北のイモ(叔母さん) | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。



♪トンポヨロブン ヒョンジェヨロブン


 イロッケマンナニ パンガプスンニダ


 オルサアンコチョア ウスミヨ


 チョルサアンコチョア ヌンムリルセ


 オホホ オホホホ ニルリリ


 パンガプスンニダ パンガプスンニダ♪


 (同胞の皆さん 兄妹の皆さん


 こうしてお会いできて嬉しいです


 抱きしめて嬉しい 笑顔よ

 

 抱きしめて嬉しい 涙よ)


パンガプスンニダの曲が流れるホテルのロビーで


写真片手にお互いを探しながらついに見つけ、駆け寄り


きつく抱擁し涙を流しながら「アイゴー!」、感動の離散家族面会の場面!


ではなくて、


写真片手にお互いを探していると、2階のロビーにハンメ(祖母)にそっくりな人がこっちを見ている、


「イモ!?うわー、ハンメそっくり!」


「アイゴ、ヨン!?よしえ姉ちゃん(僕の母親)そっくりだ!アイゴ、ヨン!小さくてねずみみたいだね」


初めて会うのに昔から知ってるみたいで、よそよそしさが全くない、


これが27年前ウオンサンのホテルでのチャグンイモ(小さい叔母さん)との初めての面会シーン。


北の親戚達が大勢集まって食事会をはさんで2時間の懇談の時間


話しは尽きない、


ハンメは元気か?、サンチョンは元気か?下北沢はどんなか?吉永小百合はどうなったか?


裕次郎はどうなったか?


その顔の表情は全く日本のうちの身内のそれと同じ、


ただ、永い北朝鮮の生活のせいか、その顔が日に焼けていた


時間はあっという間に過ぎ、面会時間もそろそろ終わる頃


イモは僕に封筒の中から10万円を取り出し、


「ヨン、これイモからお小遣い」


その封筒、日本の親戚達からイモに渡してくれと託された封筒、


自分はこの先、日本に帰って何不自由のない気ままな生活に戻るし、


金ならバイトすればどうにでもなるからといっても、


「アイゴ、イモは今までお前に一度も小使いあげたことないんだから、


ハンメやサンチョンには内緒だよ、イモとヨンの秘密だ」と、


僕の上着のポケットにねじこむ、


あ~神様、ごめんなさい!僕は心の中で「ラッキー!」とつぶやいてしまいました。



焼肉ぱんが向島スカイツリー店のブログ

27年前、髪の毛が生い茂っている僕とチャグンイモ、


今はハゲだけに育毛にハゲんでいます、なんちゃって、誰か僕をハゲまして、

来年はハゲましておめでとう!やっぱりアイスはハゲだっつーの、じゃなくてハーゲンダッツ!



後日談


チャグンイモは5人兄妹の真ん中で親にあまりかまってもらえなかったらしく、


家が貧しくて大学進学という夢もかないそうもないということで、


朝高時代4人の友達と、親に内緒で「地上の楽園」への帰国申請をしたそうです、


後でそれを知ったハンメはそれはそれは帰るなと説得したそうですが、


こと既に遅く、見送りに新潟港にいって下北沢に帰った後は、


毎晩布団の中で泣いていたそうで、


ハンメの枕は毎日涙でびしょびしょだったと母親から聞いたものでした。



イモとの面会の時に第三者の人が立会人でいましたが、日本のメデイアで報道されているような、


厳しい監視員というよりも、もっとゆるくて、イモとはナアナアな感じ、


北朝鮮は全般的に牧歌的で、意外とのんびりしているなあ、と感じたものです。


むしろ、在日の方がむやみに赤く燃えたぎっているなあと、


当時の北朝鮮の人々、日本の朝鮮学校の存在すら知らなかったのには驚きました。



たまに日本から送られてくる物資を包んでいる日本の新聞や雑誌の記事を読むのがイモの密かな楽しみ


だけど、最近は単語の意味が新しくてわからないのがあると、笑ってたっけ、



日朝が国交回復し往来が可能になったらイモに食べさせてあげたいのが、これ、


あ、いっときますけどね、私いい人じゃあ、ありませんからね!


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これ本当にマイウ~!!



最近思うんだよねえ、


女性は一筋縄ではいかないなあと、


うちの家内、僕の話はいつも、適当に聞き流すのに、


女友達の悩み事相談になると


両手両足の勤労意欲が急激に高まって、


ささやかな正義感と山盛りの好奇心を胸に


他人の幸福をうそでも歓迎するのは友人の礼儀であるとばかりに、


あたたかい眼差しで見守りつつ、静かに、ゆっくり、しかしながらしつこく


悩みを聞いていくんだよねエ、、、



それでもまだまだ、日本は、いい国だよねえ、



それでは皆さん次回までごきげんよう!