「相談件数、過去最多。」
増え続けている。
DVも、虐待も、リベンジポルノも。
減らそうとしているはずなのに、減らない。
むしろ、増えている。
ここに、少し考えさせられるものがあります。
人はこういうとき、すぐに言います。
「加害者が悪い」
「もっと厳しく取り締まるべきだ」
……その通りです。
間違ってはいない。
ただ、それだけで済むなら、もうとっくに減っているはずなんです。
少しだけ、別の角度から見てみると。
暴力というのは、いきなり殴ることから始まるわけではない。
支配したい。思い通りにしたい。
自分の正しさを通したい。
ここから始まる。
そして、その多くは、
「相手のため」という顔をしている。
「お前のために言っている」
「心配している」
「正しい方向に導いている」
……言い方はいくらでもある。
けれど本音は、わりと単純です。
思い通りにならないのが、気に入らない。
これ、特別な人の話ではありません。
私たちも、日常でやっています。
相手が自分の期待通りに動かないと、イラつく。
思った反応が返ってこないと、不満になる。
「こうするべきだ」と押しつける。
表面は穏やかでも、中身は案外、似たようなものです。
小さな支配。
これが積み重なると、どうなるか。
関係が歪む。力関係が固定される。
そして、逃げ場がなくなる。
外から見れば「なぜ離れないのか」と思う。
でも中にいると、それが“普通”になる。
ここが怖いところです。
「自分はそんなことしない」
そう思いたい。
けれど、人は自分のことが一番見えません。
認識の歪みというものです。
方言のようなものです。
自分では標準語を話しているつもりでも、外から見ればしっかり訛っている。
自分の歪みは、自分では気づけない。
だから、繰り返す。
DVがなくならないのも、虐待がなくならないのも、特別な異常者がいるからではない。
普通の人間の中に、その種があるからです。
ここ、少し厳しいですが。
「あの人はおかしい」で済ませている限り、
同じ構造はどこかで続きます。
では、どうするのか。
「もっと優しくしろ」「支配するな」
……言われても、難しい。
なぜなら、その“支配している自分”に気づけないからです。
しかも、それが「正しさ」の顔をしている。
わかっていても、止められない。
気づいても、またやる。
人間は、自分中心から自由になれません。
ここに、行き詰まりがある。
だからこそ、です。
自分の歪みを完全に正してから来い、ではない。
ちゃんと優しい人間になってから来い、でもない。
歪んだまま。未熟なまま。
誰かを支配してしまう心を抱えたまま。
それでも来い、と呼びかけてくださるはたらきがある。
こちらが整うのを待たずに、
もう、来てくださっている。
だから、自分の中のその暗さを、
ごまかさずに見ていける。
そして、少しずつ、人との関わり方も変わっていく。
そのよりどころが、南無阿弥陀仏。

