『無名』

映画『無名』のポスターを見た最初はこれだったと思う。

 

右下に付いている日付を見てもらいたい。     上矢印

1945年(昭和20年)8月15日となっている。

 

 上矢印

このポスターも見たことがある。

大勢の無名の人々が集まっている。

この左下にも日付が入っている。

1945年8月15日

日本が無条件降伏をした日。

この写真は、その日本の降伏を祝っている

中国人の祭りの写真だったそうである。

このポスターがそのまま採用されたら

おそらく日本では公開されなかっただろうと思う。

 

最初に撮ったのは日本人兵士の遺体を運ぶシーンと

いうことだった。

映画本編には遺体を確認するだけで運ぶシーンは出てこなかった。

あの遺体は大山公爵と思われるからだ。

天皇陛下を連想させるジェスチャーもあった。

『無名』の最初の段階ではもっと日本に

対するシビアな映像があったのかもしれない。

無名の人達の苛烈な戦いを描くことが主眼だったので

敢えて、主役を出さずに勝利に沸く

大勢の人々をポスターに入れたのか。

それとも「無名」の意味を深く考えてもらうために

ポスターを作成したのか。

遺体を確認するシーンといい、ポスターといい

程耳監督の深謀遠慮が窺われる。

映画制作者として、効果的な方法は何処に

あるのかなど考え尽された作品である。

スパイの使命は人殺しでは無く

敵味方を的確に見抜き

機密情報を手に入れることだ。

心理作戦が心憎い演出で唸ってしまう。

 

大勢の無名の人々から

残ったのはこの9名。

映画の最初の発表から、公開までの間の

情報の提示の仕方が上手いと

つくづく思う。

 

古井戸に隠れている人々のシーンなども

『シンドラーのリスト』のユダヤ人に対する

ナチスの残虐な振る舞いを思い起こさせた。

 

公爵が普通の兵隊さんになれるのかと

いう疑問もあるが、それは別として

あの仲間の兵隊は一般人だ。

赤紙(召集令状)1枚で、家族と離され

遠い異国でいつ殺されるかもしれないと

いう恐怖に怯えながら、

「お国のため」という名目で戦わざるをえなかった

日本の無名の人々のことも頭に浮かぶ。

全く普通の人だったのに中国で行った残虐な行為。

そのギャップが戦争の恐ろしさなのだろう。

 

敵役を一手に引き受けた感じのする日本人将校渡部。

渡部は切腹しようとするものの、思いとどまった。

日本人と切腹は切り離せないものらしい。

実際、1945年8月15日敗戦を聞いて切腹した軍人もいた。

切腹しようとして周囲に止められた人達もいた。

切腹はある意味、名誉な死に方なので

渡部にはそれが許されなかった。

切腹に見せかけた殺害である。

英題の「HIDDEN  BLADE」は

「仕込み刃」とか「隠し刃」

共産党諜報員の意味でもあるし、

渡部を殺したカミソリの刃のことでもあるのだろう。

 

『無名』の最初のポスターや予告を観て

それから本編を観ていくと

イボ君の出演場面が増えていったであろうことが

そこここに感じられる。

程耳監督から、その日の脚本が当日渡されるので

大変だったと渡部を演じた森博之さんが話していた。

イボ君の日本語も撮影3日前に急に言われたらしい。

しかもかなり多くの日本語を喋らなければならなかった。

3日ではかなり厳しいなと森さんは思ったそうだ。

しかし相当練習したようで1週間後には

これはいけるというところまで上達していたそう。

イボ君は撮影の合間もずっと日本語の練習をしていて

すごく努力していたそうだ。

シャイで無口でひたむきでとにかく一生懸命な人だという。

森さんが考えるイボ君の魅力は

問答無用で人を惹きつけてしまうところだという。

森さん、ありがとう!!!

 

 

中国版ポスター

トニー・レオンとワン・イーボーが対峙した形

 

日本版ポスター

トニー・レオンとワン・イーボーが並立した形

 

日本版ロゴについて

 「無」は牢獄の鉄格子をイメージ

 

 

 

映画の中で印象的な場所は監獄でした。

あの監獄は上海市にある提籃橋監獄です。

撮影も行われたようですし、鉄格子など

内部のセットもそのイメージで作られていたと思います。

 

 

この監獄はその規模から「極東第一監獄」と呼ばれていました。

共同租界の中の日本人居住区の近くの提籃橋地区にあります。

今は歴史的建物として保存されているようです。

 

余談ですが

1938年から1941年にかけて上海に避難した

ユダヤ人が監獄近くの地区に住んでいたとのこと。

杉原千畝さんに助けられたユダヤ人もいたそうです。

日本人が面倒を見ていたともいわれています。

上海は以前からユダヤ人が多かったようで

イギリス占領地域から来て

上海で不動産やアヘンで大儲けしたした人達がいました。

 

