグになって日本で再会、

まさに歴史のロマン!

その人類のロマンが凝縮されたユッケが現在販売禁止、

でも、皆さん、うちには「黒毛和牛の炙りユッケ」がありますよ、

アルミホイルにのせたユッケを網にのせて焼いてください、

絶対、生で食べないでくださいよ!絶対、生はだめよ!

一応、もしものために必ず厨房で試食してるけど、

スタッフの目を盗んで生で食べてはいけませんよ!

¥900 

「ママ最近やせた?」と一言添えれば負けてくれるかも?


皆さんは「うっすら冤罪」にさいなまされた経験はありませんか?

都営浅草線の座席シートに座っていると高確率でジュースの空き缶が

僕に向かって転がってきては、波が引くように向こうに、

そして、またこちらに転がってくる、「俺、飲んでないし、」

「かたづけるの、おれ!?」自問自答を繰り返しながら苦悩する、


都営浅草線の座席に座っているとお年寄りが僕の正面に立っている、

周囲の視線がちょっと痛い、

「ちがうよ!ちがうよ!さっき聞いたの、おすわりになりますか?って、

そしたら、結構ですって、言われたの!」

心の叫びは届かない、、、