「ハードルを上げる」という行為は下手にやるもんじゃありません。
黙ってりゃいいのに
「我慢できずに言ってしまったその一言」が一気にそのものの価値を下げてしまいます。
『おもしろい話があるんですけど、これ笑わないやついないと思いますよ』
そんなこと前もって言われたら構えちゃうよね。
それさえ言わなければ、けっこう面白い話だったのに。
「俺は面白い」って自分で言っちゃう人で、面白い人ってほとんど見かけたことがないです。
『私そこそこ可愛いと思うし、実際モテてたしね』
本当に可愛い子って、ぶっちゃけ自分のこと美人でモテるって、自分でわかってると思います。
それを口に出さないから、イイんですよね。
1回でも「私自分の顔好きだし」とか言っちゃったらもう終わりです。
その発言を聞いた瞬間、周りの人は「この子可愛いなー」と思っていたのが
「可愛いと思ってたけどよく見たらそこまで言うほどじゃないな、ところどころ崩れてるし」
になるのです。
『実際さっきの俺の発言はウケるって思ってた』
後で言っちゃうパターン。
これはハードル上げとはちょっと違うかもしれないですが
こっちとしては「笑って損した」ってなるのでなんとも気分が悪いです。
たとえば「今日のライブはいい演奏ができたと思う」みたいなのは、良いんですよね。
決定的な違いは、「やっぱりな」みたいな感じで言ってることですね。
人って誰しも、自分のこと好きだと思うんです。
極端な話、自分のこと嫌いな人間なんていないと思ってます。
自分のこと嫌いだったら自殺してると思います。
だから自分大好きなのを露骨にさらけ出してしまっている人は
我慢が足りないと思います。
みんな、何かしら「自信」はあるはずなんです。
自信を持つことは超大事なことでしょう。
でもそこで無闇に自分の作品を「これは絶対面白い自信がある」なんて言ったりしません。
みんな、我慢しているんです。
価値を下げたくないから。
ハードルを上げていいのは
正当な評価を受けて人から太鼓判を押されて結果を出して
間違いないという自信を得た時だけではないでしょうか。
「あけましておめでとうございます」ぐらい普通に言え。
「あけおめ」はなんかもう、まだぜんぜん許せるレベル。
「何がめでたいのかわからないからあけましておめでとうございますなんて言わない」とか
そういう理屈はいらん。
あけましておめでとうぐらい何も考えず普通に言え。
「あけおめ」はなんかもう、まだぜんぜん許せるレベル。
「何がめでたいのかわからないからあけましておめでとうございますなんて言わない」とか
そういう理屈はいらん。
あけましておめでとうぐらい何も考えず普通に言え。
デタラメな夢を好き勝手ばらまいて
オモチャにしていつまでも遊んでいたwww
"見え透いた明日が一番くだらないwww"と
はしゃぎながら気ままに生きたあの頃wwww
Ahwwww せめてボクたちが一度背を向けたら
二度とは戻れない場所なんだと知ってたらwwwwww
ハンパな夢のひとカケラが不意に誰かを傷つけていくwwwwwwww
臆病なボクたちは目を閉じて離れたwww
キミに言いそびれたことがポケットの中にまだ残ってるwww
指先にふれては感じる 懐かしい痛みがwwwwwwwwwwwwwwwwww
オモチャにしていつまでも遊んでいたwww
"見え透いた明日が一番くだらないwww"と
はしゃぎながら気ままに生きたあの頃wwww
Ahwwww せめてボクたちが一度背を向けたら
二度とは戻れない場所なんだと知ってたらwwwwww
ハンパな夢のひとカケラが不意に誰かを傷つけていくwwwwwwww
臆病なボクたちは目を閉じて離れたwww
キミに言いそびれたことがポケットの中にまだ残ってるwww
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ツイッターでドラクエ10の発表があったことを知ったので、衝動的にブログを書くことにした。
ドラゴンクエスト10は、なんとオンラインゲームらしい。
結論から言えば俺は反対です。
ざっと見たところ、ツイッターでも皆さんのつぶやきからするとほぼ否定派しか見受けられませんが
すごく共感できることを言ってらした方がいるので
少々言葉を借りさせていただくと
ナンバリングタイトルとして、オンラインゲームを出すのはどうなのか。
そこが、すごくしっくりこないんですね。
「正当な続編」として出るのがすごく嫌です。
思えばFF11の時もそうでした。
FF11がオンラインになると聞いて物凄く抵抗があった人多かったと思うし
俺もその一人です。
それがどうして嫌だったのか、それは
「FF11」と銘打っているからだったのだと気付きました。
これが「ファイナルファンタジーオンライン」っていう、スピンオフ作品だったら
それほど気に留めなかったと思うんですよね。
もう、オンゲーになっちゃうと、完全に別物になってしまうんですね。
堀井氏曰く、ドラクエ10は「Wiiで遊べるオンラインゲーム」だそうです。
これが「オンラインでも遊べるWiiのゲーム」だったら、まだよかったんです。
オンラインを主軸にしないでほしかった。
オンラインでできてもいいけど、そこはあくまでオマケにしてほしかった。
たとえば通信で対戦ができるとか、ネットを介して「移民の町」の住民を交換できるとか
そういうミニゲーム要素だけだったら何も不満はないです。
「オンラインゲーム」とはっきり言ってしまっているので
これはもうネットで遊ぶことが前提になってしまってますよね。
誰かとチャットしたりしながら進めていくのが普通になっていくのでしょうか。
もちろん、それはそれで面白いこともあるでしょう。
でもそれは果たしてドラクエファンが望んだものでしょうか?
たしかVジャンプ辺りのインタビューだったかな?