 

程耳監督は映画制作に強いこだわりがあります。

今まで映画は5本という寡作な監督ですが

ただ、せっかく映画を作るなら

商業的に成功するような映画で、観客が楽しめ

監督の作家性を認識できるような作品を創りたいと

思っていたそうです。

また、王一博の俳優としての才能を認め

多くの人に評価してほしいという願望があったそうです。

程耳監督の次回作『人魚』は

どういう風な作品になるのか楽しみです。

 

 

 

 

『ボーン・ツゥ・フライ』

原題『長空之王』

 

 

リウ・シャオシ-(劉暁世)監督が

主人公レイ・ユー(雷宇)に王一博を選んだ理由について

「最初に惹かれたのは彼の醸し出す独特のクールさだった」と語った。

さらにオートバイレースに参加しているビデオを見て

彼の機械への愛情と集中力に感銘を受けたという。

メカニックを愛し、役を深く解釈できる若い俳優を捜していたが

そのような候補者を見つけるのは簡単ではない。

王一博と会ったが彼は無口で物静かだったが監督の話に

熱心に耳を傾けていたという。

 

 

『無名』の程耳監督もバイクレースに参加した

イボ君を見て決めたと語っていた。

イエ(叶先生)の候補者はイボ君ひとりで

他者は考えなかったそう。

 

近年、中国の航空技術は目覚ましい発展を遂げている。

多くの人々が航空産業発展のために貢献していることを

知ってもらうためにこの映画は作られました。

「新世代のステルス戦闘機開発に挑むテストパイロットたちの

情熱と友情、絆を描いた爽快スカイアクション」

とパンフレットにも書いてあります。

 

 

私は当初、中国の目覚ましい航空技術の発展について

力強さと熱い感動を伝えるために作られたのでは

ないかと思っていました。

 

 

 

ある時、テレビの報道で中国軍(中国人民解放軍)への志願者が

減っていて、待遇改善や若者向けに人気芸能人を

起用してPRに務めているということを知りました。

軍への志願者が減った最大の理由は「一人っ子政策」

によるものだそうです。

子供がひとりしかいないので危険な軍隊には

入れたくないという親と、都会にいれば魅力的な

仕事がたくさんあって軍隊で苦労したくないという

子供。

航空技術に限らず、ITが発達した現代は

理系の若者に対する求人が多くて軍隊には

行きたがらない人が増えた。

この映画が企画された頃はまさに軍隊の求人難時代。

志願者を増やすための作戦が練られていた頃。

肖戦出演のドラマ「春を待ちわびて」ではなかなか軍隊に

入隊できない狭き門でしたけどね。

コロナ以降は、若者の失業率が高くなって20%を

超えているといわれ、ところによっては40%などとも

いわれています。

若者の失業率が上がるにつれて

軍隊への志願者は増えているそうです。

給与や福利厚生面での改善が志願者増加の理由だそうです。

 

そんなこともあって、この映画は

ひとり息子の雷宇と両親のやり取り、

自分の信念を曲げない息子と、反対する両親が

最後は息子の気持ちを尊重して理解を示しています。

中学生だったイボ君がダンスのため韓国に行きたいと

言った時、ご両親はどんな気持ちだったでしょう。

好きなことに夢中になる息子の夢を叶えてやりたいと

思ったのでしょうか。

そんなことを思い出したら、

イボ君だからこそ説得力のあるシーンだと思いました。

 

同僚パイロットを演じた俳優が

「王一博の料理が美味しかった。」と話していました。

天天向上の料理しか思い浮かばない私は

(イボ君の料理が美味しい???🙄)

でも、リウ監督が

「チーム王一博にはいろいろ助けていただいてありがたかった」

と話していたので

(そうか、チーム王一博には料理上手な人がいるんだな😏)

と納得しました。

 

チャン(張)隊長の妻や子供に対する深い愛情や

職場では厳しい態度でも自宅の餃子パーティに

部下を招待するなど人柄の良さが描かれています。

職場以外でもこうして交流が図られる場所があるのだと

示しているように見えます。

 

雷宇が基地に来て初めて紹介された時、パックを

した男性から「英俊」と言われ

「ハンサム」「イケメン」と誉められたと

勘違いしたお話。

 

「英俊」はイケメンという意味もあるが男性の名前だった。

(中国語ナビから)

 

あのエピソードはリウ監督が本物のテストパイロットと

話をした時、堅物ばかりだと思っていたら

ユーモア溢れる人が多かったのでそれを盛り込んだらしい。

 

このエピソードもシビアな場面だが

コメディっぽい仕様になっている。

 

ライバルとの切磋琢磨、友情、信頼。

同僚との熱い絆。

 

思いの外、ヒューマンドラマだったのは

軍隊はこんな魅力的な職場ですよという意味も

込められていたのでしょうね。

 

