「お金があるのに、不安が消えない。」

南無阿弥陀仏。

妙な話だ。

足りているはずなのに、満たされない。

むしろ、あるほど怖くなる。

使ってしまう。

奢ってしまう。

貯めても落ち着かない。

理由は、はっきりしている。

 お金の問題じゃない

寂しさ。

不安。

認められたい気持ち。

それが、じっとしていられない。

だから動く。

財布を開く。

「ここは私が」

「これくらいならいいか」

「ご褒美だから」

言葉はきれいだ。

だが中身はどうか。

 埋めたいだけです

南無阿弥陀仏。

たとえば、空腹でもないのに

つまみ食いをする。

なんとなく口が寂しい。

何か入れていないと、落ち着かない。

あれと同じだ。

心の空白に、物を流し込んでいる。

しかも厄介なのは、

これが“正しいこと”に見えることだ。

奢る。

気前よくする。

自分にご褒美をあげる。

どれも悪くない。

むしろ、いいことに見える。

だがその奥で、

 愛されたいだけです

 安心したいだけです

だから止まらない。

一度では足りない。

また使う。

また揺れる。

さらに深いところでは、

失いたくないだけです

お金を失うのが怖いんじゃない。

コントロールを失うのが怖い。

自分が崩れるのが怖い。

だから、

握る。

増やす。

使う。

だが、どれも効かない。

根っこが違うからだ。

安心が欲しいんじゃない

 安心できる自分でいたいだけです

これが崩れると、足元が揺れる。

だから、やめられない。

わかっている。

無駄だと知っている。

それでも、

 わかっていても、やめられんのです。

だからこそ。

ここで初めて、見えてくる。

お金は、悪くない。

使い方の問題でもない。

心がさまよっているだけです

如来は、そのさまよう心を見ている。

満たそうとして、満たされない私を。

掴もうとして、掴めない私を。

そのまま、照らしている。

だから、

無理に整えなくていい。

無理に正しく使わなくていい。

まず、どれだけ埋めようとしているかを、知らされること。

そこからしか、ほんとうの安心は、始まらない。


南無阿弥陀仏。