誰かが「ドラクエはすごく"伝統"を大事にしている」って言っていたのを聞いたことがあります。
俺の記憶では、これは堀井氏自身の言葉だった気がします。
俺はこれにすごく感動したんです。
常にパーティ全員が表示されるフィールドマップ、あのフロントビューの戦闘画面など。
これらはすべて「伝統」です。それを貫いてるところがすばらしいと思ってたんです。
でも8で若干そのへんが崩れた部分がありました。
そんで9でまさかのDSでの発売になって、このへんもちょっと抵抗ありました。
10にきて軌道修正するということもなくまさかのオンラインゲームですか。
いやもう伝統もへったくれもないんじゃないんでしょうか。
そもそもネットは無法地帯なので、オンゲーになったら色んな問題が出てくると思います。
そのへんが心配。
かろうじて鳥山明というブランドでドラクエという体裁を保っている気がします。
どうせドラクエは7以降やってないんだけどもね。
でも俺はドラクエと共に育って、ドラクエと一緒に青春を過ごしてきた人間の一人なので
やはりドラクエの今後の動向は気になるし
変わっていくドラクエに寂しさを覚える一方なのです。
まだまだ書きたいことはあるけど、とりあえずテレビ見たいからこのへんで。
しゃべくり007に古坂大魔王が出るから、ブログ書いてる場合じゃないんだ。
ドラゴンクエスト10は、なんとオンラインゲームらしい。
結論から言えば俺は反対です。
ざっと見たところ、ツイッターでも皆さんのつぶやきからするとほぼ否定派しか見受けられませんが
すごく共感できることを言ってらした方がいるので
少々言葉を借りさせていただくと
ナンバリングタイトルとして、オンラインゲームを出すのはどうなのか。
そこが、すごくしっくりこないんですね。
「正当な続編」として出るのがすごく嫌です。
思えばFF11の時もそうでした。
FF11がオンラインになると聞いて物凄く抵抗があった人多かったと思うし
俺もその一人です。
それがどうして嫌だったのか、それは
「FF11」と銘打っているからだったのだと気付きました。
これが「ファイナルファンタジーオンライン」っていう、スピンオフ作品だったら
それほど気に留めなかったと思うんですよね。
もう、オンゲーになっちゃうと、完全に別物になってしまうんですね。
堀井氏曰く、ドラクエ10は「Wiiで遊べるオンラインゲーム」だそうです。
これが「オンラインでも遊べるWiiのゲーム」だったら、まだよかったんです。
オンラインを主軸にしないでほしかった。
オンラインでできてもいいけど、そこはあくまでオマケにしてほしかった。
たとえば通信で対戦ができるとか、ネットを介して「移民の町」の住民を交換できるとか
そういうミニゲーム要素だけだったら何も不満はないです。
「オンラインゲーム」とはっきり言ってしまっているので
これはもうネットで遊ぶことが前提になってしまってますよね。
誰かとチャットしたりしながら進めていくのが普通になっていくのでしょうか。
もちろん、それはそれで面白いこともあるでしょう。
でもそれは果たしてドラクエファンが望んだものでしょうか?
たしかVジャンプ辺りのインタビューだったかな?
誰かが「ドラクエはすごく"伝統"を大事にしている」って言っていたのを聞いたことがあります。
俺の記憶では、これは堀井氏自身の言葉だった気がします。
俺はこれにすごく感動したんです。
常にパーティ全員が表示されるフィールドマップ、あのフロントビューの戦闘画面など。
これらはすべて「伝統」です。それを貫いてるところがすばらしいと思ってたんです。
でも8で若干そのへんが崩れた部分がありました。
そんで9でまさかのDSでの発売になって、このへんもちょっと抵抗ありました。
10にきて軌道修正するということもなくまさかのオンラインゲームですか。
いやもう伝統もへったくれもないんじゃないんでしょうか。
そもそもネットは無法地帯なので、オンゲーになったら色んな問題が出てくると思います。
そのへんが心配。
かろうじて鳥山明というブランドでドラクエという体裁を保っている気がします。
どうせドラクエは7以降やってないんだけどもね。
でも俺はドラクエと共に育って、ドラクエと一緒に青春を過ごしてきた人間の一人なので
やはりドラクエの今後の動向は気になるし
変わっていくドラクエに寂しさを覚える一方なのです。
まだまだ書きたいことはあるけど、とりあえずテレビ見たいからこのへんで。
しゃべくり007に古坂大魔王が出るから、ブログ書いてる場合じゃないんだ。
ずーっと勘違いして生きてきたことって、ありますよね。
そのことに「実はそれは思い込みだった」と気付いた時のショックといったらもう
「いや!わたしそんなの認めない!」と誰もが女口調でヒステリックになってしまうレベルです。
よくある例が間違えて覚えていた漢字。
俺はたぶん小学生の頃から高校に上がるぐらいまでのおよそ10年間ずっと
「打つ」という漢字を間違えて覚えていました。
説明しにくいのですが、「打」と「作」という字が合体したような漢字になってました。
本当に、ずっっと間違えていたのです。
なぜずっと気付かなかったのかは今でもわからないし
なぜ誰もつっこんでくれなかったのかもわかりません。
なんか、テストとか作文でも間違えて書いてても先生にまったく校正されなかった気がするんだよな。
どう見ても違う漢字というか、この世に存在しないものなのに
先生も気付かなかったという。
だからふと「え!?この漢字こうやって書くの!?」って
冷静になって知ってしまった時の「認めたくない感」はやばいです。
冷や汗が出ます。
うそ、俺もしかしてずっと恥かき続けてきたのか、でも今更治すとか抵抗ありすぎるよ、ずっと10年間もこの書き方で慣れ親しんできたのにいきなり変えるとかもう体が落ち着かねえよ、親が離婚して苗字変わるぐらい受け入れるのに時間要するよ、認めたくねえよ・・・!!!
