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今のメラゾーマはない

今のメラゾーマはないわ メラだ、メラ

あけましておめでとうございます。新年一発目のブログです。
昨年はもっとブログの更新頻度を上げたいとかほざいてたんですが
3日坊主にすらなれませんでした。今年はふざけたことは言わないようにしたい。

この「今のメラゾーマはない」というブログ。
もともと「自身の言いたいことやこの世に対する具体的な怒りをブログで言いまくる」という
コンセプトでやってきました。
それについて思わぬ共感や反響を頂けることもあったり、最初から全部一気に読みました
なんて言ってくださる方もいて、ここまでやってきた甲斐があったなと
ひとり感慨深くなったりもしたものです。

しかし、俺は最近あまり「言いたいこと」をハッキリと言わなくなりました。
そういうことに対して臆病になったのか?と問われると、その通りだと思います。
ズバズバと躊躇せず目に見えるもの何でも斬っていくような人間ではなく。
俺は本当はとてもチキンなのです。

去年、多くの人に言われたことがあります。
それは「ムカデさんには気を遣ってしまう」ということです。
本当に何度も言われた。その度に悲しい気持ちになりました。
人に気を遣われて距離を置かれているような気分になったのです。
もっと気を遣わずにガンガンきてくれたらいいのに、と何度か自分の心情を吐露したりも
しましたが、それはまったく無駄なことでした。

次第に気付いたのです、これは自分が蒔きに蒔き続けてきた種であったと。
自分がそういった人物像を第三者に描かれるようになったのは
自身が気難しい人間だと思われるようなことや、言いたいことを躊躇わず発言しすぎてしまったことに
他ならないのです。
その人物像の形成に、このブログも一役買っていたのです(案外ブログ読んでる人いたのね)

実際に「ブログで細かく言い過ぎるからだよ」と言われていました。今思えば当たり前でした。
このブログはそういうコンセプトでやってるんだから仕方ないじゃん、そんなん言われたら
このブログ成立しなくなるよ、と当時は反発していたのですが
よく考えたら、そういう評価を受けて当然という覚悟を持ってこんな乱暴なブログをやってきた
はずなのに、それでいて僕が人に文句を言うのは自分勝手も甚だしいということに気付き、
自己反省せざるを得ない結果に至ったのです。


もともと俺は、言いたいことを吐き出さずにはいられないタチでした。
言いたいことを腹や頭の中に溜めておくとそれが大きなストレスとなって耐えられなくなるのです。
それらの感情を吐き出す場として、このブログを始めたのでした。
しかし最近改めて感じたことがあって、言いたい事を言い過ぎると、後々後悔することのほうが
圧倒的に多いのです。たいていの場合、やっぱり互いにあまり良い気分にならないことが多い。
自分としても「あんなこと言わなきゃよかったな」と引きずることがよくあります。
それによって、俺から離れていった人が多いことも事実。

もちろん、誹謗中傷などの発言をしてきたつもりはなく、主に「こういうことはやめてほしい」
「こうしてほしい」という主張でした。
しかしそれは過剰になるとやはり「こいつほんとめんどくせえな」「こいつ何でも嫌がるなあ」
という印象を持ってしまう人もいるでしょう。
性格はなかなか治るものじゃないからそのままでいいよ、と言ってくださる方もいます。
実際、言いたい事を我慢してそれがストレスになるなら無理するのは体によくないかもしれません。
でも周りがイヤな思いや悪い印象を受けるぐらいなら、受け流したほうがいいと思ったのです。

おそらく、自分が一度確立してしまったパープルムカデというキャラクターを覆すのは
とても難しいことだと思います。ただ少しずつでもこの状況を変えていくには
ブログでの立ち回りにおいてももう少し客観的に見なくてはいけないという考えに至ったのです。


ちなみに言うと、僕は別に怖い人だとかやたら怒る人ではありません。
むしろ怖い人は苦手だし、人に怒られることに人一倍恐怖している雑魚なので。
ただの「無害な人」です。

昔、「松本人志の怒り」という、松ちゃんが日常における様々なムカついたことに対して
怒りをぶつけていくという本を読んだのですが(このブログの内容と近いですね)、
そこで松ちゃんは「みんなオレのことを怖いと思っている。後輩とかもやたらビクビクしながら
謝りにくることがある。でもオレは別に、常になんでもかんでも怒っているわけじゃないんですよ。
おかしいと思ったことに対してキレているだけで、頭ごなしにつっかかっているわけではない」
といったようなことを言っていました。

