文章化すると考えを分析・整理・客観化できる(日記の効果) | 70代の生き語り

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俺は記録マニア?なので、

いろんなカタチで、出来事や気持ちをカタチにして

今を記録しておこうという考えが強い。


映像と音声で全てを?残しておける?「動画」への

依存性?信頼性?は、

かなり強い人間だなと自己分析している。


だからYouTubeへ動画の投稿したり

他者の動画を見聞きする頻度も高い。


その昔は

紙に書くリアル日記帳とアナログカメラ(写真機)と

ラジカセくらいしか、記録の手段がなかった。


今は、極端に言えばスマホひとつあれば、

ブログやインスタや旧Twitterなどで

文章日記や写真も残せるし、

ツイキャスライブで動画の生配信や

YouTubeで長時間の動画や音声もUPできる。


「記録」という意味では、

これ以上、望む必要もないほどの

最強の時代になっている。


そんなご時世で、

時代遅れ?のブログで文章日記やエッセイを書くことに

なんの意味があるのか?


そんな自問自答の答えは、とっくに出ている。


考えを整理して分析して客観化して記録するためだ。


感情のまま、声や動画で録音・録画したり

生配信する、ツイキャスライブやYouTubeLIVEや

インスタLIVEなどの「リアルタイムっぽい良さ」は、

もちろん捨てがたい魅力だが


今こうしてダラダラとブログで文章を打ち込んでいる時間は、

頭の中の考えを「整理・校正しながら」表現しているわけで、


もちろん、そのプロセスでは「理屈っぽく」なったり、

「盛ったり」とかもあるわけだが、


いきなり喋り始める動画LIVEに比べて、

「整理しながら外に出す」プロセスを経ることで、

「筆者でありながら」同時に「読者にもなっている」


文章日記には、そういう効果・メリットが、ちゃんとある。