と、まさに自分の人生を否定されたような気分になるのです。
本当につらいです。
でも、シミュレーションを「シュミレーション」と誤記しているのは
なんかもはや「間違い」として認められていないよね。
ほぼ8割の人が間違えて頭の中にインプットしているだろうから。
さすがに「シュミレーションの方が正しい」とは言わないまでも
「シミュレーションもシュミレーションも意味としては同義」
みたいな空気になってるよね。
誰かが「シュミレーション」と書いちゃってても
「シミュレーションだろ」と突っ込むのがむしろ野暮、みたいな風潮あるからね。
発音する時も、頭ではシミュレーションだとわかっててもシミュレーションって発音できない。
だからシュミレーションって言ってしまう。
無理に「シミュレーション」ってはっきりと発音する方がむしろ恥ずかしいみたいな。
実際はものすごく不条理で納得いかないことのはずなんですがw
あと、俺はなぜかEGO-WRAPPIN'を「エガラッピン」だと思ってました。
そのことに「実はそれは思い込みだった」と気付いた時のショックといったらもう
「いや!わたしそんなの認めない!」と誰もが女口調でヒステリックになってしまうレベルです。
よくある例が間違えて覚えていた漢字。
俺はたぶん小学生の頃から高校に上がるぐらいまでのおよそ10年間ずっと
「打つ」という漢字を間違えて覚えていました。
説明しにくいのですが、「打」と「作」という字が合体したような漢字になってました。
本当に、ずっっと間違えていたのです。
なぜずっと気付かなかったのかは今でもわからないし
なぜ誰もつっこんでくれなかったのかもわかりません。
なんか、テストとか作文でも間違えて書いてても先生にまったく校正されなかった気がするんだよな。
どう見ても違う漢字というか、この世に存在しないものなのに
先生も気付かなかったという。
だからふと「え!?この漢字こうやって書くの!?」って
冷静になって知ってしまった時の「認めたくない感」はやばいです。
冷や汗が出ます。
うそ、俺もしかしてずっと恥かき続けてきたのか、でも今更治すとか抵抗ありすぎるよ、ずっと10年間もこの書き方で慣れ親しんできたのにいきなり変えるとかもう体が落ち着かねえよ、親が離婚して苗字変わるぐらい受け入れるのに時間要するよ、認めたくねえよ・・・!!!
と、まさに自分の人生を否定されたような気分になるのです。
本当につらいです。
でも、シミュレーションを「シュミレーション」と誤記しているのは
なんかもはや「間違い」として認められていないよね。
ほぼ8割の人が間違えて頭の中にインプットしているだろうから。
さすがに「シュミレーションの方が正しい」とは言わないまでも
「シミュレーションもシュミレーションも意味としては同義」
みたいな空気になってるよね。
誰かが「シュミレーション」と書いちゃってても
「シミュレーションだろ」と突っ込むのがむしろ野暮、みたいな風潮あるからね。
発音する時も、頭ではシミュレーションだとわかっててもシミュレーションって発音できない。
だからシュミレーションって言ってしまう。
無理に「シミュレーション」ってはっきりと発音する方がむしろ恥ずかしいみたいな。
実際はものすごく不条理で納得いかないことのはずなんですがw
あと、俺はなぜかEGO-WRAPPIN'を「エガラッピン」だと思ってました。
さっそく記事のタイトルに反しますが
人間は飽きる生き物です。こればっかりは避けて通れないと思います。
だから完全に飽きられないようになるのは無理でしょう。
どんなものにでも「飽き」は来ます。
すごくハマって「これ一生飽きないわ!」と思ったゲーム、音楽、映画、漫画、小説、サイト、ソーシャルネット、友達、恋人etc・・・
突然それはやってくるのです。
かくいう俺も、たとえばSyrup16gというバンドが死ぬほど好きなのですが
やはりずっと聞き続けてるとさすがにこの曲もういいかな、って思うこともあります。
そして、飽きられてしまった方の立場はつらいです。
人は一度それに飽きてしまうと、もう何やってもつまらなくなってしまうのです。
たとえばすごく好きでたまらなかったお笑い芸人がいたとしましょう。
が、なんかの拍子で「あれ、こいつ実は全然面白くないな・・・?」
と思ってしまうことがあったりします。
その芸人の腕が落ちたのか、単に自分が飽きただけなのか。
実際は、圧倒的に後者の方が多いです。
それで怖いのが、一度「実はこの人面白くない」と心の中で決めてしまうと
もうその人が何をやっても、つまらなく思えてしまうのです。
これが「飽きた」ということです。
飽きる前だったらきっと、その「つまらない」ネタでも笑っていたのです。
だから飽きられてしまうということは恐ろしいのです。
こっちがどんなに自信のあることをやっても、他の人からは評価されても、
その「飽きてしまった人」にだけは全然ウケない。
しかし。
飽きられても決してそこで終了というわけではないのです。
そこが人間のうまくできているところ。
人は「再燃」する生き物でもあるのです。
一度飽きられてしまっても、何かのきっかけで
「あれ、やっぱこいつ面白いじゃん」
と思ってもらえることもあるのです。
しかもこれがさっきの逆で、
一度「実はこの人面白い」と心の中で決めてしまうと
もうその人が何をやっても面白くなってしまいます。
いやはや、人間って勝手なものだ。
この一見すると当たり前のように思えることに気付いてから俺も変わりました。
俺も何度か「飽きられた」ことがあります。
飽きられるのって、ほんと露骨にわかるんだよね。
今まですごく自分に好意的に話しかけてきて、もうこっちが何言っても大爆笑!