本人は怖い人、気難しい人になっているつもりはなくても
普段の言動などによって誤解を受けたりイメージがかたまってしまう人は多いんだなぁ、と。
とくに自分のように、ネットの世界で生きているような節のある人間は
直接会ったことが無い人も沢山いるので、悪い印象を与えてないようにしないと。


あと、今年もよろしくお願いいたします。
ちょっと早いけど今年を振り返ります。
今年ははっきり言ってよくない1年でした。
自分の2014年の漢字一文字は「不」とします。

とにかく不安、不運、不調。もともと心配性で不安症もちなのですが
何かと不安なことや不幸なことが重なって精神的に疲弊することが多い1年でした。

あらゆることがうまくいかなった。思い通りにいかなくて何度も悔しい想いをした。
いける!と思ったら期待を裏切られて、の繰り返し。
それが重なって大きなストレスとなり、過敏性腸症候群という症状にかかったのが数ヶ月ほど前。
その時が一番つらかったかもしれない。

で、この記事の2つ前にも書きましたが、職場で自分の立場の低さ、仕事のできなさを
遠まわしに通告され、自分っていったい何のために…ぐらいのところまで陥りそうになりました。
自分は常に刺激が欲しいと思っていたけど、どっちかといえばよくない刺激の方が多かったみたい。

でも。これは何度も言ってることかもしれませんが。
よくないことが多かったからこそ、自分は周りの人にすごく恵まれていることを改めて痛感することもまた
多かったのです。
俺の周りには本当に神しかいない。
今年もまた沢山の人に助けられ、励まされました。
今年もまた何度も、沢山の人に感謝を伝えました。

自分は何かお返しできている自信がありません。
あるとすれば、少しだけその人を楽しませたり笑わせたりするぐらいができる。それぐらい。
プレゼントのようなものは何もできなかったんじゃないかなと思う。

俺が一番人生で大事なもののひとつと考えているのが、人との繋がりです。
周りに人がいなかったら俺のようなへたれは本気で野垂れ死んでいたかもしれません。
もし俺が誰からの救いもないような人間だったら、マジで終わりだったかもしれない。
そこを幸せとして噛み締めなくてはいけないのかもしれない。


もちろん、よくないことばかりでなく良い事もあって。
今年自分にとって一番の出来事は、大好きなバンドsyrup16gの復活でした。

たとえば誰か好きな芸能人とかアイドルとか、もしくは他に好きなバンドやアーティストがいたとして。
それらの方々が何かスキャンダルを起こすだとかニュースになるだとかしても。
自分は「この人好きだけど身内じゃないしな」となってしまうんです。
メディアの中の人達とかってとても遠い存在で、ほぼ架空の存在レベルだと思っているから。

でもシロップだけはそうじゃない、特別なんです。
単に「一番好きなバンド」というくくりじゃない、人生の大事な要素のひとつなので。
シロップ復活、このひとつだけで、もしかしたら他のイヤだったことは全部チャラにできて、
2014年は最高の年だったと言えるかもしれない。


まだ年越してないけど、自分の来年の目標。
それは「PC用のRPGツクールで何か一つRPGを作ること」という具体的な目標です。
もともと生き甲斐としてずっと続けてきた創作活動。
それを絶やしてしまったら自分の生きる楽しみが無くなってしまうと思うんです。
自分の中でおそらく今までで一番大掛かりな作業になるので
形にできたらいいなと思います。
そして、自分が作ったゲームを色んな人にプレイしてもらったり、
プレイ動画をUPしてもらったりするのが夢です。
2015年は良い一年だったと言えたらいいなぁ。
前日に22時とか恐ろしく早い時間に寝て8時間ぐらい寝たのに
翌日とんでもなく眠い時がある。
つい何かに夢中になったりして夜更かししてしまったのに
翌日妙にテンションが高く不思議と目が冴えてる時がある。

なぜあんなに寝たのに眠い?
なぜあんなに寝てないのに眠くない?

