古代史の謎の鍵を握るのは東海地方の存在 | いにしえの徒然ブログ ― 古代史のロマンを求めて ―

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なぜ大和朝廷発祥の地で、その支配者たる天皇家の祖神である天照大神を祭っていないのか?
伊勢神宮はなんなのか?
等など素人の視点からの疑問を綴っていきたいと考えております。

古代史というとその舞台はほぼ畿内~九州で、中部~東北はほぼ語られることは無い。

しかし、古代の日本を考える際に小生は古代の東海地方の存在は抜きにして考えられないのではないかと考えています。


なぜかと言えば、小生の考えでは古代史の古墳時代までのながれとして弥生時代後期に発生した銅鐸文化圏と銅矛文化圏という大きな二大潮流があり、その一翼を担った近畿~東海地域の勢力こそが天孫族に国譲りを行った大国主の故郷だったのではと考えるからです。


銅鐸は小生の考えでは水の神の依代であり、農耕民として水を重んじていた表れと考えています。
また、銅鐸に刻まれるトーテムである蛇もその性格をよく表しており、これは中国江南の稲作長江文化が引継がれているものと思うのです。
そしてこの蛇のとぐろを巻く姿が甘南備であり、銅鐸の姿ともかぶります。

稲作民にとっての川は正に命の源の恵みであり、また一変し濁流となり命を奪って行く荒ぶる神そのものであったと思います。


上古聖地と言えば、度々記紀に登場する三輪山ですが、三輪山こそは甘南備であり小生が思うに銅鐸文化圏の勢力の聖地であったのではと思うのです。
現在も三輪山には白蛇が祭られており、運がよければその姿を見ることができます。
小生の小さかった頃には三輪山に御参りにいくときには卵をお供えに持っていったものです。


で、東海地方とどう関係してくるのか?というと、この三輪山に関わる人物や神社が多く遠州にあるのです。


まずこの三輪山に祀られる神様であるオオナムチ尊(天照国照彦櫛玉ニギハヤヒ尊又、大国主命)を祀る神社が遠州一ノ宮の小国神社であること。
また、この三輪山の大神神社(おおみわ)の初代神官である太田直根子さんの末裔氏族である大神氏、三輪氏、賀茂(鴨、加茂)氏が東海地方には地名や人名として多く存在すること。
現在の浜松~駿東郡(伊豆含む)にかけ地名として賀茂や、賀茂さん、またひねりの効いた地名として県居(賀茂県主のことと思われる)。また賀茂間淵との縁もある。伊豆には賀茂郡があり、大和の葛城山と同じ名前の葛城山があります。
その伊豆の葛城山は、大和の葛城にて修行していた賀茂の役行者が左遷され修行した地でもあります。
さらに葛城繋がりでは雄略天皇が葛城山で出会った神である一言主神が記紀に登場しますが、遠州の磐田市には一言という地名があります。しかも隣は賀茂という地区という符号までみせます。
さらに大神神社に祀られるニギハヤヒ命の末裔が日本古代最大の豪族である物部氏ですが、古代この東海地方の国造家は物部氏の一党が多く存在します。
そして日本一「鈴木さん」の多い浜松市ですが、この鈴木姓もニギハヤヒ命後裔である熊野国造の姓なのです。


どうでしょう?
なんだか気持ち悪くなるくらいに三輪山の神関連と紐付くとおもいませんか?


また、この地域は遺物も多くのこっており多くの古墳が存在する地域でもあります。
特に浜松市浜北区には日本でも珍しい積石塚古墳(二本ケ谷積石塚群)が存在します。
この積石塚は朝鮮半島に見られるもので、このことは古くから大陸との交流があったことが伺えます。


また、多くの海神族の拠点があったであろうことも地名から伺えます。
渥美半島 → 北九州の安曇氏からきているとのこと
遠州鹿島 → 九州の鹿島氏からきているとのこと
熱海 → 安曇が訛ったとのこと
豊川稲荷 → 日本3大稲荷。秦氏(羽田)さんがいたと考えられる。


さらに弥生時代を代表する登呂遺跡もあり、この地域が古代の歴史舞台からまったくの野放図にされていることが不思議でなりません。