みたいな感じだったのがいつしか
俺が来たら「ああとりあえず話合わせとくか」オーラを出して愛想笑い。
こうなると
【ああ、この人は何かのきっかけで俺のことを「実はムカデさんってつまんない人だったんだ」と思ってしまったんだろう、これは何言ってもダメだな、なんとか改善策を練らねば・・・】
と、俺の頭の中は葛藤でいっぱいになります。
で、今までの俺は「飽きられない人間になりたい」と思ってたんです。
でももうやめました。
飽きられないなんて絶対無理だから。
だから「一度飽きてもふとした時に見たくなる人間」になりたいと思うようになりました。
まあだからといってどうするべきかってのは変わらないんですがw
ただ自分が面白いと思うことをやって
一度飽きた人でも何かのきっかけで振り向いてくれればなあと
そのために努力をするだけです。
そしてSyrup16gというバンドを俺が今でもずっと聴き続けているのは
何度も「再燃」するからなのです。
飽きても飽きても物凄い速さで再燃するのです。
まあ結局それを「飽きないもの」と表現することにやぶさかではないわけで。
まとめられないので終了。
人間は飽きる生き物です。こればっかりは避けて通れないと思います。
だから完全に飽きられないようになるのは無理でしょう。
どんなものにでも「飽き」は来ます。
すごくハマって「これ一生飽きないわ!」と思ったゲーム、音楽、映画、漫画、小説、サイト、ソーシャルネット、友達、恋人etc・・・
突然それはやってくるのです。
かくいう俺も、たとえばSyrup16gというバンドが死ぬほど好きなのですが
やはりずっと聞き続けてるとさすがにこの曲もういいかな、って思うこともあります。
そして、飽きられてしまった方の立場はつらいです。
人は一度それに飽きてしまうと、もう何やってもつまらなくなってしまうのです。
たとえばすごく好きでたまらなかったお笑い芸人がいたとしましょう。
が、なんかの拍子で「あれ、こいつ実は全然面白くないな・・・?」
と思ってしまうことがあったりします。
その芸人の腕が落ちたのか、単に自分が飽きただけなのか。
実際は、圧倒的に後者の方が多いです。
それで怖いのが、一度「実はこの人面白くない」と心の中で決めてしまうと
もうその人が何をやっても、つまらなく思えてしまうのです。
これが「飽きた」ということです。
飽きる前だったらきっと、その「つまらない」ネタでも笑っていたのです。
だから飽きられてしまうということは恐ろしいのです。
こっちがどんなに自信のあることをやっても、他の人からは評価されても、
その「飽きてしまった人」にだけは全然ウケない。
しかし。
飽きられても決してそこで終了というわけではないのです。
そこが人間のうまくできているところ。
人は「再燃」する生き物でもあるのです。
一度飽きられてしまっても、何かのきっかけで
「あれ、やっぱこいつ面白いじゃん」
と思ってもらえることもあるのです。
しかもこれがさっきの逆で、
一度「実はこの人面白い」と心の中で決めてしまうと
もうその人が何をやっても面白くなってしまいます。
いやはや、人間って勝手なものだ。
この一見すると当たり前のように思えることに気付いてから俺も変わりました。
俺も何度か「飽きられた」ことがあります。
飽きられるのって、ほんと露骨にわかるんだよね。
今まですごく自分に好意的に話しかけてきて、もうこっちが何言っても大爆笑!
みたいな感じだったのがいつしか
俺が来たら「ああとりあえず話合わせとくか」オーラを出して愛想笑い。
こうなると
【ああ、この人は何かのきっかけで俺のことを「実はムカデさんってつまんない人だったんだ」と思ってしまったんだろう、これは何言ってもダメだな、なんとか改善策を練らねば・・・】
と、俺の頭の中は葛藤でいっぱいになります。
で、今までの俺は「飽きられない人間になりたい」と思ってたんです。
でももうやめました。
飽きられないなんて絶対無理だから。
だから「一度飽きてもふとした時に見たくなる人間」になりたいと思うようになりました。
まあだからといってどうするべきかってのは変わらないんですがw
ただ自分が面白いと思うことをやって
一度飽きた人でも何かのきっかけで振り向いてくれればなあと
そのために努力をするだけです。
そしてSyrup16gというバンドを俺が今でもずっと聴き続けているのは
何度も「再燃」するからなのです。
飽きても飽きても物凄い速さで再燃するのです。
まあ結局それを「飽きないもの」と表現することにやぶさかではないわけで。
まとめられないので終了。
俺はおせっかいな人が苦手です。
おせっかいな人の親切って、基本的に余計なお世話なんですよね。
それが余計なお世話だと本人は気付いていないから始末が悪い。
俺が一番うっとうしいと思うのが「やたらオススメしてくる人」。
たとえば音楽。
たまにいますよね、突然「この曲いいから聴いてみて!」つって
いきなり音源渡してきたりする人。
正直、こっちとしてはそこまで聴きたいと思ってないのでめんどくさいのです。
音楽って、こうやって「押し売り」すると価値が下がるんですよ。
別にもともとそんなに興味ないのに「このバンドめっちゃかっこいいんだって!絶対気に入るから!CD貸すから聴けって!」とか言われて
貸してとも言ってないのに無理矢理渡されるとイラッときます。
そうやって「押し付けられた音楽」って
こっちとしてはうっとうしいからもう、その補正がかかって
ガチでいい曲だったとしてもいい曲に聞こえないんですよね。
自分でその曲を見つけてたら、いい曲だったと思えたかもしれないのに。
余計なことすんなって話です。
あと、「この漫画おもしろかったなー」「この店おいしかったなー」とか言ったら
わざわざ「じゃあこの漫画もきっと好きだと思うから読んでみて!」「こっちの店もおいしいから今度いってみ!感想きかせてね!」とかってサイトのURLまで載せたりしてくる。