眠気とメンタルは比例するものだと思っている。
眠いのは、体よりも心が疲れているからだ。
友達と遊んだり話していて楽しく過ごしている時に夜遅くまで起きていられるのは
精神的に上向きになっているから。
日中でも異常に眠く感じるのはきっと心に不安を抱えているから。

嫌なことは寝ると案外忘れるという人は多いと思うけど実際そういうことなのだろう。
生きる上で最大の敵は睡魔だと思っている。
一度ヤツに捕まってしまったら、身動きがとれなくなってしまうのだ。

だから、ほんとに常にいいことばかり起きて幸せでポジティブな気分で精神も安定していれば。
睡眠時間なんて4時間あれば大丈夫なんじゃないかとたまに思う。
実際、「短眠法」というものがあり、自分も一度ネットの知識だけで試したことがあるんだけど
4時間も8時間もたいして変わらない気がしたのは事実だった。

自分も最近異常に眠い日が多いがたまにものすごく冴えてる時がある。
そして睡眠時間はその時によってまちまちだ。 カフェインの量も関係ない。
眠気のコントロールなんてなかなかできるものじゃないから、精神の安定を待つしかないのだと悟っている。
今回は、あえて恥を晒していこうと思います。
かなりの大恥です。
でも僕はいつも色んな恥を露わにしてる人間なので、もう今更というか、ヤケクソかもしれません。
ただ、またどうしてもスッキリしたかった。


最近、職場でひどく辛いことがありました。
今の会社で働き始めてもう数年経つのですが、その中でトップレベルにへこむ事でした。
(※クビにされたわけではないです、念のため)

具体的には言えませんが、自分の地位というか立場が如何にうちの職場で底辺レベルかというのを
遠まわしに思い知らされたのです。
というか、もともと解ってはいたのです。
自分より後に入社した人達に、どんどん負けている。
自分の後輩が自分よりどんどん上の仕事を任されていく。

でもいつも、うちの職場はそういうのをあまり面と向かって言われないので。
改めて現実を受け止めると、こんなにショックなんだと。
本当に気分が沈みました。

僕は最近、「職場のダメな人」を貶して笑い話にしているのを聞いても、一切笑えなくなりました。
それこそテレビなどでお笑い芸人が「俺のマネージャーほんと使えなくて~」などと言ったように
ダメエピソードをネタにして笑いを取っていても、僕はまるで他人事のように思えず、笑えないんです。
それどころか本当に、軽い吐き気さえ起こして耳を塞ぐようになりました。

僕もその「ダメな人」なんです。
職場の昼休みで「あいつほんと何回言っても同じミスばっか」「マジ使えない」というのが
全部自分に言っているように聞こえます。


顧みると、ガキの頃から本当に僕はダメな奴だったんです。
とんでもなく不器用だった。
たとえば工作なども、みんなちゃんとできていることが自分だけ全然思うようにいかないんです。
粘土とかも、まったく思い通りの形ができない。
折り紙も、折り方を見ても折れない。
靴紐もまともに縛れない(今でもずっと適当に合ってるのかどうかわからない縛り方してます)
自転車なんか、練習してもずっと上手く乗れなくて
ちゃんと乗れるようになったのがたしか小学3年生ぐらいの頃だったか。

それは年を取ってからも同じで。
高校の時にとあるホームセンターで接客のバイトをしていたんですが、
とにかく要領が悪くて仕事がなかなか覚えられず、またちょっと手の込んだ作業になると焦って
全然できません。
普段は敬語の年下の先輩から小声で「使えねぇ…」と呟かれる始末。あれはほんと悔しかった。

自動車教習所でもそのダメっぷりは留まる事を知らず。
最初、MT免許を取ろうとしていたのですが何度もエンストして全然ダメで
しかも教官がめちゃくちゃ怖い人で、僕は怒られるとむしろパニックになってしまう奴なので
それがもう負の連鎖で、ああしろこうしろと厳しく指導されるほど
どんどんどうすればいいかわからなくなってしまうのです。
結果、途中からATのみに変更するという事態に。
さらに言えば教官も途中で変えてもらいました。ほんと情けない。
(注:さすがに免許は取れました。めでたしめでたし)

とまあこんな具合に、これだけじゃなく色んなダメエピソードがあって。
かなり恥ずかしいですがほんとこれぐらい、僕はできて当たり前のことができないのです。
だから最近ちょっと思い返して、自分ってそういう類の病気なんじゃないか?と
少々本気で思い悩んだりしてしまいました。
根本的に仕事というか生きることに向いてない気がして。


で、こういうことを最近僕はツイッターでも吐露してしまいました。もうヤケだった。
でも、僕のことを見てくださる方々は、こう言ってくださった。
ムカデさんのような人はみんな、「才能がある人」で「普通のことができない人」なんだ、と。

