吉田拓郎のラストアルバム「ah-面白かった」を聴いて考えたこと | 70代の生き語り

70代の生き語り

活き活きと弾き語りで生き語り



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このチャンネルの再生リストで今朝、吉田拓郎の最新で最後のアルバムを聴いた。俺に刺さる曲は無かった。「雪さよなら」だけが原曲の良さと小田和正のハーモニーのおかげでまあまあ聞けたというレベル。他の曲は聴いたらすぐに忘れるレベルだった。何も残らなかった。そして多くの拓郎ファンが望んだであろうと思われる「本人のギター1本での弾き語り」を1曲だけでも入れて欲しかったが、それも無かった。収録曲の殆どがつまらないアレンジと、意味深なのか意味不明なのかわからぬ年寄りの人生観?のゴタクがダラダラと綴られているだけの、どれも同じようなメッセージ?の歌詞ばかり。早く言えば「ワンパターンの人生達観論?安っぽい自己肯定論?」こんな歌詞のこんな曲を、こんなアレンジでこんな声で拓郎に歌ってほしいと思った吉田拓郎のコアなファンはどれくらいいただろう?少なくとも俺はこんな拓郎のラストアルバムを聴きたくはなかった。

「よしだたくろう」時代の曲は荒削りだったが一度耳にしたら「なんだこれは?!」というインパクトがあった。「青春の詩」「今日までそして明日から」「夏休み」「春だったね」「リンゴ」「高円寺」「暮らし」「ペニーレインでバーボン」書き出せばキリがないほどの個性的な原石の煌めきに溢れていた。あの時代の俺が若かったせいもあるだろうが、あの時代の多くの若者が熱狂したのは拓郎が書いた「イメージの詩」の詩のとおり「古い船に乗り込む新しい水夫」(古い日本の音楽界に新しい風を吹き込んだシンガーソングライター)それが「よしだたくろう」だったからだろう。彼自身が詩に書いたように今の吉田拓郎は「古い船に乗った古い水夫」になってしまった。彼自身が誰よりもそのことを実感しているから古い船から「下船」を決断したのだろう。そんな古い水夫に「50年前のような1本のギターとハーモニカだけであの頃のような荒削りのシャウトをしてくれよ」と望むのは酷だろう。ただ、それがコアなファン心理というものだ。20代の初期から71歳の今まで「よしだたくろう」から「吉田拓郎」へと続く50年間の長い道をずっと彼の曲に影響を受けて生きてきた俺だから、ラストアルバムに敢えて辛口な感想を書いたが、拓郎が残した膨大な名曲の数々はこれからも死ぬまで俺の頭の中を流れてゆくことに間違いはない。

ありがとな!吉田拓郎!