オススメされる側は、だいたい「そこまで求めてない」んです。
そのことに気付いてほしいです。
そもそも、こういう風にオススメしてくる人って実はその人のために親切でやってるんじゃなくて
自己顕示欲のあらわれというか
「俺こんなの知ってるんだぜすげーだろ」
「俺こんなにセンスいい音楽聴いてるんだぜ」
っていうアピールにしか見えなかったりするんですよね。
もちろん「本当にいいものだから知ってほしい」とか
「この素晴らしさを共感したい」っていう気持ちでオススメしてくる人もいると思うんです。
でも、変に自己主張するのはやめていただきたい。
そういえば前に友人の家に遊びに行ったら
延々と「この動画見とけ面白いから」と延々とニコニコのくだらない動画を
頼んでもいないのに見せられたこととかありました。
ひとつ20分とか30分ある動画でも、平気で見せてくる。
まじめに見たら面白いのかもしれないけど、今じゃないでしょ。
いやそんなのいいから、自分の家でみるから、なんかしようよ・・・みたいな。
まあだからオススメ・宣伝するなら人に押し付けずに
たとえば自分のmixiの日記とかで「このバンドが好き、興味あったら聴いてみてください」
みたいな感じで、見たくない人は別にいいですっていう
受身の姿勢でやっていただきたい。
それだったらみんな幸せです。
おせっかいな人の親切って、基本的に余計なお世話なんですよね。
それが余計なお世話だと本人は気付いていないから始末が悪い。
俺が一番うっとうしいと思うのが「やたらオススメしてくる人」。
たとえば音楽。
たまにいますよね、突然「この曲いいから聴いてみて!」つって
いきなり音源渡してきたりする人。
正直、こっちとしてはそこまで聴きたいと思ってないのでめんどくさいのです。
音楽って、こうやって「押し売り」すると価値が下がるんですよ。
別にもともとそんなに興味ないのに「このバンドめっちゃかっこいいんだって!絶対気に入るから!CD貸すから聴けって!」とか言われて
貸してとも言ってないのに無理矢理渡されるとイラッときます。
そうやって「押し付けられた音楽」って
こっちとしてはうっとうしいからもう、その補正がかかって
ガチでいい曲だったとしてもいい曲に聞こえないんですよね。
自分でその曲を見つけてたら、いい曲だったと思えたかもしれないのに。
余計なことすんなって話です。
あと、「この漫画おもしろかったなー」「この店おいしかったなー」とか言ったら
わざわざ「じゃあこの漫画もきっと好きだと思うから読んでみて!」「こっちの店もおいしいから今度いってみ!感想きかせてね!」とかってサイトのURLまで載せたりしてくる。
オススメされる側は、だいたい「そこまで求めてない」んです。
そのことに気付いてほしいです。
そもそも、こういう風にオススメしてくる人って実はその人のために親切でやってるんじゃなくて
自己顕示欲のあらわれというか
「俺こんなの知ってるんだぜすげーだろ」
「俺こんなにセンスいい音楽聴いてるんだぜ」
っていうアピールにしか見えなかったりするんですよね。
もちろん「本当にいいものだから知ってほしい」とか
「この素晴らしさを共感したい」っていう気持ちでオススメしてくる人もいると思うんです。
でも、変に自己主張するのはやめていただきたい。
そういえば前に友人の家に遊びに行ったら
延々と「この動画見とけ面白いから」と延々とニコニコのくだらない動画を
頼んでもいないのに見せられたこととかありました。
ひとつ20分とか30分ある動画でも、平気で見せてくる。
まじめに見たら面白いのかもしれないけど、今じゃないでしょ。
いやそんなのいいから、自分の家でみるから、なんかしようよ・・・みたいな。
まあだからオススメ・宣伝するなら人に押し付けずに
たとえば自分のmixiの日記とかで「このバンドが好き、興味あったら聴いてみてください」
みたいな感じで、見たくない人は別にいいですっていう
受身の姿勢でやっていただきたい。
それだったらみんな幸せです。
このブログでは音楽の話もしていこうと思います。
大学の頃はバンドをやっていた俺は多少なり音楽に造詣があります。
たいして深くはないですが。
今回はACIDMANというロックバンドの話です。
最近まったくACIDMANを追いかけていなかったのですが
ふとしたきっかけで最新アルバム「ALMA」を聴くことになりました。
最新といっても、1年前のアルバムだったことを知って驚いたのですが。
俺は初期の「荒削り感」があったACIDMANが好きでした。
4thアルバム出たあたりからガラリと変わってしまった気がします。
もちろん「進化」と捉えるべきなのでしょうが
俺は受け付けませんでした。
それからもうACIDMANを聴かなくなってしまって
だから今回の「ALMA」もたぶん俺は好きになれないだろうという先入観を持って聴いたのです。
とりあえず全曲通して聴いたところ
案の定、やっぱりもう俺の知ってるACIDMANとは違う という印象を受けてしまいました。
が、ふと何か気になってもう一度、電車の中でイヤホンを通して聴いてみたんです。
すると「あれ?なんか、いいぞ!?」と、不思議なまでに1回目と2回目で
印象が全然変わったのです。
とにかく、ギターの音がすごく心地よい。
厚みがあって絶妙に気持ちいい歪みが響いてくる。
耳で聴くというより、肌で感じる。そんな音楽なのです。
くっきりと形があるような音楽。
けっこう、今まではベースが肝だっていうイメージがACIDMANにはあったんですが
今回はギターに引き込まれました。
これはもう「ヘッドホン(orイヤホン)推奨」と言わざるを得ない。
アロマ効果まであるんじゃないかと思わせるような、BGMに最適なアルバムでした。
1st~3rdの頃のACIDMANが大好きだった俺ですが
今のACIDMANも実はすごくイイじゃないか!と