僕が、自分でも自信を持たなくてはいけないと思っている部分。
なんかいろいろ、アイデアや発想だけは浮かんでくるんです。

たとえば僕は創作活動が大好きで、代表的なのは動画の投稿ですが、
近年ではRPGを作ってみたり漫画を描いてみたりしていました。

その中でも、自分で作ったRPGは予想以上の評価を得ました。
これは自分の中でもかなり誇っていいことだと思った。


買い被るな、と思われるかもしれない。
でももしかしたら自分も、「そっち」なのかもしれないと、思ったんです。
「才能」を武器にすべき人間なのかも、と。

またまたまたシロップの話で申し訳ないんですが。
syrup16gのHurtに収録されている『ゆびきりをしたのは』という曲の歌詞に、こういうのがあります。
"何でもないことが 出来ない  当たり前のことが 出来ないんだよ"

僕は最近コレを聴いて、ハッとしました。
やっぱりこの人も、そういう人間なのかなって。
彼は「音楽しかできない人間」で。「だけどその音楽の才能がズバ抜けている人間」だから。


前どっかで話したかもしれませんが。
作品を作る人は、みんな自分に確固たる「自信」が無いと、いいものは作れないと思います。
自分のことを好きじゃないと、創作活動ってなかなかできないものなんじゃないかと思うのです。

なんだかんだ言いつつも僕だって、たとえば動画も「俺の作っているものは面白い」
と、信じてやっています。そうじゃなきゃやってられないし。
これはいつも言っていることだが、本当はもっと沢山の人に見てもらいたいし、評価もされたい。
自分の自信があるものが多くの人に認められなくて悔しくなることは、何度もある。

やっぱり自分に向いている分野って、そっちなのだろうか。


俺はお笑い芸人になるしかないのだろうか。



なぜそこでその結論に至るのか。
syrup16gのHurtについてブログでレビューを書こう書こう思ってサボっているうちに
発売からもう3ヶ月近く経ってしまいました。
言い訳すると、このアルバムは聴けば聴くほど深く体に染み込んで行き、、感じ方も変わっていくので
あまり具体的な感想が書けないのです。ほんとに、毎日のように何度もリピートしました。

ひとつ言えるのは、これはファンが聴くべきアルバムだと思います。
それは決して駄作という意味ではありません。粒揃いの名盤です。
たいこがツイッターで「最高の作品ができた」と言っていましたが
それは誇張でも何でもありませんでした。
ただ、やはりシロップが大好きな人とシロップを知らない人がHurtを聴くのでは
感じ方とか意味とかが全く違うと思うのです。
はっきり言うと個人的には、誰かにとって「初めて聴いたsyrup16gのアルバム」が
Hurtであって欲しくはない。

Hurtは紛れも無くシロップのアルバムである、だけど
「シロップってこういうのなんだ」と認識されたくはない。
(これは自分の我侭ともとれる独りよがりな意見だし、本人達はこうは思っていないだろうけど)

解散からの6年の重みを知っているかどうかで全く違って聴こえてくる部分が多いと思います。
Hurtは、初めて聴いた時から既に「これからを、次を期待させるアルバム」だったのです。
だから復活後一枚目としては最高のスタートを切ったと思います。
良いアルバムだ、だけどまだまだこんなもんじゃない。
またいろんなことをやってくれるはずだ、また今までのような名曲を生み出してくれるはずだ。
夢のようだ、本当にシロップは復活したんだと、涙が出てしまうほどでした。
この感覚はやっぱり、シロップを聴き続けてきて、諦めながらも心のどっかで
五十嵐がふたたびステージに立つことを待っていた人しか味わえないでしょう。

アルバム自体については、けっこうみんな同じ印象を受けてた気がします。
今更自分が多くを語る必要は無いでしょう。

これだけはどうしても外せない、という一曲が『生きているよりマシさ』。
これについてももはや語り尽くされてるような気さえしますが。
自分はこの曲がRebornや明日を落としてもと並ぶ、シロップ史に名を刻む新たな一曲になったと
信じて疑わないのです。
MV先行配信もされて表題曲的な扱いになっていましたが、
実際にアルバムを聴いても「MVにするならこれ以外ないな」と、遜色ないキラーチューンでした。