試写会にはパイロット、軍関係者、学者、映画関係者

監督、俳優など大勢の方々が参加されていましたが

子供達もいて、未来に繋いでいって欲しい気持ちが

溢れていました。

 

先日、ニュースで日本でも

自衛隊志願者が減っているという報道がありました。

(中国軍と自衛隊ではその任務内容は

全く異なっていますけどね。)

募集人員に応募者が満たない状態だそうです。

少子化の影響でどこでも求人難だということでした。

自衛隊の主な任務は、

①日本の防衛、②災害派遣、③国際平和協力活動です。

最近自然災害が頻繁に起きて

自衛隊の出動が増えています。

求人難は困った問題ですね。

 

ところで、映画を見に行った時のこと

ローカルの映画館で人も少なめだったからなのか

ひとりで観に来たおじさんが何人かいた。

というか、男性はほぼひとりで観に来たおじさんだった。

『無名』の時も男性は思ったより多かったが

単独というのは少なかったように思う。

男性の客層が違うような気がした。

この人達は飛行機好きなのか?

イボ君を観に来たのか?

それとも他の出演者のファンなのか?

それとも・・・

何となく気になった。

女性なら気軽に聞くことができるけど

男性に見知らぬBBAが声を掛けるのも

なんかね~と思って声を掛けられなかった。

でも、気になる~~~

 

『熱烈』

 

この映画は9月公開なのでまだ内容は

よく分かりません。

(実は中国語字幕で観たことはあります。)

この映画の出演、イボ君最初は断ったそうです。

大鵬監督がダンサーに映画の主人公は

誰が良いか聞いたら全員「王一博」と言ったという

話を聞いたことがあります。

そんなことで引き受けたらしい。

パリオリンピックでブレイキンが競技種目に

なったので、それを演ずるに相応しい俳優は

イボ君を置いて他には考えられなかったのでしょう。

去年、中国で公開された映画3本とも

監督にその役柄はイボ君でなければ!と

思わせる独特の魅力があったのでしょうね。

 

『熱烈』の「ブレイキンで頂点をもぎ取れ!」

というのもパリオリンピックを意識した

作りになっています。

 

顧みればバラエティー

2019年6月20日~8月22日まで、約90分 10回

スケートボードのバトル番組「极限青春」

 

 

スケートボードとサーフィンは

2020年の東京オリンピックに追加された競技。

(オリンピックはコロナの影響で2021年開催) 

それで、スケートボード番組を制作・放送することになった。

 

 

3人の明星(スター)が出演するし、

各出場スケーターと共に成長し、

自己挑戦を通じて変化を遂げるという番組。

 

さらに翌年はサーフィン番組

2020年7月4日~

バラエティー番組‎「夏日冲浪店 」

(Summer Surf Shop)にゲスト出演

 

7月4日、7月11日、7月18日3回出演

黄軒(ホアン・シュエン)、韓東君(エルビス・ハン)達と共演

黄軒とは「風紀洛陽」でも共演。

この年は街舞3に隊長として出演しているし

ドラマ「冰雨火」の撮影があったのでゲスト出演のみ。

 

 

ストリートダンスはダンススポーツとして

2018年ブエノスアイレス(アルゼンチン)

で開催されたユースオリンピックの競技になっています。

いずれオリンピック競技になるのではということで

「这!就是街舞」は2018年から始まりました。

イボ君は2020年「这!就是街舞第三季」隊長として参加。

 

 

この時期、ドラマ「冰雨火」の撮影、

天天向上の収録、公益事業への参加など

多忙を極めました。

 

スケートボード、サーフィン、スポーツクライミング、ブレイキンの

4種目がパリオリンピックの正式競技となっています。

スポーツの魅力を映像を通して伝えることは

普及する上で大切なことだと思います。

イボ君が実際に番組や映画でアスリート並みの実力で

その魅力を伝えているのはとても素晴らしいことで

そのスポーツの裾野を拡げる役目をしていますね。

 

乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

 

イボ君が日本に来るので用意しました。

ぬいちゃんランドのボーちゃん。

初来日の時の洋服で~す😄

 

2015年7月初来日

大阪と東京で開催されたUNIQ日本公演

7月19日大阪で2回公演

7月20日東京で2回公演

UNIQ王一博として初来日してから9年経ちました。

2015年は11月にも日本で公演しています。

 

 

 

 

 

 

若いね~イボ君

 

7月8日羽田空港に来て

動向一切流れてこず

7月10日成田空港から午前中の

早い便で帰ってしまいました。

分かったのは来たときも

帰るときもEVISUのTシャツを

着ていたということだけ。

その日のうちにCHANELのイベントに参加。

13日には聖火ランナーとしてパリへ。

ホントに超人なイボ君。

若いからといって無理しないでね。

 

 

 

 

 

 

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