進化して芸術性、表現力あらゆるものがパワーアップしたACIDMANの音楽に
真剣に向き合って反省さえしました。
やっぱり良いわ、ACIDMAN。
今のACIDMANを聴いていない人は、ぜひヘッドホンをつけて電車やバスの中で聴いてほしい。
が、9曲目のFinal Dance Sceneは正直だせえwって思った
どうダサいのかみんなに聴かせたい。
でも俺はだせえwって思える曲が嫌いではないのです。
たとえばB'zなんかは「あえてダサいのを狙っている」感がありますが、それとは違うんです(B'zはそこがむしろ味だと思うので好きですが)
「いたって本人達は真面目」なところがいいんです。そこが笑えるのです。
インディーズ時代のGLAYなんかがまさにそれ。
「灰とダイヤモンド」というアルバムはとにかく笑えます。
この頃から抜群のメロディーセンスが存分に発揮されてるところもまた笑いを誘います。
なぜか最後はGLAYの話になってしまいましたが
本当にGLAYの「REVIEW」は名曲揃いの贅沢なベストアルバムだなあと思うのです。
大学の頃はバンドをやっていた俺は多少なり音楽に造詣があります。
たいして深くはないですが。
今回はACIDMANというロックバンドの話です。
最近まったくACIDMANを追いかけていなかったのですが
ふとしたきっかけで最新アルバム「ALMA」を聴くことになりました。
最新といっても、1年前のアルバムだったことを知って驚いたのですが。
俺は初期の「荒削り感」があったACIDMANが好きでした。
4thアルバム出たあたりからガラリと変わってしまった気がします。
もちろん「進化」と捉えるべきなのでしょうが
俺は受け付けませんでした。
それからもうACIDMANを聴かなくなってしまって
だから今回の「ALMA」もたぶん俺は好きになれないだろうという先入観を持って聴いたのです。
とりあえず全曲通して聴いたところ
案の定、やっぱりもう俺の知ってるACIDMANとは違う という印象を受けてしまいました。
が、ふと何か気になってもう一度、電車の中でイヤホンを通して聴いてみたんです。
すると「あれ?なんか、いいぞ!?」と、不思議なまでに1回目と2回目で
印象が全然変わったのです。
とにかく、ギターの音がすごく心地よい。
厚みがあって絶妙に気持ちいい歪みが響いてくる。
耳で聴くというより、肌で感じる。そんな音楽なのです。
くっきりと形があるような音楽。
けっこう、今まではベースが肝だっていうイメージがACIDMANにはあったんですが
今回はギターに引き込まれました。
これはもう「ヘッドホン(orイヤホン)推奨」と言わざるを得ない。
アロマ効果まであるんじゃないかと思わせるような、BGMに最適なアルバムでした。
1st~3rdの頃のACIDMANが大好きだった俺ですが
今のACIDMANも実はすごくイイじゃないか!と
進化して芸術性、表現力あらゆるものがパワーアップしたACIDMANの音楽に
真剣に向き合って反省さえしました。
やっぱり良いわ、ACIDMAN。
今のACIDMANを聴いていない人は、ぜひヘッドホンをつけて電車やバスの中で聴いてほしい。
が、9曲目のFinal Dance Sceneは正直だせえwって思った
どうダサいのかみんなに聴かせたい。
でも俺はだせえwって思える曲が嫌いではないのです。
たとえばB'zなんかは「あえてダサいのを狙っている」感がありますが、それとは違うんです(B'zはそこがむしろ味だと思うので好きですが)
「いたって本人達は真面目」なところがいいんです。そこが笑えるのです。
インディーズ時代のGLAYなんかがまさにそれ。
「灰とダイヤモンド」というアルバムはとにかく笑えます。
この頃から抜群のメロディーセンスが存分に発揮されてるところもまた笑いを誘います。
なぜか最後はGLAYの話になってしまいましたが
本当にGLAYの「REVIEW」は名曲揃いの贅沢なベストアルバムだなあと思うのです。
反面教師ほど、自分の成長の為の糧となるものはない。
下手に「こうしろ」と忠告されるよりよっぽど学べる。
当然のことだが人は恥をかくこと、馬鹿にされること、嫌われることを最も恐れる。
だからそういった扱いを受けてらっしゃる「悪い見本」を見ると
「うわあ、ああはなりたくねえな」と自分も同じような過ちをしていないかと行動を省みる
素晴らしい反省材料を与えられることとなり
自分もそうならないための努力をするようになる。
『こうなりたい』と『こうなりたくない』では、圧倒的に後者の方がハードルが低い場合が多いのだ。
前者は「いつかはこうなりたいけど、まあなれなくてもしょうがないか」ぐらいの
妥協も含まれた意気込みであり
後者は「絶対にこうなりたくない、こうなったら人生終わりだ!」ぐらいの
強い拒絶反応があるため
より『こうなりたくない』ための努力をする起爆剤は受け入れやすい。
だから「ダメな人」の存在というのは必要なのだ。
たとえば、俺は大学のゼミでものすごくダメな男と一緒のチームになった。
以下そのダメ男のことを「M本」と呼ぶ。
M本はまず最高に空気が読めない。
みんながチームで力を合わせて課題に取り組まなきゃいけなかった時に
何を思ったかM本は「よし!僕は図書館に行って情報を集めてくるよ」と言い出した。
ちなみにM本は何も考えていないのである。
図書館で情報を得られるような内容の課題ではないのだ。
この発言はただサボりたかっただけとか自己アピールとか色々あったと思う
俺が「そんなことしても無駄だから勝手なことしないで手伝って」と言うと
「いや!行ってくるよ!」と架空の使命感に燃えて駆けて行った。
その後1時間ほど経ってもM本は戻ってこなかった。
しかしよく考えたらこいつがいても仕事の邪魔になる発言や行動をするだけだから
いなくなった方がよかったので
逆に課題の進行は捗った。