僕はもう気がついたら、この曲を114回も聴いていました。

今までの五十嵐の歌詞は、言葉遊びだったり抽象的だったりで時に難解なものも多かった。
この曲は、ただひたすらに、直球の歌詞で、
五十嵐自身の暗黒の日々の様を包み隠さずさらけ出している。
「死んでいるほうがマシさ」というフレーズから、その時の心境がダイレクトに伝わってきます。

しかしそんなダウナーな歌詞に反して、メロディーがすごくポップなのです。
これだ、これこそシロップの真髄だ、と直感で思いました。
自分が思う、シロップ一番の魅力。
歌詞は強烈にダウナーだったりするんだけど、曲自体はとても綺麗でメロディアスで。
このブログでもその音楽性について話したことがあったと思います。


だから、生きているよりマシさは非常に重要な曲だと思っています。
ここで自分の下手な文章で綴るより、実際に歌詞を見て聴いたほうが早いでしょう。
本当に良い曲。
生きているよりマシさを聴くと、生きていてよかったと痛感します。
MVは公式youtubeチャンネルで公開されています→http://natalie.mu/music/news/124502

私的な話ですが、今年の8~9月の僕はとても寂しい生活をしていました。
何かとうまくいかないことが多く、この時期やたら人との関わりが減っていたように感じます。
いつも自分を救うのは音楽なのです。またシロップに救われました。
髪型は変になってしまったけどありがとう、五十嵐。ありがとう、たいことマキリン。
早くまた新情報が聞きたい。とにかく今後が楽しみすぎます。

1年は短い。
1ヶ月は短い。
1週間は短い。



だが、「1日」は長い。



過ぎ去るものこそ、あっという間に感じるのかもしれない。
1日の長さをもっと意識することができれば、もう少し時間の流れを遅くできるかもしれない。
「この世に必要とされている人間などいない、これは疑いのような無い真理である」
誰もお前を気にしていない、代わりなどいくらでもいる。
結構よくあるフレーズで、一見ひどいことを言ってるように聞こえるかもしれないけど
これほどの"励まし"は無いと、自分は思っています。

自分は、本当につい最近まで「必要とされていない」と感じることを極端に恐れ、気に病む人間でした。
人に嫌われたと思い込む、人に態度を変えられる、自分を気にしている人がいない気がする。
ふと悲観的に考えてそこから負の連鎖が始まるという悪循環が多かったのです。
今思えば自信過剰だったのかもしれません。

そもそもこの世に必要とされている人間なんていないのだ、と。
すべての人間が誰かの為にしていることは、実は他の誰かでもできることであり
人はのべつまくなし誰かの代用品でしかない。人は人のことをそんなに見ていない。

確かにそうだ。よくよく考えてみれば「誰からも必要とされてない」と嘆いていた自分自身だって
周りの人のことすべてを気にかけて生きているわけじゃないじゃないか。
たとえばツイッターだって、フォローしている人みんなのツイートに
必ずレスポンスをするわけでもないし。
結局は自分のことしか考えていない。そのことに気付いてハッとしました。

誰にも必要とされていないという真理、それはつまり
誰かに必要とされてないことを嘆く必要は無いということだったのでした。
それを知った瞬間、自分の中に重くのしかかっていたどす黒い闇のようなものが
取り払われた気がしたのです。

もちろん、今でもふと考えすぎてへこむことだってあるし
嫌われるために生きているわけじゃないから
できることなら「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらえた方が嬉しいのは当然のことです。
ただ自分が他人にどう思われているかなんて、それは考えれば考えるほど無駄どころか
身動きがとれなくなって損だなと。

またsyrup16gというバンドの話です。興味ない方はごめんなさい。
でもいつもシロップの記事はシロップを知らない人にも読んでもらえたら嬉しいなと思いながら書いてます。
今回の記事は特に。

2008年に解散したsyrup16g。それが6年間の時を経て
今年2014年に復活するという大ニュースが舞い込んできました。

それにあたって各種音楽雑誌でsyrup16gのフロントマン、五十嵐隆へのインタビューが敢行されて
いたのですが、これがどれも非常に興味深い内容で。
本当にシロップファンなら絶対読んだ方がいい、というレベルでした。
ロキノン、音楽と人、MUSICA。全部読まずにはいられませんでした。
どれも当然話の骨組みは被っているのですがそれぞれ毛色は違います。
自分は「音楽と人」を購入しました。
各雑誌の中で、音楽と人が最も五十嵐の人間性がにじみ出ていたように思えたことと、
何よりドラムの大樹ちゃんのインタビューまで載っていたので、それが決定打になりました。
今回はこのインタビューを読んだ感想を書き連ねていきます。
インタビューの内容すべてを引用するわけにはいかないのである程度要約して書かせていただきます。

