「“子どもの人生を壊すかも”と不安になるとき、人は自分を見ている」


「この名前で、この子の人生、大丈夫だろうか」

そう思ったこと、ありませんか。

子どものことを考えているようで、実は少し違う場所を見ていることがある。

怖いのは未来じゃない。“間違えた自分”です

南無阿弥陀仏。


──重いですね。

でも、その重さ、少し違うところから来ている。

名前が問題なんじゃない。

本当に怖いのは、

「間違えた自分」です


あのときの判断。あの瞬間の選択。

それが、子どもの人生を左右するかもしれない。

そう思った瞬間、

逃げ場がなくなる

でもよく見ると、

子どもを心配しているんじゃない

自分の失敗が怖いだけです

これ、きついです。

でも、たぶんここです。

周りの一言。

「キラキラネーム」「かわいそう」

この言葉が刺さるのは、名前が変だからじゃない。

自分の中に迷いがあるからです

もし本当に、「これでいい」と思えていたら、ここまで揺れない。

でも、どこかで引っかかっている。

その引っかかりを、

手放せずに持ち続けている

着ていない服がある。

もう着ないと分かっている。

でも、

「高かったし」「まだ使えるし」

あれと同じです。

大事だから持ってるんじゃない

手放すのが怖いだけです

この場合、手放せないのは「名前」じゃない。

「間違えたかもしれない自分」

それを認めるのが、怖い。


だから、未来の不安に変換する。

「この子が苦労するかも」

「人生に影響するかも」

そうやって、

話を大きくする

でも本当は、

未来が怖いんじゃない

今の自分を見たくないだけです

自分も同じです。

過去の判断を、引きずる。

「あのとき違っていたら」

そう思い続ける。

でも、

戻らない

わかっていても、やめられんのです。

だからこそ。

そのまま引き受ける

間違えたかもしれない。

揺れている。自信がない。

その全部ごと。

否定せずに、そのまま。

そして、

そのままの自分で、子どもと向き合う

正しい母親じゃなくていい。

完璧じゃなくていい。

不安ごと、すでに見抜かれている

名前で人生は決まらない。

でも、

その名前をどう抱くかは、こちらの問題です

逃げても消えない。

でも、

抱えたままでもいい

そのまま、

引き受けられているのかもしれませんね。

南無阿弥陀仏。