M本は完全なるオタクで、ここにいてもただ萌え絵などを描いているだけなのだ。
「このキャラクターどう?この広告に入れてみない?」と
横槍を入れてきてはみんなの気分を逆撫でするだけなのである。
M本は空気が読めないから自分が空気が読めない奴だということもわかってないし(当然だが
やってることに悪気が無いから究極にタチが悪い。
うちのゼミの先生は気さくで愉快で優しい先生だったので
滅多に生徒に腹を立てるなんてことはなかったのだが
M本はその先生を本気でブチ切れさせてしまったこともあるのだ。
M本は与えられた個人のゼミ課題をやるのが非常に遅い。
研究室で先生が「どうして間に合わなかったの?」と聞くとわけのわからない言い訳をする。
「いや~なんというかまあなんというか、このときおなかが痛かったりなんかして~」
「いや~頭の中ではアイデアはでかかってるんですよ!」
「いや~実は間違えて削除してしまったりあとこの前は作業中にパソコンが落ちちゃったりなんかしちゃったり」
「今日は忘れてきました」
最後のはもはや言い訳ですら無いのだが
こんなくだらないうわ言をM本は何の悪気もなくふざけた口調で「自然体」のまま発するのだ。
恐ろしい。
横で俺はヒヤヒヤしながら聞いていた。
先生はついにキレた。
「M本、お前そんなんでどうする?社会でやっていけないよ!?そのままだとマジでやばいぞ!?」
キレたっていうか、むしろ「心配」だった。M本がアホすぎて。
が、怒られたM本は「あれ~、なんかだめだったかな~僕」とか言ってるのである。
俺までもキレそうになったが、先生の呆れた顔を見て
俺も「ああこれは何いっても無駄だな」と諦めることにした。
これはもう文面だけでは伝わらない部分も多いと思う。
M本は本当に頭がおかしい男であった。
俺が今まで生きてきた中でも彼は最強エリートクラスの反面教師だった。
「反面学校」があるならば相当な名のある学習塾にでも通わないと進学できないぐらい
ランクの高い学校に属している反面教師であろう。
あそこまでダメというか、人の顰蹙を買う人間も珍しい。
俺はM本から色んなことを学んだ。
また、普段はだらしない俺もM本がダメすぎるから同じチームとしてそこをカバーしなくてはいけないという
危機感に襲われ、底に秘めていたリーダーシップを引き出しなんとか課題を進めて
無事に課題の発表を成功へと収めたほどだ。
10分のプレゼンで喋る内容も速攻で考えて流暢にスピーチした。
反面教師の力はすごい。
そもそも、人間の心理的な面で「自分よりダメな奴を見る」ということは
自分の気持ちを落ち着かせることにも役立つし、とてもいいことなのだ。
あまりにも出来る人を見ると、劣等感に打ちひしがれてしまう。
それよりは、あまりにもダメな奴を見て
「俺あれよりは全然マシだわ、ああならないためにも頑張ろう」
となる方が精神衛生上も良いと思う。
めっちゃ文章長くなった。全部M本のせいだ。
しかしあんなM本でも就職が決まるのだから世の中わからないものである(といっても、卒業ギリギリでどうしようもなかったあいつを大学のコネで無理矢理受け入れただけだったのだが)
下手に「こうしろ」と忠告されるよりよっぽど学べる。
当然のことだが人は恥をかくこと、馬鹿にされること、嫌われることを最も恐れる。
だからそういった扱いを受けてらっしゃる「悪い見本」を見ると
「うわあ、ああはなりたくねえな」と自分も同じような過ちをしていないかと行動を省みる
素晴らしい反省材料を与えられることとなり
自分もそうならないための努力をするようになる。
『こうなりたい』と『こうなりたくない』では、圧倒的に後者の方がハードルが低い場合が多いのだ。
前者は「いつかはこうなりたいけど、まあなれなくてもしょうがないか」ぐらいの
妥協も含まれた意気込みであり
後者は「絶対にこうなりたくない、こうなったら人生終わりだ!」ぐらいの
強い拒絶反応があるため
より『こうなりたくない』ための努力をする起爆剤は受け入れやすい。
だから「ダメな人」の存在というのは必要なのだ。
たとえば、俺は大学のゼミでものすごくダメな男と一緒のチームになった。
以下そのダメ男のことを「M本」と呼ぶ。
M本はまず最高に空気が読めない。
みんながチームで力を合わせて課題に取り組まなきゃいけなかった時に
何を思ったかM本は「よし!僕は図書館に行って情報を集めてくるよ」と言い出した。
ちなみにM本は何も考えていないのである。
図書館で情報を得られるような内容の課題ではないのだ。
この発言はただサボりたかっただけとか自己アピールとか色々あったと思う
俺が「そんなことしても無駄だから勝手なことしないで手伝って」と言うと
「いや!行ってくるよ!」と架空の使命感に燃えて駆けて行った。
その後1時間ほど経ってもM本は戻ってこなかった。
しかしよく考えたらこいつがいても仕事の邪魔になる発言や行動をするだけだから
いなくなった方がよかったので
逆に課題の進行は捗った。
M本は完全なるオタクで、ここにいてもただ萌え絵などを描いているだけなのだ。
「このキャラクターどう?この広告に入れてみない?」と
横槍を入れてきてはみんなの気分を逆撫でするだけなのである。
M本は空気が読めないから自分が空気が読めない奴だということもわかってないし(当然だが
やってることに悪気が無いから究極にタチが悪い。
うちのゼミの先生は気さくで愉快で優しい先生だったので
滅多に生徒に腹を立てるなんてことはなかったのだが
M本はその先生を本気でブチ切れさせてしまったこともあるのだ。
M本は与えられた個人のゼミ課題をやるのが非常に遅い。
研究室で先生が「どうして間に合わなかったの?」と聞くとわけのわからない言い訳をする。
「いや~なんというかまあなんというか、このときおなかが痛かったりなんかして~」
「いや~頭の中ではアイデアはでかかってるんですよ!」
「いや~実は間違えて削除してしまったりあとこの前は作業中にパソコンが落ちちゃったりなんかしちゃったり」