まず、音楽雑誌でここまで「音楽」のことよりも、そのミュージシャン自身に踏み込んだインタビューが
読めるとは思いませんでした。
そこではsyrup16g解散後の「暗黒期」について、ほぼ包み隠すことなく
五十嵐自身の口から語られていたのです。
誰もが気になっていた「この数年間五十嵐は何をしていたのか」。
まさかここまで皆が想像していたであろう暗黒っぷりにドンピシャだったとは。

シロップ解散後に「犬が吠える」というバンドを始めたがある日突然バンドのホームページが消え
唐突にバンドが空中分解したことについて。
どうやら、シロップ後期から既に人間関係などに疲弊し音楽に疲れ、あまり気が乗らないままに始めた
この「犬が吠える」の活動が、五十嵐が音楽から離脱する大きな要因となったようです。

バンド活動を辞め何も無くなってしまった五十嵐は、1~2年近くの間
ガチで引きこもったりしてて人間恐怖症になったり病院に通ったりと、本当に大変なことになっていた。
このインタビューでは「どうやって生きてたの?」というリアルな質問も投げ込まれ、
それに対して「活動休止してる間にも、リリースされていたベストアルバムやDVDを買ってくれる人がいて
その収入でなんとかやってこれていた」という。
シロップというバンドが如何に多くの人に愛されていたかうかがえる。


自分は、syrup16gが他のどのバンドやアーティストよりも何よりも大好きで
ずっとシロップの曲を聴き続けてきたけど、実は五十嵐隆という人間については
ほとんど知らないに等しかったのです。
シロップのことを知ってハマったのが「delayedead」というアルバムが出てから少し経った後で、
その時期はちょうどシロップがほとんどCDなどをリリースしなくなり停滞していた頃でした。
実質、解散へのカウントダウンが始まっていた頃に知ったのでした。

だから、シロップの活動をほとんどリアルタイムで追うことができなかったのです。
そのため五十嵐隆という人はどういう人間なのか、それをシロップの曲というソースから
自分なりに想像するぐらいしかできなかった。
が、このシロップ復活インタビューを読んで驚くほど五十嵐が想像通りというか
「syrup16gの音楽そのもの」の人間だったことがわかった。

シロップの音楽といえば、非常にネガティブかつダウナーでシニカルな歌詞が多いが
その反面曲調はポップでキャッチーだったりメロディアスなのが最大の特徴だと思っている。
やはり音楽というものはその人の感情や人間性が顕著にあらわれるものなんだなあと
改めて感じたし、五十嵐自身もそのように話していた。
五十嵐は「音楽でしか生きていけなさそうな人、音楽しかできない人」だと勝手に思い込んでいた。
暗そうだしなんか人付き合いも不得意そうだけど、音楽の才能はすごいし
その音楽によって救われていて、また自分の音楽も好きなんだと思った。
本当にまんま、インタビューで全部そんなことを言っていた。
『バンドって本来、その感情がリアルに可視化されたものの方がリアルに伝わるはず』
『自分が作るものって、自分が好きな音楽だから、当たり前のように好きなんですよ』と。


シロップを聴いてる人は、みんな自分を重ねてると思う。
五十嵐に似てるやつが、シロップを聴くんだと思う。五十嵐は「五十嵐みたいな人間」の代表なのです。
自分も、あくまで趣味の範囲だが作品を色んな場所に投稿して創作、表現活動をしたりしていて
その中で自分の性質というかスタンスがすごく五十嵐に似ているではないか、と気付きました。

自分もつい最近、けっこう本気で今の活動をやめてしまおうと思い悩んでいたこともありました。
でもやっぱりどっかでこれに救われているわけだし、こんな自分のことを待っていてくれたり
好きだと言ってくれる人がいる。
五十嵐にとってそれは音楽であって、そこが自分とシロップが似ていると思ったのです。
もっと考えなきゃな、と反省させられました。