「今日は忘れてきました」
最後のはもはや言い訳ですら無いのだが
こんなくだらないうわ言をM本は何の悪気もなくふざけた口調で「自然体」のまま発するのだ。
恐ろしい。
横で俺はヒヤヒヤしながら聞いていた。
先生はついにキレた。
「M本、お前そんなんでどうする?社会でやっていけないよ!?そのままだとマジでやばいぞ!?」
キレたっていうか、むしろ「心配」だった。M本がアホすぎて。
が、怒られたM本は「あれ~、なんかだめだったかな~僕」とか言ってるのである。
俺までもキレそうになったが、先生の呆れた顔を見て
俺も「ああこれは何いっても無駄だな」と諦めることにした。
これはもう文面だけでは伝わらない部分も多いと思う。
M本は本当に頭がおかしい男であった。
俺が今まで生きてきた中でも彼は最強エリートクラスの反面教師だった。
「反面学校」があるならば相当な名のある学習塾にでも通わないと進学できないぐらい
ランクの高い学校に属している反面教師であろう。
あそこまでダメというか、人の顰蹙を買う人間も珍しい。
俺はM本から色んなことを学んだ。
また、普段はだらしない俺もM本がダメすぎるから同じチームとしてそこをカバーしなくてはいけないという
危機感に襲われ、底に秘めていたリーダーシップを引き出しなんとか課題を進めて
無事に課題の発表を成功へと収めたほどだ。
10分のプレゼンで喋る内容も速攻で考えて流暢にスピーチした。
反面教師の力はすごい。
そもそも、人間の心理的な面で「自分よりダメな奴を見る」ということは
自分の気持ちを落ち着かせることにも役立つし、とてもいいことなのだ。
あまりにも出来る人を見ると、劣等感に打ちひしがれてしまう。
それよりは、あまりにもダメな奴を見て
「俺あれよりは全然マシだわ、ああならないためにも頑張ろう」
となる方が精神衛生上も良いと思う。
めっちゃ文章長くなった。全部M本のせいだ。
しかしあんなM本でも就職が決まるのだから世の中わからないものである(といっても、卒業ギリギリでどうしようもなかったあいつを大学のコネで無理矢理受け入れただけだったのだが)
体重計乗ったら45kgになってました。
どうやら今ぼくは過去最高に痩せているようです。
一番太っていた時期は高校の頃で、50kgもありました。
何故こんなに痩せているのか。
しかし痩せるべくして痩せたという感じがします。
少食だし、頻尿頻便でよく下痢も出るので消化が異常にいいのかもしれません。
あと普段からいろいろなことを考えてるっていうのが意外と関係している気がします。
「考えるだけでもカロリーは消費する」と聞きますが
実際それは本当だと思うし結構その影響は馬鹿にならないと思うんですね
僕は四六時中頭の中で様々なことを張り巡らせています。
いろんな妄想・過去を振り返って反省・今ハマっていることについて色々考える・なんかのアイデアを考案する・日記などのネタを考えるetc.
人と話している時も常に模索しています。
アホ面しながらも色んなことを見て、考えながら会話しているのです。
(今のこの人の発言から察するにこの人はこういう性格だな)(ここで俺がこう言ったらどうなるだろう)(こいつは早く帰りたいんだな)
など、観察・分析・計画で頭の中はいっぱいになります。
だから、けっこう疲れます。でもやめられないのです。
体の構造のメカニズムなど知識も何もなく
医学的根拠も無いただの推測で述べているに過ぎないのですが
結局何事も感情が最も左右するものだと思うので
やはりこの自分の「考えすぎる癖」が
痩せている事に密接に関係している気がしてならないのです
たとえば嫌なことや不安なことを思い浮かべたりすると食欲がなくなりますよね
だから何気に「考える」って効果的だと思います。
痩せたいと思っている方はグロテスクなことを一日中想像してみてはいかがでしょうか。
難しい本を読み耽るのもアリ。
あと、もしかしたらコーヒーをたくさん飲むのもいいかもしんない。
頻尿になるから。水分なくせる。知らんけど。
どうやら今ぼくは過去最高に痩せているようです。
一番太っていた時期は高校の頃で、50kgもありました。
何故こんなに痩せているのか。
しかし痩せるべくして痩せたという感じがします。
少食だし、頻尿頻便でよく下痢も出るので消化が異常にいいのかもしれません。
あと普段からいろいろなことを考えてるっていうのが意外と関係している気がします。
「考えるだけでもカロリーは消費する」と聞きますが
実際それは本当だと思うし結構その影響は馬鹿にならないと思うんですね
僕は四六時中頭の中で様々なことを張り巡らせています。
いろんな妄想・過去を振り返って反省・今ハマっていることについて色々考える・なんかのアイデアを考案する・日記などのネタを考えるetc.
人と話している時も常に模索しています。
アホ面しながらも色んなことを見て、考えながら会話しているのです。
(今のこの人の発言から察するにこの人はこういう性格だな)(ここで俺がこう言ったらどうなるだろう)(こいつは早く帰りたいんだな)
など、観察・分析・計画で頭の中はいっぱいになります。
だから、けっこう疲れます。でもやめられないのです。
体の構造のメカニズムなど知識も何もなく
医学的根拠も無いただの推測で述べているに過ぎないのですが
結局何事も感情が最も左右するものだと思うので
やはりこの自分の「考えすぎる癖」が
痩せている事に密接に関係している気がしてならないのです
たとえば嫌なことや不安なことを思い浮かべたりすると食欲がなくなりますよね
だから何気に「考える」って効果的だと思います。
痩せたいと思っている方はグロテスクなことを一日中想像してみてはいかがでしょうか。
難しい本を読み耽るのもアリ。
あと、もしかしたらコーヒーをたくさん飲むのもいいかもしんない。
頻尿になるから。水分なくせる。知らんけど。