いよいよ8月27日、復活のニューアルバム「Hurt」発売まであと少しです。
自分は期待しかしていません。
インタビューを読んで思ったのは、もしこのアルバムがちょっと聴いてて「なにか違うな?」と
戸惑うことがあったりしても、それはシロップの「今」の3人が作り上げた確かなものだし
それがどんな曲であれ純度の高い間違いないsyrup16gの曲なのだから
どんな形でも受け入れられると思います。
五十嵐いわく「初期のシロップに近い、シロップらしいアルバムになった」とのことです。
本当に楽しみだ。
俺は映画を見ることができません。
見ないのではなく、見れないのです。
その最大の要因は、集中力が恐ろしく欠乏しているということ。

自分は2時間もひたすら画面に集中することができないという悲しい人間なのです。
2時間ある映画で前半の30分や1時間が物語の前フリだったり
導入部分的なものだったり解説だったりするときついです。
部屋などでそこにパソコンがあったりするとついいじってしまって注意をそらしてしまい
映画の大事な部分を見逃してしまっていたりするのです。
その刹那の油断によって登場人物の名前や相関関係などが不明瞭になり
「あれ、こいつら敵同士だったんだ」
「あれ、あいつ死んだの?」
「そもそもこの人達の目的なに?」
など、物語の本筋が行方不明になって大変な事態に発展します。

どうも自分は、山場に入るまでを退屈に感じてしまうことが多いのかもしれません。
アクション映画なんかは、本格的なアクションシーンに入るまでだいぶ時間あったりするので
「早く派手なことやってくれよ!」ともどかしくなったりしてしまう。
もしかしてすごく子供っぽいのでしょうか。

というか単純に2時間もじっとしていられないんだと思います。
無意識のうちに心のどっかで「映画に2時間も奪われるのが嫌だ」と考えている自分がいるのです。
面白い映画なら2時間奪われてもいい、決して時間の無駄ではない
と頭の中では思っているはずなのだけど、体が言うことを聞かないのでしょう。

だから自分は創作、表現活動の方が好きなのかもしれません。
映画を見るよりも、映画を作る方が好きなのでしょう(作れないけど)。
2時間じっと「受け手」にまわっていることが耐えられないのかも。


そんなわけで、自分は本当に映画を観ません。年に3~4回見ればいいほう。
見たとしても、2時間集中して見終えた映画はほとんど無いでしょう。
そんな俺でも数えるほどですが大好きな映画はあります。思い出せる範囲では

・天使にラブソングを…  この映画は本当に大好きでした。ひたすらコミカルでハッピーで
幸せな気分になれる。
・ルパンシリーズ      ルパン映画は好きなので大体見れます。
・ジブリ作品         全部ではないですがジブリは結構見ました。


あとは忘れてしまった。。
どうやらアニメ作品は見やすいからけっこう大丈夫みたい。このへんも子供っぽいかもしれない。
この「今のメラゾーマはない」というブログを始めてから3年が経っていました。

「文章やブログを書くことによる効果」 という記事を以前書きました。
自分にとってこの記事はかなり大事です。
ここで述べてあるように、ブログは第一に自分のために書いています。
でも決して自己満足にならず、楽しんでくれる人がいたらいいなぁという想いもあります。
上の記事で、もっとブログ更新していかなきゃなーみたいなこと言ってますが
やっぱり全然更新できませんでした。
ここ1年ぐらいは月に1回2回書いていればいい方か。

でもやっぱりこのブログは自分にとって必要なのです。
一瞬、心をリセットしてキレイにするために、自身のブログを読み返すことが大事だと思ってます。

もともと、そこまで望まれてない。
必要とされていないことを嘆くな、そもそも人はだいたい他人のことなんてそこまで見てない。

最近どっかでこういうような文言を見かけて、ハッとしました。
よく独りよがりに考えがちな自分を、自分自身が叱ってやらにゃいかんなと思う。


とりあえずそういう個人的な感情の話は置いといて。

最近は忙しくなったりそうでなくなったり、かなりムラがある生活をしているんですが
今度こそブログ更新していけるようにしたいです。
そしてまた、どうでもいい内容だけどちょっとだけ人の暇を蹴って飛ばせるような
記事を綴っていければいいなと。


過去の記事を読み返したら

「読みごたえのあるブログ」を目指し、いろんな人の「暇つぶし」になるような
そんな日常にちょっとだけ彩りを与えるアイテムになればいい

と2年前の俺が言ってました。けっこういいこと言ってるな。
初心忘れてはいけないな。
これからもよろしくお願いします。